距離感を取り戻す
烏野のバスが埼玉に到着すると、月島はすぐに
美月を探して、視線がゆらりと動いた。
早く彼女に会って、9月のお礼を言いたい。
スマホ越しで美月と会ってから、その思いは
強くなり、彼女に会えるその日が、本当に待ち
遠しかった。
荷物を置いて、練習は明日からの参加となって
いたが、他の学校はまだ自主練をしていたのか、
宿舎にいる人数が少なく、移動疲れでやる気は
削がれているが、自主練の様子だけは何となく
彼は気になっていく。
月島は、顔だけ出そうと黒尾達のいる体育館を
覗けば、練習を切り上げる所だったのか、灰羽
達とはすれ違い、黒尾や木兎達と会話をして
いた美月は、楽しそうに笑っていた。
「あ、烏野到着か。お疲れ!」
『あ、蛍君だ!移動お疲れ様。』
灰羽の呼び掛けと入口の大きな影から、月島の
存在に気がついた美月が、彼の方を向いて笑顔
で手を振るので、月島は緩む口元をきゅっと
締めて、ポーカーフェイスを装って彼女に一礼
をする。
彼の到着を美月だけではなく、黒尾や木兎も
喜んで迎え入れて、片付けが済むと、彼女と
一緒にわらわらと彼の元へと駆け寄って、
体育館を残念そうに黒尾が手を挙げた。
「ツッキー、残念。今上がろうとしたところ。」
「え、なんなら再開する!?」
『もう、時間切れだからダメでーす。』
「明日もありますし、月島も移動疲れが残って
ますから。」
木兎が無茶を言って、月島を誘うのは想定内
だったのか、赤葦が彼を言い聞かせて、宿舎に
戻るように上手く誘導をする。
するとそこに残っているメンバーは、先月の
自分の誕生日を祝ってくれた4人だったので、
月島は「あの…」と話を切り出して、彼らは
不思議そうに月島を見た。
「この前は皆さんで誕生日を祝ってくださって、
ありがとうございました。」
美月以外の3人は、自分達にも彼からお礼を
改めて言われるとは、思ってもみなかったの
か、目を丸くさせ、でも口元はニヤケながら
「いーよー。」と声を揃えて、返事をする。
美月は照れながらメガネを上げる彼が、可愛い
らしく見えていたようで、微笑ましい彼の姿に
にっこりと笑顔を向けていた。
『蛍君が近かったら、ケーキくらい焼いて
あげれたんだけどね。』
「美月ちゃんのカップケーキ、めっちゃ
美味かった!」
「俺も一口頂きました。美味しかったです。」
「お前は俺を騙して、横取りしただけだろ!」
木兎が自分の誕生日を振り返って、赤葦にベタ
な嘘で意識をそらされた隙に、手早く一口を
奪われたことを思い出して怒り出し、黒尾は
目に浮かんだのか、腹を抱えて笑う。
『2人のお口に合ってよかった!
けど、蛍君が甘い物苦手だったら、迷惑に
なっちゃうよね。』
「どちらかと言えば、甘いものは寧ろ好きな方
で…ショートケーキとか。」
いつでも、美月と連絡を取れてしまう物理的な
距離感を羨んで、月島が黙っていると、迷惑
だったかもしれないと勘違いをした美月が、
そう言って押し売りではない旨を月島に伝えれ
ば、彼女の作るものに興味を示すので、美月
だけじゃなく、黒尾達も驚いて、目をぱちぱち
と瞬きをした。
「あらあらあら。」
「意外と可愛いものが好物なんだねツッキー。」
もちろん最高なネタを聞き逃さない先輩達は、
面白がって月島を2人で挟んで肩を組んで、
彼の頬をつついたり、小突いてみたり、好物
を言ってしまったことに後悔をする後輩に、
楽しそうにちょっかいを出す。
ふざけながら先に宿舎に戻る木兎達に 、美月と
赤葦は呆れた顔で後ろから続いて、2人並んで
歩き、彼女は黒尾が月島が顔を出してくれた事
に喜んでいるのが分かっていたのか、微笑ま
しく、それを眺めていた。
すると突然、ぐいっと右腕に負荷がかかるの
で、彼女は驚いた声を出そうとしたら、それを
赤葦に遮られ、彼の指先は空へと向いていた。
「しっ。せっかくだから、少しだけこれを見て
帰りましょう。今年も今回で最後ですし…。」
『わー、ほんとだね。凄く綺麗。』
夏とはまた違って、少し肌寒さを感じる夜空は
また違った美しさを魅せていて、都会では目に
することの出来ない光景に、思わず見蕩れて
しまう。
木兎達に見つかってしまえば、星より飯だ!と
背中を押されてしまうと赤葦に言われて、彼女
も自然と感動であげる声は小さくなっていた。
「美月さん、寒くないですか?」
『私は大丈夫だけど、赤葦君の方が汗で
冷えちゃうから、そろそろ切り上げないと。』
「俺はこれで大丈夫ですから。」
平然とした様子で赤葦は背後から美月を抱きし
めて、温かいと小さく声を零し、美月は羞恥で
身動きが取れず、久しぶりの彼からの抱擁に
戸惑っていた。
「年に1回じゃないから、俺は彦星よりも贅沢者
ですね。」
『赤葦君は、また変な事言って…。』
「いつの間に、下の名前で呼ばなくなったん
ですか?結構気に入ってたのに。」
月島ばっかりずるいですよと言葉を付け足して、
彼らしくない正直な嫉妬の声に、『えっと。』
と美月は返事に困って、ぽりぽりと頬を掻く。
『変な呼ばれ方で調子狂わせたら、申し訳
無いなと…。』
「俺はそんな事ではミスしませんって。
逆に距離感を感じて、寂しいです。」
『京治君と距離があるとか、そんなこと思った こともないよ!』
赤葦が不安の言葉を吐けば、美月は真っ向から
否定をして、その彼女の言葉に安心をする彼は、
ふふっと微笑むと、抱き締める力を強めると
彼女の首元に鼻を寄せた。
「久しぶりに美月さんの香り、味わってる
気がする。」
『え、ちょっ!汗臭いかも!』
「そんな事、全然無いです。それだと、俺の方
こそ、汗をかいてますよね。すみません、何も
考えずに。」
『そんなことない!全然、平気!』
慌ててブンブンと手を振る彼女が可愛く見えて、
もう少しだけ、彼女を堪能したいと思った矢先、
2人がなかなか来ない事を怪しく思っていた
人物は、鼻息を荒くして、木兎と黒尾が赤葦
の邪魔にやってくる。
「ったく、油断も隙もねー!ウチのマネージャー
を誑かすなつってんだろ。」
「美月ちゃんとのハグ、俺だってここ最近
少ねーのに!」
騒がしく赤葦を怒りながら、木兎は2人を引き
剥がすと、なかなか来ない美月の心配をして、
後からその場に駆けつけた夜久が自然に美月
の手を取り、食堂まで彼女を連れて行く。
「え、待って。美味しいところやっくんが
持って行くの?」
「食堂で食いっぱぐれたら、美月が可哀想だろ。」
『食堂の時間、気にしてくれてありがとう。』
ご最もな彼の意見に、3人共は何も言い返せず、
ジロっと冷たい視線だけを野郎達だけに送り、
彼は美月を連れて歩き出す。
夜久がムキになった理由が少しだけわかって
いた黒尾は、なるほどね。と納得した表情で、
今まで他校の人間には嫉妬をする姿を見せな
かった男を見て、ニヤリと口角を上げるの
だった。