前夜から本番へ


『研磨は、忘れ物してない?』


「うん、大丈夫。」


会場から近い宿に泊まる予定だった決戦前日。
灰羽の鞄の中にフリルのついた大きな枕が紛れ
込んで、思わぬアイテムに先輩達が爆笑する中、
美月も念の為と孤爪に確認を取っていて、その
やり取りを見逃さなかった灰羽と山本からは
ブーイングが飛んでいた。


「研磨さんは美月さんが心配してくれるから、
最強じゃないですか!」


「夜久さん、ああいうのを羨ましいって言うん
ですって!」


『私は茜ちゃんみたいな妹もアリサさんみたい
なお姉さんも羨ましいけどなー。せっかくなら
一緒にお泊まりしたかったよね。』


「「いや、絶対に大変なことになりますから!」」


「ちょっと、2人ともうるさい。」


灰羽は先程夜久に羨ましいと怒られながら彼に
蹴られていたので、孤爪達を指さし訴えていて、
ギャーギャー騒ぎ立てている2人を孤爪は煙た
がる。


携帯ゲームを触る手は止めない孤爪を横目に、
黒尾は慣れた態度で「美月も意外と忘れ物する
よな?」と彼女のそそっかしい所を指摘していた。


『そう思って、今回は念入りに準備をしてます
からね?』


彼女も同じ宿舎に泊まる予定となっていて、予算
の都合上、一応仕切りの準備はあるらしいが、
宮城での遠征同様に同じ部屋。


「俺は果たして、美月さんと同じ屋根の下で
眠れるのだろうか。」


「何だ、山本。お前だけ廊下で寝るか?」


「黒尾さんは鬼っすか!?」


「美月さんと同じ部屋、楽しみっスね。」


『なんか、修学旅行みたいでわくわくしちゃう
よね。』


「リエーフ、絶対に変な事すんなよ?」


「ここにも鬼先輩がいることを忘れてた…。」


後輩達は恥ずかしさ半分、楽しみ半分といった
ところか、山本が腕を組んで悩んでいる横で、
黒尾は前回の時と似た返答。


呑気な美月はみんなの輪の中に混ざれる事を
嬉しくしており、前回の遠征では不参加だった
灰羽に夜久はしっかりと釘を刺していた。


「鬼先輩を目の前に出来ねえだろ。」


「俺はお前の事も見張ってるから。」


前科があり過ぎると、夜久は黒尾をじっとりと
見つめ、黒尾も無言で笑顔を向けて、お互い様
だろと心の中で言い返す。


先輩達も人の事は言えないのでは?と後輩達は
考えたのだが、見つめ合う二人に言える人間は
その場にはいなかった。


調整も兼ねた最後の母校での練習はいつも以上
に気合いが入り、美月も周りの空気がいい方向
だと、満足そうに見守っていた。


練習を終えて宿舎に辿り着けば、古めかしさに
趣を感じて、美月はその雰囲気もまた素敵だと
目を輝かせる。


「美月、嬉しそうだな?」


『ほら、こういう所のだし巻きとか焼き魚とか
美味しかったりするじゃん?』


「わかる。」


下手な煌めいたホテルよりも落ち着いて、海や
黒尾と会話した通り、夕食も自分達好みで箸が
止まらなかった。


ミーティングを済ませて美月が風呂から上がる
と、同級生達がソファで談話しているのを発見
し、自販機でジュースを購入すれば、夜久が
彼女にスペースを空けた。


『やっくん、混ーぜてっ。』


「おう、ここ座って。」


あまりにも穏やかに過ごせているので、それが
かえって不安になった美月は、疑問を素直に
口に出し、ソファに頭を預ける。


『私、ここでこんなにのんびりしちゃってて
いいのかな?』


「平常心で過ごせるのが1番だろ。」


「そう言いながら、本番は緊張で案外ガチガチ
かもよ?」


すると夜久は美月にそう答えて、黒尾は彼女の
性格を読んでか、ニヤニヤと笑いながら予想を
立てる。


明日の事をぼんやりと考えていたら、美月の隣
にいた夜久は、ふんわりと引き寄せられた香り
に素直に疑問が浮かび、視線はつい彼女の方を
向いていた。


「美月、シャンプー何?その匂い好きかも。」


『ヘアオイルの香りかな?前に雪絵ちゃんにも
言われた事ある。気に入ってるから、リピート
しちゃってるんだ。』


「女子って、ケアとか大変そうだよな。」


「夜っ久君には、無縁の話だよね。」


「黒尾にだけは言われたくねえ言葉だわ。」


「俺にもきっと、無縁の話だろうしな。」


黒尾達の言い争いも、海の自分の頭を撫で回し
た珍しいジョークも、黒尾と夜久が驚いた顔も
どれも面白くなって、美月はクスクスと肩を
揺らしながら、彼らと一緒に笑った。


その時は楽しくて、また部屋に戻っても後輩達
と先輩のやり取りに呑気に笑って、寝付きも
十分良かったはずなのに、当日を迎え、会場に
出発となると、美月の中に流れていくものの
感覚が徐々に変わっていく。


開会式は、いつも傍にいる人間が離れた場所に
いるからなのか、白福達にも今日はまだ会えず
にいた為、いつも以上に美月は緊張していた。


オレンジコートも照明の眩しさも、彼らと共にしないときっと味わえなかった。
美月はなかなか温もらない自分の手を擦り、仲間
の登場を監督達の後ろで静かに待つ。


「美月ちゃん発見!…って、何か緊張してる?」


「これだけの人を目の前にしたら、しょうがない
ですよね。美月さんらしいというか。」


その間、行進で歩く見た事のある強豪校の中に
木兎達梟谷学園の姿もあり、ふと彼女は木兎や
赤葦と目が合ったのか、木兎にスマイルと促さ
れた。


『やっぱり、こんな中でも余裕がある木兎君達
凄過ぎるって。』


彼らは入場前の集合場所で会ったのだろうか。
だとしたら羨ましいと考えていると、烏野の姿
も視界に入る。


『私達、ついに来ちゃったんだよね。』


その声は届かないライバルに向けて微笑むと、
ふと月島は自分に気がついてくれた気がして、
それに嬉しくなって、誰にも気が付かれない
大きさで、彼女は月島に手を振る。


知った顔が少しでも見れたら気持ちは和らいで、
いよいよ自分の仲間の登場を目の当たりにする
と、まだ試合もしていないのに目頭は熱くなって
いた。


「美月のヤツ、泣きそうになってんじゃん。」


「美月さん、感動してる。」


「アイツ、まだ試合もしてねえっつーの。」


「美月、朝から緊張してたからこっちも
移りそうになるよね。」


美月の姿を先頭の黒尾より先に、夜久が見つける
と、その姿を捉えた灰羽も彼女の反応を見たら
笑いを堪え、幼馴染み達はまだ泣くのは早いから
と照れ臭い様子。


ただ、その先に緊張しすぎている人物がいた為
か、行進前の緊張感は自然と解れていく感覚、
そして周りを見渡し、これから始まるのだと身
を引き締める。


整列している彼らを目にすると、美月も気持ち
が切り替わったのか、先程と面持ちは変わる。
準備は整った。後は彼らと巡り合う為に自分が
出来る限りの事をするだけ。


「美月、また後でー!」


『あ、やっと会えた!うん、また後で!』


美月の周りに向ける目に余裕が出来ると、数
メートル先には白福達の姿が見えていて、彼女 達は会場が違うからとその場を去り、再会を
誓った。





top