時は少しだけ遡り、思いが繋がったその日の事。
ハッと息を飲むその人物は、何度もこの幸福感
が毎度現実に起きていなかったことが多いせい
か、目覚めた瞬間に思い切り自分の頬を叩いた。
「〜〜〜〜っ。」
思いの外力は加減出来なかったが、そこに痛み
はある。
前回は、眠る彼女を運んだ後は自分の方が後に
目覚めたので、すやすやと自分の腕の中で眠る
美琴を監察するのは初めてだった。
そういえばと、そこで掛け布団を剥ぐって赤葦
は昨日の記憶を蘇らせる。
美琴が何も身に纏っていない事を確認して、彼は
鮮明にその姿と熱い眼差し、味わった事の無い
感覚…と、目に浮かべれば再び自分の胸の奥が
熱くなり、身体を重ねたその夜を思い出した。
自分を求めてくれた姿を忘れるはずがない。
これが現実だ。
『んっ…、あか…あ、しさん?』
「あれ、もう呼び方戻っちゃったんだ。」
目を擦り、まだ意識がはっきりしていない美琴を
引き寄せると、赤葦の肌の温もりで目覚めた彼女
はすぐに目を丸くして固まった。
『アカン…、私今の格好…!!!』
「ふふっ、最後まで大胆な台詞だったね。」
寝坊ける美琴に少しだけ意地悪な言葉を掛けると
現状に気がついて、羞恥から慌て始める彼女に
もう一つ意地悪な言葉を重ねて、しばらく夜道を
並んで歩いた時の彼女の言葉を振り返り、赤葦は
にこりと微笑んだ。
『赤葦さん、もう一つわがまま言うてもええ
ですか?』
「わがままって?」
『今日は、その…まだ帰りたくないです。』
赤葦にありのままの気持ちを伝え、今の美琴は
怖いもの無しだった模様で、彼のジャケットの
裾をギュッと引っ張るのと同時に、赤葦の胸も
同じ音で締め付けられた。
「美琴ちゃん、何か飲み物買って行こうか。」
平常心を装って声を掛けるのが精一杯で、彼女の
全てが初めてだと知った時、赤葦にはもう余裕
なんてものは無かった。
至福の時間を噛み締めて、未だに腕の中で林檎
のように真っ赤になる彼女の手を自分の胸へと
当てると、その弾む音に彼女も驚き、ぱちぱち
と瞬きをして赤葦を見つめる。
「大丈夫、俺も結構ドキドキしてる。」
『赤葦さんも一緒?』
「うん、結構今も余裕無いかも。」
『よかった、京治さんも両思いなんや。』
「そうだね。だから…、俺も我慢の限界。」
赤葦の胸の音で安心する美琴はふわりと笑って、
そこでさりげなく昨夜約束した呼び方に変わる
ので、不意打ちを食らう赤葦は堪らず彼女の唇
に触れた。
甘く蕩ける朝、ずっとこうしていたいと互いに
願うが、遠距離という名の試練は直ぐに彼らに
待ち受けており、その先からまた新しく忙しい
日々が始まる。
「ごめんね、いつもこっちに来てもらって。」
『毎回会う度に、ああ特別な日やなって思える
から私は結構好きです。』
「そう思える美琴ちゃんには敵わないな。」
会えない時間分、赤葦を想いを募らせる美琴は
上手くそれを楽しみに変えて、本日も持ち帰り
の仕事に追われる彼をサポートして、決して嫌
な顔を見せない彼女は、その時間すら楽しんで
いた。
相変わらず、治には負けてしまうけどと謙遜を
しながら気軽に片手で食べれるおにぎりを置き、
彼の部屋にあった気になる本を隣で静かに読み
始める。
不思議と心穏やかに過ごせるその時間は、気を
許し合う仲だからなのか、若しくは一刻も早く
彼女とゆっくり過ごしたいからか、赤葦の仕事
はいつもよりも捗っていた。
「とりあえず来月は一段落ついて連休が貰えそう
だから、もしお互いの都合が合えば、旅行に
でも行こうか。」
そして赤葦の作業が一旦落ち着き、腕を伸ばして
軽くストレッチをしながら、赤葦はとある提案を
彼女に伝えると、赤葦の肩を解そうと彼の背に手
を添えていた美琴は、それに目を輝かせた。
『すごく行きたい!…治さんに相談したら、
多分大丈夫やと思う。』
「旅行って聞いたら、すっごく渋い顔をさせそう
だけどね。」
2人の交際に背を押した人物ではあったが、治も
まだまだ美琴の心配をしてしまう、少し過保護な
兄的ポジション。
半分冗談、半分本気の苦笑いを赤葦は浮かべ、
眉間に皺を寄せる治の顔を赤葦は想像した。
「少しでも美琴を泣かせたら、いつでも殴る。」
それは赤葦が美琴と付き合ってから、初めて
おにぎり宮に赴いた時に、治に宣言された言葉。
「もう妹として見とるだけやから、そこだけは
安心してくれ。」
彼はその次にはっきりと赤葦にそう言いきった
がその愛情は深く、同じくその日にたまたま店
に立ち寄っていた北も、治も同じ目をしていた。
「誰よりも彼女を大切にする。」
過ごした年月は彼らには負けてしまうけど、
深さなら負けない。彼らとの過去は気にしない。
そう考える彼もまた、離れている間に彼女の喜ぶ
ものをと楽しく頭を悩ませていたのだろう、
様々な地方のパンフレットと旅行雑誌をテーブル
に並べ始め、それに更に驚きを見せる彼女を見て
満足そうに微笑んでいた。
『さすが、仕事がお早い。しかも本物選り取り
みどり!』
「何処がいいかな?」
『何処も素敵で迷うわあ。』
「じゃあ、目を瞑って決めてみる?」
『賛成です。』
お互いに目を瞑るとせーのの掛け声で指をさし、
それが見事に一致する2人はそこでも気があって
しまうのかと指が触れて、笑い合う。
『京治さん、目を開けとらんですよね?』
「美琴ちゃんこそ、もしかして開けてた?」
『ぎゅってしっかり瞑りましたよる…まさか、
指をさす方向も一緒やなんて…!』
「ふふっ、どうやらつくづく気が合うようで。」
その旅行雑誌のページを早速捲って、自分達の
好きそうな場所が沢山載っているその本を読み
ながら会話を広げ、恋人らしい予定に嬉しく
美琴は期待で胸を弾ませる。
『レンタカーでドライブデートも楽しそうや。私、運転出来るし。』
「運転、好きなの?」
『ふふっ、結構好きですね。一応ミッションも
乗れます。』
「すごいね、知らない美琴がまた知れた。」
少し誇らしげに笑う美琴が可愛らしく見えて、
何気なく彼も呼び捨てで彼女を呼ぶと、彼女は
彼からの褒め言葉よりもその呼び方に驚いた
のか、赤葦の顔を見た。
「…どうしたの?」
『今、美琴って。』
「ごめん、嫌だった?」
『ちゃいます、その逆で…ちょっと嬉しい。』
京治さんのもんって気分になると、もじもじと
照れ気味に顔を逸らす美琴のその反応に赤葦も
胸を擽られて、目を細める彼は彼女の頭をそっ
と撫でる。
「今の美琴、ちょっと可愛かった。」
『えっ…!変の間違いやって。』
「その反応好きだから、今度からこう呼ぶよ。」
『〜〜〜〜っ!』
「美琴?」
『京冶さんが意地悪しとる。』
「ははっ、もっと意地悪言ってもいい?」
ひそひそと彼女に耳打ちをして、彼女はその容貌
に戸惑ったが、いいからとにこにこと笑顔を向け
る赤葦に言われて仕方なくと眉を八の字にした。
『け…いじ。…京冶。』
「何で2回も繰り返してくれるんですか。」
視線は頑張って逸らさないままで、ほんのりと
頬を赤く染めて呼ばれた小さなその声に、赤葦
は感極まって両手で顔を覆い、潤ませた瞳が彼
に追い打ちをかけたようで悶絶した。
『へっ…、ちょっ、私やっぱ変やった!?』
「ちゃうやで、可愛すぎたやんかー。」
『もう、京冶の関西弁可笑しゅうなっとる!』
あたふたとする彼女は自然に自分の名を読んで、
その嬉しさも混ざる彼はギュッと抱き締めて、
その温もりでやっぱりこの幸せな時間も夢では
ないと彼は確信する。
「美琴、好きだよ。」
耳元で囁かれたその言葉に、美琴も本当はこれ
は幻想じゃないのかと疑いたくなる程に、気持ち
が満たされていく。
『私も大好きです。』
しかし彼女もそのキスの熱で、これが現実だと
実感をして、彼の背に手を添える。
もうしばらくは、この甘い時間は続く模様の
ようだ。