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どうぞ、と景光くんに手渡したのは私が今の機種より以前に使っていたスマホである。
回線の解約はしたものの、何故か手放せずにいて眠っていたままだったのを思い出したがまさか再び使う場面が出てこようとは思いもしなかった。
さすがに充電は切れていたのでコネクターを接続し復活を待つ。
共同生活をするにあたっての確認事項を済まし、彼の衣服が目に入る。きちんと折り畳まれてはいるが、向かって右側上部…心臓が位置するであろう箇所には今の今まで気付かなかったが弾痕であろう穴が開いている。彼ーー景光くんはこの服で十分とは言ったがこんな服装で外に出ては不審者まっしぐらである。
生きていく上で必要な衣食住の食と住は確保されたにせよ、衣服が今のところスウェット(兄の物)のみ。これでは彼も動きたくとも動けないだろう、多少強引かとは思ったがその場でサクサクと買い物を済ませる。スウェットを兄と然程過不足なく着こなす彼を見ておおよそのスタイルは変わらないだろうと判断した。
衣服に関してはそこまでこだわりはないが、上着と靴に関しては多少妥協出来ないクセがある。
気軽に外出はしないーー出来ないであろう景光くんだとしても対してもそこは譲れなかった。ショッピングモールに行けば品数も豊富で彼好みの一品も見つかるだろう、しかし人目とカメラも常時稼働しているような場所に彼が気軽に出掛ける事は考えられず、かといって自分自身のこだわりも妥協は出来なかった。
そこで思い出したのが行きつけのバーのオーナーが古着の店もやり始めた、という話だ。取り扱いはメンズのみらしいがオーナーのセンスは店同様興味があったので一度お邪魔した事があった。
もう着られないからな〜!と立派な腹をペチペチと叩くオーナーが若い頃に着ていたと言う服や小物などどれも素敵で今では見かけないようなヴィンテージ物もあり更に追加で気に入った品だという物も並べられていた。趣味でやっているので採算は度外視と言いながらも気に入った客でなければ販売はしないようだが、なまえちゃんならいつでも大歓迎だよ、と穏やかに笑いながら言われた。コートや靴は流石にサイズが大きすぎるのでパーカーやTシャツなどを購入した。
ピロン♪
小さな電子音が鳴り端末の復活を報せる。一通り操作し、使用するのに問題のない事を確認する。
「Wi-Fiがあれば通信も通話も出来るので、家では問題ありません。外でもある程度は使えると思いますがひとまずはこれで」
「…何から何までありがとう…助かるよ」
バーのオープンは一応19時となっているが、オーナーが寝坊してたまに開いていない事もあるので20時に向かう事を景光くんに告げる。1〜2時間程度で帰る予定と共に、晩ご飯の事を考える。
「晩ご飯、どうしましょうか…と言っても妙な時間に食べちゃいましたけどお腹空きますよね?少し遅くなっても良ければ何か適当に買って帰りますが」
「飲んでくるんだろう?ならおにぎりと味噌汁で良ければ用意するよ」
「味噌なんかありましたっけ?」
「…キッチンにインスタントがあったよ」
「……そういえば買ってました」
肌寒くなってきた頃に何か温かいものを手軽に摂取したくて適当に買い、しばらくは飲んでいたものの退職での引き継ぎ残業が怒涛過ぎてお湯を沸かす事すら億劫で存在を忘れていた。
「なまえちゃん…ひとつ、謝らないといけない事があって…」
「はい?」
「なまえちゃんがいない間に一通り、家の中を調べたんだ」
「ああ、なるほど」
それでインスタントも把握してたんだな、と思いながら返事をする。気まずそうな表情で切り出した景光くんが今度は困惑しながら少し声を荒げる。
「なるほど、て、嫌じゃないのか?自分がいない間に家の中を探られて…!」
「…いや、別に見られて困るような物はありませんし…その時の景光くんには必要な行動だった、ですよね?」
「…オレが言うのもなんだけど、君には警戒心という概念はないのか…?」
「一応人並みの警戒心はあると思ってますよ。ただ、今この状況で景光くんに対しての警戒心って要りますか?要らないですよね?」
「君が、オレを信用してくれているのはありがたいが」
「こう見えても一応女の一人暮らしですし最低限自分の身くらいは自分で守ってきたつもりです。それはこれからも変わりありませんので」
景光くんが自分の行いを謝罪しようとしたものの私の警戒心とやらのなさに何故だか説教を受けたような気持ちになってしまい、つい食ってかかった返し方をしてしまった。
「…こうなっても?」
私の警戒心のなさになのか食ってかかった態度になのか、何とも言えない表情だった景光くんが冷ややかな眼差しで肩をトン、と押し倒しソファーの上で覆い被さる。顔の距離をこれでもかと詰めながら右手は腰の辺りで止まる。
「何の真似ですか」
「君は、警戒心がなさすぎる」
「だからヤる気がなくても襲える、と?」
「愛がなくてもセックスはできる」
「残念ながら私は愛と同意のあるセックスしかしませんので」
「それは君の都合だろう?」
「ええ。そしてヤる気が一ミリもない人間の相手もするつもりはありません」
「…オレが、襲わないとでも?」
「私に危害を加えるつもり、ないでしょう?」
口を開けば息がかかる距離で真っ直ぐに景光くんの目を見る。
押し倒されている体勢ではあるものの、襲おうとするような気配は微塵も感じられない。自分に何かしらの危害を加えようとする人間は何となくわかるものだが、目の前の彼からは何も感じない。先程はついムッとして口調を荒げてしまったが落ち着いて考えればわかる、私の心配をしての事なのだと。まぁだからと言ってこの方法が適切であるかどうかについてはハッキリと否である。
私の視線の中身を受け取ったのか、ごめん、の言葉と共に体から圧迫感が消える。
「本当にごめん…」
「はい、わかっていただけたのであれば構いません。あ、おにぎりなら漬物でも買ってきましょうか、ついでに飲み物も買ってきます。すぐに戻りますので」
「あ、あぁ、」
スマホを握りしめ、努めていつも通りに、冷静な素振りで家を出る。
……あっっっっっぶな!!!!!え、ちょっと待って、え、顔近っか!!!!!え、待って?私フツーに対応出来てた?出来てた?????いや景光くんも本気で何かする気はなかったそれはわかる、わかってるけど…あの顔で近距離はしんどい…
あまりに非現実的な展開すぎて意識してなかったのか、しないようにしていたのか。
うっかり先程の至近距離の顔面を思い出してしまい、掻き消すように小走りでコンビニへ向かう。戻るまでにはこのざわめく心臓を落ち着かせなければ。
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