緊張の移動時間


「美琴、昨日はありがとな。」


合宿初日の移動前に美琴を見掛けてお礼を言った
治は、振り返る彼女がふわっと嬉しそうな笑顔を
向けると自然と目尻が下がり、また次のオフの日
も彼女との予定を入れたくなる。


『こちらこそ、ありがとうございました!治さん
がいらっしゃったので、本当に助かりました。』


「俺は何もしとらんて。それよりも、あそこの
大判焼き美味しかったな。」


『美味しかったですね!昨日食べたばっかり
やのに、また食べたくなっちゃいました。』


「ほんなら、また食べに行こ…」


「ほーん、二人で何を話しとるん?」


次に行く頃には暑さも増しているだろうから、
かき氷かアイスもいいな…なんて提案しようと
すれば二人の間にその声は突然入り込み、見事に
治の言葉を遮った。


『侑さん、おはようございます!』


「美琴おはようさん。で、何の話しとったん?」


侑にそう聞かれて、えっと…と素直に説明しよう
とする美琴は次の言葉を発する前に治と目が会い、
侑に昨日のことを知られたら面倒だと考える治は
人差し指を立てて美琴に微笑んで内緒にするよう
合図を送り、彼が口を開く。


「美琴と好きな食いもんの話しとった。」


「何か約束しようとしたように見えたんやけど?」


「気の所為やて。な?美琴。」


侑の疑う視線にどちらの先輩の言う事を聞くべき
なのか困っていると、彼女はタイミング良く北に
声を掛けられてその場から離れ、残された双子は
互いに気に入らないといった表情で、片方は自分
の邪魔をされて不満そうに、もう片方は何か隠し
事をされた事を不満そうに見つめ合っていた。


「えらい、気に入っとんやな。」


「サムこそ、鼻の下が伸び切っとったで?」


「そんなだらしない顔してへんわ!お前こそ、
あからさまにぶすーっとしよってから、お前が
可愛い可愛い言うとる後輩が怯えるやろ!」


「あ?そんな顔してへんわ!」


美琴が離れた場所にいると容赦無く言葉をぶつけ
合い、徐々にヒートアップそれは離れた場所でも
耳に入って、止めに入ろうとした彼女の肩を押さ
えて、主将が彼らの方向へ歩き出す。


「それだけ力が有り余っとると、この後の練習が
楽しみやな。でも、今日一日長いんやし程々に
しとかんと。」


腕を組んで目の前に現れたその男に二人の顔色は
青くなり、そこから大人しくバスに乗り込む彼ら
は合宿所へと向かった。


取材もギャラリーもいないその場所での練習は、
インターハイに向け、貴重な時間でここから過酷
な練習が待つ部員は今のうちに身体を休める。


「侑は特等席やな。」


その中で、出発前からこってりと絞られた侑は北の隣に座らされ、緊張感から休めれるものも休め
られない状況で大人しく背筋を伸ばして座り、
その様子に3年生の先輩達は笑いを堪えていた。


離れた席で治は銀島の隣に座らされ、気を遣わず
に静かな人間の隣の席を願っていた角名は、残る
美琴の隣に座る事になった。


「美琴の隣、俺の方が良かったんとちゃう?」


「そうなったら侑はやかましいし、他の1年の横
はお前らの目が怖いし、あそこが一番無難やろ。」


「正論やけど、絶対前の二人は緊張しとるやん。」


「角名、感極まって固まっとるんとちゃう?」


会話が一つも聞こえない前の席を心配して、治と
銀島がひそひそと会話をして、銀島が隙間から
様子を伺えないので上から覗こうとすると、顔を
上げた角名の双眼が鋭く光って、それに怯んだ
銀島はまた座り直す。


1つ前の席では、治達の予想通りに会話を必死に
考えている美琴は隣にいる先輩を気にかけていて、
全く何も喋らないのも失礼だと思っているのか、
自分の鞄からきっかけになる物を探し始めた。


そして角名は角名で、全く何も喋らないのは相手
を怖がらせてしまうのではないかと、後輩が萎縮
してしまうことを気にして、怖い先輩だと思われ
ていないか悩んでいた。


仲間として、少しでも打ち解けられたら…。


そう願う彼らはその席である意味両思いで、同じ
タイミングで視線がぶつかると思わず「あっ…」と
言葉を漏らす。


最初に笑い出したのは美琴で、素直に自分の言葉
を向ける事にしたようで、『ちょっとだけ緊張
してます』と角名に話した。


「ごめん、先輩が隣だと気が抜けないよね。」


『そんな事ないです!なかなか角名先輩と話す
機会なんて無かったから私は嬉しいです。』


「…なんか、ごめん。」


『せやから、謝らないでください。』


謝り出す角名とはやっぱり視線が合わなくて、
逆に自分が隣で申し訳無いと言う気持ちになる
のか彼女も落ち込んで、ハッ!と彼女の沈む一瞬
だけを確認した角名は、慌てて自分の鞄に入れて
いたイヤホンを取り出した。


「そうだ、音楽でも聞く…?」


『音楽…?』


「美琴の趣味に合うかは分からないけど。」


『いや、お言葉に甘えて…!』


「眠くなったら、遠慮なく寝てもいいから。」


上手く話せないなら別の形を試してみてもいい。
そう閃く角名は自分のスマホにイヤホンを繋ぎ、
片方を美琴に渡すと、彼ももう片方を耳にさす。


それが彼なりの仲良くしようという優しさだと
美琴も気が付くと失礼しますと耳に刺し、そこ
から聞こえる曲は彼女も好きな音楽だった。

それが嬉しくなり、彼女は角名にその事を伝える
と、彼も小さく頷いて微笑み、しかし彼女を見る
時間は僅かで視線は景色を映す。


『お返しに飴とかは微妙かなあ。というか、
朝から飴ちゃんて…。』


先輩の好きなお菓子とか、ここにあるやろか?


隣には届かないひそひそ声のつもりで美琴は鞄と
睨めっこをして、迷う彼女の様子をひっそりと
伺う角名もついその中を覗きたくなり、予想より
量のあるお菓子が彼女の鞄に入っていて、彼女の
新たな一面を角名もそこで知った。


「意外と食いしん坊なんだ。」


彼もまたぽつりと言った言葉は彼女に届かない
ように小さい声で、それを幸せそうに頬張る姿は
微笑ましくて静かに観察したいと思うのか、目を
細めてもうしばらく見届ける。


ゆっくりと緊張感が解けていく移動時間、きっと
到着する頃には前よりも距離を縮められるかも
しれないと期待したのに、いきなりその近さは
まだ免疫は付いていなかったのか、こつんと自分
に掛かる重みに角名は息を飲んだ。


しまった、イヤホンをするという事はこれだって
予測できたのに!!?


いつの間にか気が抜けて目を伏せてこちらに傾く
美琴の姿に目を見開く角名は固まって、自分が
撒いた種だと後悔する反面、彼女の緊張が解れた
安心感も抱きながら悶絶する。


間近で拝めれた、無防備な姿は角名にとっては
眩しすぎて、でも眺めていたい。


シャッターチャンスを逃したくなかったのに、
スマホから流れる音楽を止める勇気は無くて、
トイレ休憩までの数十分、彼の試練の時間と
なった。


「は!?お前、どういう状態!!?」


「シッ、起きるから静かにして!とりあえず
治、スマホ貸して。」


「もう、お前のフォルダが怖いわ。」


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