曲者な相手
東京体育館へ訪れると、美月の緊張感は戻った。
そんな中で見慣れた姿を見かけたら、強ばった
気持ちは薄れ、心に余裕が少しだけ出来る。
『おはよう。』
移動のすれ違いざまで赤葦と木兎に遭遇した
美月の顔が緩み、それにつられて赤葦も優しい
表情に変わるのは彼女にまた会えた嬉しさから。
「おはようございます。」
それはゆっくり会話が出来る時間は無くて、簡単
に手を振っただけの挨拶で一瞬の出来事。
「美月ちゃんじゃん!」
張り切ってんなーと楽しそうに彼女に手を振る
木兎の機嫌が上がっている隣で赤葦も気持ちが
舞いあがる単純さに自嘲しながらも、気分良く
歩いた。
「赤葦、わっかりやすいなー。」
「木兎さんに言われたくないです。」
向こうも勝って、自分達も勝ち抜けた後に美月
の笑顔が見れることを願い、目を伏せる。
彼女の方へ振り返らずに進む彼は、あとはこの人
のコンディション次第と浮かれる先輩を横目に
見ていた。
「美月ちゃん、わざわざ俺を見つけてくれたよな!?」
「今回はそういう事にしておきましょう。」
こんな彼らの会話も通常通り。
梟谷の2人と同じく張り切って仲間の元へと戻る
美月も調子が戻ったことに胸を撫で下ろす。
『さっき、京治君達とすれ違っちゃった!』
「やけに嬉しそうだな。」
『やっぱりこの人数の中知ってる顔みたら、
ちょっと安心しない?』
「じゃあ、美月さんは俺の顔じっと見てたら緊張
しないんじゃないですか?」
黒尾に嬉しく報告する美月の話を聞いた灰羽が、
閃いたと目を輝かせて顔を近づけ始め、それに
困った顔で笑う美月は一歩下がり、瞬きをする。
『うーん、リエーフの綺麗な顔を見るのは
眩し過ぎるかな。』
「ここに来て新事実!!!」
「お前見てると眼精疲労だってよ。」
さらりと褒め言葉を足した内容に、後輩が目を
見開いて喜ぶ間もなく夜久が口を挟み、「えー」
と不服そうに答える灰羽は口を尖らせた。
「夜久さん何気に酷くないですか?」
『やっくんも綺麗な目をしてるから照れちゃう
かな。』
「そっそうか?そんな事ないと思うけど。」
「自分ばっかり喜ばないでくださいよ。
俺が最初に美月さんに言われたのに。」
「クロならいけるんじゃない?」
「どうも、澄んだ目をしてなくてすみません。」
孤爪の一言に遠慮の無い後輩も納得をして、
ふいっと顔を逸らすのは黒尾の方からだった。
上手く目を合わせれないのは、自分の朝の行動
やその時の彼女の表情が理由となり、 笑い出す
美月の声だけを聞く。
「牧野さん、笑い過ぎ。」
『猛虎や研磨には睨めっこも勝てるかな?』
「さすがの俺も美月さんと目を合わせるのは
慣れましたって。」
『そっか、ちょっと嬉しい。』
「まっ、不意打ち!!!」
「慣れたんじゃねーのかよ。」
赤面する山本にまた辛辣な言葉を夜久が向け、
平穏な会話を見届ける黒尾の心配事も一つ消え、
次なる戦いの為にコートへと移動する。
「ほら、いつものヤツやるから集合。」
円陣を組めば気持ちは切り替わり、また一つ
次に進む試練はやって来た。
高鳴る気持ちに深呼吸して、自分のやるべき事
を全うする。
気合いを入れれば、夜久や海にも頼もしいと
笑顔を向けられた。
「今日も楽しむぞ。」
『やっくんのプレイ、楽しみ!』
「おう、しっかり見とけよ?」
試合は何度もやってきたはずなのに、今自分達が
立つ場所がオレンジコートというだけで簡単に
は次には進ませてくれない。
そのもどかしさを1セット目から痛感した美月は
自分達のプレイをよく知る相手との試合を手に
汗握りながら見守っていた。
1セット目は自分達が有利に動いて見えるが、
いつもよりも孤爪が動かされていて、一回目の
タイムアウトで相手の狙いは分かっていても
見慣れない光景に怪我を心配してヒヤヒヤする。
『ウチの事をよく観察してくれてるね。』
「パッと秘策みたいなものを思いついて、
全然疲れずに勝てたりしないかな。」
「馬鹿言ってる。」
「研磨の癖に頭悪そうなこと言ったな。」
ぼんやりと遠くを眺めてぼやく孤爪に、仲間は
いつも通りの冷静な言葉を返して、美月も孤爪
らしい楽を考える発言に苦笑いを浮かべる。
セッターを潰そうとする策略に、黒尾達は孤爪
を守る得意の粘りなら負けないと意気込めば、
孤爪はただの我慢比べはつまらないとあえて
レシーブを乱す指示を送った。
「そりゃあ、指示通りの位置に上げろって言われ
たらやるけど、お前既にバテバテなのに大丈夫
かよ?」
「俺だってちょっとくらいなら動けるから。
毎回エンドラインまで上げろって言われたら
嫌だけど…。」
皆の方が大変だからと説明する孤爪は、皆は
根性の使い手だから可能だと伝え、夜久に他の
要望を聞かれたら、高くあげて欲しいと彼は
答える。
「了解!」
彼らの力強い目付きに彼女も頷き見守って、
しかしこれから続く長いラリーに油断は出来な
かった。
『研磨の粘り強さもちゃんと見てきたから。』
誰よりも負けず嫌いで、最後まで諦めずにやり
遂げる姿は、小さい頃から見てきた。
時折転びそうになる幼馴染みに彼女も必死に
声掛けをして、相手が孤爪の策略に混乱する時
をひたすら待つ。
ブロックを誘う孤爪の動きに相手が惑わされ、
相手がその策略に気がついた時、思わず彼女も
偽った心配する表情が緩みそうになった絶妙な
タイミングで、悔しい事に試合の止まる音が
コートに響いていた。
「んん、ナイスタイミングッ…!」
『さすが、向こうも対応早いですね。』
喜ぶ間も無く、こちらの戦法に気がつく早流川
にすぐにタイムアウトを取られてしまい、この
流れをもちろん切りたくない音駒は好調を保て
る様、心掛ける。
流れを切られそうになり、不服そうな顔をする
孤爪を美月は気にかけるが、彼の集中力を切り
たくない彼女は声を掛けずに、静かにドリンク
を渡した。
「ありがとう。」
『うん。』
「美月、俺の事心配してる?」
『…過保護になり過ぎない程度に。』
「俺はまだ大丈夫だから心配しないで。」
「過保護の自覚、あったんだ。」
彼女の配慮に気がつく孤爪がそう声を掛けるが、
孤爪が相手側を見る表情から、引き続き孤爪を
攻めることを徹底する事が読める分、不安は心
の中に出てくる。
『研磨が大丈夫な時は大丈夫だもんね。』
しかしその不安の言葉は飲み込んで、彼女が目
を細めて微笑むと、その一瞬微笑む孤爪もそうだ
と頷いた。
「だから、しっかり見てて。」
タイムアウト終了の合図が鳴ると笑顔で彼らを
送り出し、再び試合に臨む。
長く苦しい戦いは、これからが始まり。