上手なあの子
「まだ布団に入っていたい。」
『さすがに翌日すぐの学校は辛いね。』
「お前ら揃って泣き言言わないの。」
合宿が終わり東京へと帰ってくれば、すぐに
翌日には学校が始まって、昨日の倦怠感が残り
ながら、美月達は重い足取りで部室へとゆっくり
足を運んだ。
美月がドアを開ければ、普段は遅めに来る灰羽
が既にそこには到着しており、美月を待って
ましたと言わんばかりに、彼女の方へ一目散に
抱きついた。
「美月さーん!!!」
『わっ、ちょっと待ってリエーフ!』
突然大柄な男に思い切り抱きつかれた 美月は、
灰羽の勢いに負けてしまい、彼を支えきれず
尻餅をついて、黒尾がおい!と彼の突拍子も
無い行動に怒る。
だが、黒尾の怒りの声は灰羽の耳には1個も
聞こえておらず、彼女に夢中でぎゅーっと抱き
しめたまま、彼女の名前を何度も呼ぶ。
美月が苦しそうに少し抵抗をしても、その腕が
彼女を解放することは無く、美月さん会いたかったです!
と寧ろ甘える子犬の様に彼女の胸元目掛けて、
グリグリと自分の顔を遠慮すること無く押し
付けていた。
「美月さんのこの柔らかさも、いい匂いも
久々すぎて、最高。」
『リエーフ、くすぐったいから離して。』
容赦ない灰羽からのスキンシップに顔を赤く
して、その胸元へ強く来る刺激から彼女は
うっすら涙を浮かべ、美月はそれから逃げよう
と、灰羽の頭を撫でながら落ち着いてと説得を
する。
「嫌です!美月さん、こんなにふわふわで
気持ちいいのに離す訳が無いじゃないですか。」
『んっ、ちょっとリエーフあんまグリグリ
しないで!!!』
灰羽は彼女の言うことを聞くどころか、彼女に 寂しかった気持ちを補うように、抱きしめる力
を強くする。
後輩にはかなり甘くなり、あまり強く抵抗を
することが無い美月。
無邪気に自分に懐いてくる彼が、少し可愛くも
見えていたりするので、怒ることなく彼を半分
受け入れていた。
「コイツ後輩の特権フル活用しやがって。
変われ、羨ましくなるだろ。」
「………。」
そんな中、美月の時折小さく漏れるなんとも
言えない甘い声を黒尾と孤爪は聞いてしまい、
2人がその光景をもちろん許す訳がなく、彼女
と灰羽の近すぎる距離をべりっと引き離す。
「ねぇ。それ、イライラするからすぐに
止めてくれない?」
「お前、ホント朝から元気ね。体力有り余って
んならメニュー増やすぞ?」
いつもはここは自分の仕事なのだが、珍しく
孤爪が顔を顰めて、灰羽の肩を掴んで切り込み、
そんな孤爪の珍しい態度に黒尾が少し驚き
ながら、いつもより冷静に距離をとって、
灰羽にそう投げ掛ける。
普段、滅多に怒らない孤爪にそう言われると、
灰羽も少し彼に恐れをなしたのか、孤爪の表情 を見れば、顔を青白くして、素直に彼女から
離れた。
「て、引き剥がしても結局美月に引っ付いてる
のかよ!」
「美月さん不足の補充です!」
後から来た夜久の怒声が体育館に響き、彼女が
着替えて準備が整うと、灰羽は磁石のように
また彼女の背後に引っ付き、夜久が彼女を
引き剥がそうとしても頑なに離れないので、
美月はまぁまぁと彼を宥めながら、作業に
取り組んでいた。
蹴ってしまったら、彼女も一緒に転んでしまう
といけないので、夜久は手を出せずに、腕を
組んでそれを不服そうに見て、文句を言うだけ
だった。
『やっくん、私は大丈夫だから、そこまで
リエーフを怒ってあげないで?』
「美月、お前は優しすぎ!」
『でもねぇ。』と美月が灰羽の様子を伺って、
目線を上に向けてみると、子供のように口を
尖らせて拗ねた顔を見せており、そんな様子の
彼を見ると、ついついそこで甘やかしてしまう
のは、美月の悪い癖。
『1人だけ置いてけぼりって、やっぱり
寂しかっただろうから、やっくんも今日
だけは、許してあげよう?』
被害者は美月の筈なのに、夜久を諭す様に
優しく微笑んでそう言われると、夜久も何も
言い返せず、そうだよ…な。と複雑そうな顔で
彼女の意見を肯定する。
だが、美月のお腹に両腕を回して、頭の上には
自分の顎を乗せている姿は、どうも納得行かず、
夜久も思わず黒尾に目を向けると、彼も灰羽を
見て顔を顰めているので、仕方ないと諦めた。
『ただし、甘やかすのは今だけ。』
少し不機嫌気味な2人の様子を彼女は知ってか
知らずか、美月は2人に向けてもその言葉が
届くように灰羽の顔を見上げ、指で彼の鼻を
つんと優しく包んでいた。
『午後からはしっかりクロとやっくんに
いーっぱい指導して貰うこと!』
メリハリのある後輩がカッコイイなと、上手い
言葉を付け足せば、灰羽のやる気スイッチは
完全にオンになり、灰羽から勿論ですよ!と
言わせれば、美月は2人に向かって親指を
立てる。
「美月ちゃんは相変わらず、人を乗せることが
上手なコト。」
「美月って無自覚で相手を手のひらで転がす所
あるよな。」
にこにこ満足そうに笑う彼女を見て、黒尾と
夜久はそう言いながら、2人共彼女に釣られて
自分の親指を立てるも、自分達も気が付かない 間にもしかして…と、妙な不安を抱えながら
苦笑い。
「クロも夜久君もというか、みんな、
何だかんだ美月のペースに合わされるコト
多いよ。」
「そこが美月の魅力的な所だしな。」
何を今更と孤爪は呆れたように言い、海はそう 言って微笑みながら、美月を見ている。
『先輩達、頼んだよー!』
「黒尾さん、夜久さん!!!
是非、ご指導お願いします!!!」
海と孤爪の言葉は彼女には届いておらず、2人
に向けて先輩のカッコイイ姿を見せてあげてね と言いながら、2人に笑いかけている。
そんな彼女を見れば、黒尾も夜久も振り回され
ることも満更悪くないと思ってしまう所が、
あったり無かったり。
否、美月なら全然ありですねと真顔で頭に
過っている。
彼女の期待通り、この後かなりハードな練習が
待ち構えている事を灰羽は知らないまま、目を
輝かせて、カッコイイ俺を見せるぞ!と意気
込んで。
山本と福永は言葉巧みに操る彼女に、少しだけ
震えながらも、山本は振り回されたいと少し
頬を赤めて。
美月は何故他のみんなも自分に注目をしている
のかが分からないまま首を傾げ、今日も楽し
そうにタオルを運んでいるのだった。