胸が弾む時
久しぶりのオフ日。せっかくの休みだが、この
猛暑で外出をしようとする気なんて、孤爪には
最初からなくて、テレビの電源とゲームの電源
を付け、コントローラーを握る。
ボス戦までやり込むと一段落ついて、このまま
昼寝でもしてしまおうかと彼がベッドへと倒れ
込めば、スマホのバイブが鳴り、そのメールを
くれた相手の名前を目にすると、ガバッと起き
上がった。
「…やった。」
思わず嬉しさから溢れる、美月を待つ声。
合宿中に約束していた、アップルパイが焼けた
という、彼女からのありがたい連絡だった。
只今午後2時。
きっと彼女は、おやつタイムに合わせて作って
来てくれたのだろう。
黒尾も一緒だといつもそのままにするのだが、
彼女だけだと思うと、何となく散らかっている
部分が気になって、いそいそと孤爪は自分の
部屋の片付けを始めるのだった。
『コンコン、研磨くん開けてください。』
ある程度スッキリとした頃にタイミング良く
美月はやってきた。
彼女は先に孤爪の母親の所に行ってきたのか、
ジュースと紅茶と彼女が作ったアップルパイ
を乗せたお盆を持って、両手が塞がった状態
で現れ、口頭でノックをするので、孤爪は
直ぐに部屋のドアを開けた。
『ありがとう。』
「そっちこそ、約束守ってくれてありがとう。」
孤爪は、美月が持ってきたものを目にすれば、
わくわくした表情で迎えてくれたので、彼女は
それが可笑しくて、彼を見てクスッと笑った。
『新作ゲームと同じくらい喜んでいる様で
なによりですね。』
「あ。2切れだけだ。」
『あとは、研磨の家の冷蔵庫に入れたよ?』
「そっか、そしたら母さん達にも食べられ
ちゃうね。」
『こらこら、独り占めしないの。』
彼女の作ってきた分を一台丸々食べたかった
のか、切り分けられたそれを見て彼が少し
残念そうに肩を落とすので、美月はそう言って
彼の頬をつんと押した。
孤爪は、少し子供扱いする彼女を不服そうに
見ながら頬を押え、いただきますと言って、
大好きなそれを口にしたら、コロッと表情は
すぐに変わった。
「やっぱり、美月のが1番美味しい。」
『良かった。暑さに負けずに作ったかいが
あったね。』
孤爪が美味しそうに自分の作ったものを口に
する姿を見たら、嬉しそうに柔らかく微笑み、
孤爪に続いて、彼女もそれを口にしたら、
満足そうに頷いた。
『今回も大成功!!!』
「美月、パティシエもいいんじゃない?」
『待って、私研磨の言葉で進路がコロコロと
変わっちゃうじゃない。』
「美月の作ったお菓子はどれも好きだから。」
『ふふっ、ありがとう。』
美月は孤爪との会話に肩を揺らして笑い、
何になろうかなーと彼女は言って、のんびりと
アップルパイを口にしながら、未来を遠い目で
見るように考える。
孤爪は、彼女の将来の夢を分かっていたからか
何も言わずにそのまま完食をするのだった。
『あっという間に夏だもんね。
大変、あと5ヶ月で卒業しちゃうよ?』
「美月、もう1年高校生する気ないの?」
『研磨はさらっと怖い事言う時あるよね。』
美月も食べ終えたら、よいしょと直ぐに何も
無くなった皿をキッチンへと持って行き、
しばらくするとまた孤爪の部屋に戻って、
彼女は彼のベッドへと腰掛けた。
満腹から眠気が襲っていた孤爪は、自分の
ベッドに深く座り込んで膝を伸ばす彼女の
腿を枕にして、その心地良さからうとうとと
瞼が重たくなる。
すると、彼の髪の毛をするすると美月の指が
束をとっては梳いてをしばらく繰り返したら、
今度は頭を撫でるので、更に心地よくなって、
くるっと彼女の方向へ向きを変えて、見上げて美月の顔を伺うと、彼女はいつもの様に優しく
微笑んでくれていた。
『研磨ー、そろそろお手入れしないと痛むよ?』
「もう、いーや。面倒臭いもん。」
『まーた、そうやって。』
苦手な美容院へと行くよう指摘を受けて、彼は
聞く耳持たないと言ったところなのか、むにっ
と彼女のお腹へ顔を押し付けて表情を隠した。
そんな孤爪の反応に彼女はしょうがないと
言った様子で、そのまま髪の毛を撫で続ける。
今日は誰の邪魔も入らないので、彼の気分は
良くなる一方だった。
黒尾も別に変なちょっかいさえかけなければ、
美月とのんびり過ごせるというのに。
そして、合宿と練習の疲れを癒すかのように
自分の好きな彼女の香りが鼻孔を擽って、
それと同時に何故か今回邪魔だったなと思った 面子の顔を次々と思い出してしまう。
『ん?研磨どうした??』
それが少し嫌になった孤爪は、ぎゅーっと彼女
の腰元に手を回して抱きつけば、普段の彼が
しない行動に多少は驚くのか、彼の名前を
呼んで彼の顔を見ようとする。
彼女にこんな行動をとって、安心の方が勝つ
だけで、彼も決して何も感じない訳では無い。
自分はそもそも異性としての認識はちゃんと
されているのだろうか。
それは、孤爪がふと抱いた不安からの行動
だった。
「美月はさ、どこまで平気?」
『平気って、どうしたの?急に…』
むくっと起き上がって美月の顔に徐々に徐々に
近寄って 見ると、さすがにその距離には彼女
も恥ずかしくなったのか、孤爪からは視線を
逸らすので、ああ意識はしてるのかと一安心
しながらも彼は我に返る。
待って、そもそもこの距離は俺の方が無理。
突然、このままだとキスする勢いまで自分が
近づいていたという、とんでもない行動を
取ってしまったことに気がついた彼はぼふん!
と音が立ちそうになるくらいに顔が紅潮した。
「ごめん、寝惚けてたかも…。」
『え?うん、大丈夫…?』
ちょっとトイレに行ってくる。と言いながら、
彼はフラフラと歩き出し、彼女がその様子に
心配するも、振り返ることは無くそのまま部屋 を出て、直行しようとしたら、黒尾も彼の部屋 に今遊びに来て、彼の表情を見て驚いた。
「…は?お前何顔真っ赤にしてんの?」
「ちょっと、エアコンの温度設定高かったかも。」
「おう、熱中症気をつけろよ。」
そう言いながらトイレまで黒尾が見送ると、
部屋の中の美月とも目が合って、彼女も
ほんのり顔が赤かったが、この部屋はエアコン
がよく効いていることだけは、よく分かった。
「あ、なるほどね。」
彼が取りそうになった行動の想像が付いた
のか、彼は自分と重ねたようで苦笑いを
浮かべるのだった。
「お前、もうちょっと下に長いの履けよ。
研磨もムラムラしたんじゃねーのか?」
『なっ。クロと研磨は違うもん!!!』
「美月ちゃーん、オトコは狼なのよー?」
『ちょっ、もう。クロはどこ触ってんの!』
「んー?どこってスベスベの太腿。」
「クロ、美月から離れて。
…美月もそこのタオルケット使って。」