『…っクシュン!!!』
この時間…よりにもよってこのタイミングでと、
自分の発してしまった音に顔色が真っ青に変わる
美琴は、とある人物と目が合ってしまった。
「揚尾、帰るか?」
例えそれが練習試合だとしても許されない失態。
ボールを手に持つ侑は彼女に笑顔で声を掛けるが
目の奥は笑っておらず、彼女はブンブンと首を
必死に横に振って、唇を噛み締めた。
油断した自分に後悔するのも遅く、他の先輩達
から哀れみの目が彼女には痛い。
揚尾美琴は、宮侑のサーブと同時に盛大に
くしゃみをしてしまったのだった。
事の発端はおよそ2時間前の事。
自分の学校で練習試合を控えるその日は美琴も
気合いが入って、普段よりも更にペダルを漕ぐ足
は軽かった。
天候も快晴、洗濯物を干すには持ってこいの環境
で、大量のタオルをすぐに干し終えた彼女は次は
体育館で別の仕事を行いに向かい、チームメイト
と一緒に今度は他校を迎える準備をした。
『今日って取材も来るんやったっけ?自分の
隠れる場所も作っとかんとあかんよね…。』
「お前、ホンマに目立つのは苦手やな。ようそれ
でここに入ったよな。」
『裏方は映る必要無いやん?先輩達の輝かしい
所を映して貰えたら充分やもん。理石君も今日は
ピンチサーバーで呼ばれるかもしれんね。サーブ
の威力増しとるって先輩も褒めとったし。』
「そう思うと緊張が…。」
『絶対に活躍出来るから大丈夫やと思うよ?』
「さりげなくプレッシャーかけるん、止めて。」
さらっと自分を褒め始める美琴の肩に手を置いて、
照れ臭さで口元をむずむずと動かしていると、
先輩が現れた気配を感じて、理石は慌てた様子で
パッと手を離す。
一緒に過ごしていると自然体である表情を可愛い
と思ってしまう日もあって、胸の奥が擽られる
気持ちになるのと同時に氷の視線が刺さり、彼の
背筋は凍った。
それは治であったり角名であったり、先輩からの
視線は無言である分迫力を感じ、彼女の同級生達
のときめきは、恋心へと発展する前に終わりを
迎える。
「『おはようございます!』」
そんなやり取りは密かに行われ、先輩を見掛ける
と理石同様に頭を下げて挨拶をした美琴は、何も
知らなかった。
それよりも、顔を上げると扉の先から見えた雲の
色が変わって見えて、不安に思う美琴は理石と顔
を見合わせる。
『理石君、今日って天気予報晴れやったよね?』
「やったと思うけど、あれは降りそうやな。」
『…ごめん、後任せてもいい?』
理石が頷くとすぐに美琴は駆け出して、他の部員
も一緒に向かおうとすれば、身体を冷やしては
いけないからと一人で外へ向かい、彼女が干して
いたタオルの元に到着した時には、激しい雨が
容赦なく降って来た。
『降水確率も見とったのにー!』
手早くそれらを取り込む美琴は、せっかく乾いて
いたのだからと体育館へ干し直そうとダッシュ
して、全てを終えた頃に他の先輩達も到着する。
「美琴、ずぶ濡れやん!?」
『すみません。タオルを優先しちゃったので
すぐに着替えてきます。』
「これ貸したるから、早う行ってき!」
ひっそりと2階へと降りていたが、赤木と大耳に
ばっちりと見つかってしまった美琴は赤木にその
格好に驚かれ、大耳が羽織っていたジャージを
被して更衣室へと誘導する。
優しい先輩に感謝をしながら彼女は急いで着替え、
身体を冷やさないように気をつけていても、髪が
完全に乾くのは無理があり、むずむずとする鼻は
思わぬ時に最悪の事態となってしまった。
「落ち着いて行動したら、まあ対策は取れた事
やな。」
『はい、油断していた自分が完全に悪いです。
どんな状況であれ、選手のモチベーションを
下げる行為は絶対に避けるべきでした。』
「せやな。…けど、今回は運も無かったのもあるし
そんなに落ち込むことでも無いわ。次からは
気を付け。」
取材は写真だけで良かったと胸を撫で下ろすのと
一緒に、深く彼女が落ち込むのは練習試合が終わ
った後のボールを綺麗に磨く時。
くしゃみをしたのは一度きりで、それ以上失態を
繰り返さない為にも必死に動く美琴は、終了後に
言い訳はなしで侑にもちゃんと謝りサーブ練習も
付き合って、反省会がお決まりになりつつある
その倉庫内では、赤木達から事情を聞いていた北
が冷静に彼女の行動を振り返っていた。
「ちゃんと準備しとった後の失敗は誰も責めたり
せんよ?」
厳しい言葉の方が気持ちが引き締まり、優しい
言葉の方が慣れない彼女は、つんと鼻の奥が痛く
なるが、今は流したくないそれを彼女は一生懸命
に飲み込む。
北には見せないように、せっせと雑巾でボールを
吹き上げていると、北はその様子をあたたかく
見守っていた。
「せやから、今日はここでしまいや。」
『北先輩…?』
「今日は早う帰って、いっぱい飯食って体力も
付けんとやろうし。」
それに…と動く手を止めて言葉を続けた北は立ち
上がり、少し隙間のあった倉庫の扉を彼がガラリ
と開くと、その勢いで崩れる先輩の登場に、彼女
はぱちぱちと瞬きをする。
「お前ら盗み聞きするくらいなら、堂々と入って
くればええやろ?」
「いやっ…、その…盗み聞きというよりは!」
「厳しくしたものの、美琴に嫌われるんは怖なって
様子見とったんよな?」
「サムは余計なこと言うな!」
『嫌うやなんて、そんな…!』
「サーブ練付き合った後まで反省されたら、
そら気にするて。」
『すみません。』
「こら、言うた矢先にしょんぼりすな!」
北の迫力に驚いて、腰を抜かしたままの侑とそれ
を見下ろす治が説明をして、美琴はすぐに侑の
不安を否定し、眉を下げる彼女を今度は侑が注意
をする。
「よし、ほんなら帰ろうか美琴。」
「…なんの咎めもせん北さんが逆に不気味や。」
「ほんなら、今日は侑が美琴を送るか?」
「ええんですか!!?」
「もれなく俺も付いてくるけどな。」
「お前はいらんわ!」
北の提案で目を輝かせる横で、治がもちろん侑と
美琴を二人きりにさせる訳もなく、一気にうるさく
なる二人を呆れた顔でしばらく眺め、「止めとこう」
と自分の発言を取り消した北は、美琴を静かに
双子から遠ざける。
「何を騒いどるん?」
「美琴を送るんを北さんが珍しく侑に任せようと
したら、治と揉めてる。」
「で、角名。お前は取っ組み合いを録画中継なん?」
「んなもん、皆で帰ればええやん。」
着替え終えていた先輩達もなかなか部室に来ない
彼らの様子を伺いに来て、実は入り口で一通りの
流れを観察していた角名が尾白に説明をして、話
は別方向へと逸れていく。
すっかりと賑やかになってしまった帰り道。
「落ち込む暇は無さそうやな。」と笑う北に自分の
頭にポンと手を置かれ、コンビニに立ち寄って皆
で買い食いをするのはその日が初めてだった。
「ほら、美琴も肉まんいるか?」
「北さんが皆に奢ってくれとる!!?」
「角名、さっきからシャッター音うるさい。」
「だって、頬張ってる美琴とかレアじゃん。」