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家主を差し置いて先に寝室へ移動するのもな…と思いお風呂上がりの彼女を待っていると髪の毛からポタポタと水滴を垂らしながら出てきて驚いた。服は上下ともに着てくれていて安心したが、まさかその濡れた状態のまま寝てしまうつもりなのだろうか。聞いてみると彼女曰く"休憩"してから乾かすつもりらしく、いくら室内とは言えそのままの状態では風邪を引いてしまうだろう、多少強引にソファに座らせる。
初めは何とか起きていようとしたのだろうが徐々に口数が少なくなり微動だにしなくなった。ひょい、と顔を覗き込むと何とも器用に眠っている。ソファにもたれかかるでもなく、首を少しだけ前に垂らした状態で静かに眠っている。
ブローが終わり、日頃使っているであろうヘアオイルを静かに髪の毛に馴染ませる。その間も目を覚ます事はなかったのでこのまま寝かせようと抱き抱えベッドへと移動させる。動かすと起きるだろうか、と思ったが横にしてもそのまま静かに寝息を立てている彼女に自然と笑みが溢れる。
布団を掛け、目に掛かる前髪をそうっと払い除け既に夢の世界の住人である彼女を起こさぬよう小さく声をかける。
「…おやすみ、なまえちゃん」
寝煙草する以外ならどこで吸っても構わない、という彼女の言葉に甘え、移動した二階で一服する。
なまえちゃん夕飯の時も割と飲んでたような気がするけどまだ飲もうとしてたんだな…。
彼女の飲酒量を思い浮かべ、あんなに飲めるなら松田やゼロといい飲み友達になれそうだな、なんて有り得ない妄想をしてしまう。彼女が言うにはゼロは生きて、組織壊滅へと孤軍奮闘、いや独りではない、か。組織内はなくとも警視庁には頼れる仲間達が万全のバックアップをしている筈だ。願わくばオレも隣で、時には背を預け合い、闘っていたかった。どこからどう漏れたのかは不明だが、オレのせいでゼロにまで危害が及ぶのは有り得ない。オレは、あの場で最善の選択をした筈だったが、かつての伊達班の中で一人となってしまった幼馴染を思い、緩く細く紫煙を吐き出す。
なまえちゃんは一ヶ月後の新月の日、と言っていたが、果たしてその日に何か起きるのだろうか。元の世界へ戻れる?戻れたとしてそれは、いつの、どこへ?そしてこの生きた状態のままなのだろうか?
何故今自分がこの様な状態で生きているのか。何か意味はあるのだろうか?
再び考えたところで結論が出る訳でもなく、何かが起きる訳でもない。
夜中に考え事をするのはよそう。半分以下になった煙草を灰皿に押し付けしっかりと火が消えたのを確認して布団を被る。朝食は何を作ろうか。彼女はまたゆっくりと起きてくるだろうか。そんな事を考えながら静かに睡魔へと誘われていく。
*
なまえちゃんが渡してくれていたスマホのアラームが鳴る少し前に目が覚め、静かにリビングへと降りる。しかしそこに彼女の姿はなかった。お手洗いか洗面室か。そう思いながらビーズクッションに腰掛けるが、物音がしない。おかしい。もし居たら申し訳ないと思いながらも洗面室、お手洗いと確認するがどこにも彼女が居ない。
まさかオレではなく彼女の身に何かが…?
焦る気持ちを抑え玄関へと向かうと、反対側から扉が開かれる。
「…おはようございます、景光くん」
「なまえちゃん…?」
「?はい。あの…入ってもいいですか?」
「あ、あぁ、ごめん…」
手に提げたビニール袋を台所に置き上着をハンガーに掛け手洗いをする。食器棚からスプーンと置いていたビニール袋をそのまま持ちリビングへと向かう彼女にならい、彼女はソファへと、オレはそのまま床に腰を下ろす。
「景光くん早起きですね。ヨーグルト食べます?」
「ヨーグルト…?」
「目が覚めたらなんか急に食べたくなっちゃって。あ、プレーンとイチゴどっちがいいですか?」
「……なまえちゃんが好きな方選びなよ」
「…景光くん、顔色悪そうですけど、もう少し横になりますか…?」
「ああ…、いや、大丈夫…。顔洗ってくるよ」
急に食べたくなったヨーグルトをコンビニに買いに行っただけ。オレがまだ寝ていて、すぐそこの距離、買う物も決まっているので極々短時間、だから彼女はそのまま静かに出て、帰ってきた。
ただそれだけの事だったのに妙に焦ってしまった自分に何とも言えない気持ちに襲われ、冷水で洗顔し気持ちを切り替える。
「景光くん、イチゴでいいですか?」
「…なまえちゃんの好きな方でいいけど…何でイチゴ?」
「なんとなく…?」
確かにイチゴ味は好みではあるが、どちらでも問題はなかった。けれど彼女はきっとオレの好みであろう方を察して差し出してきた。この数日間確かに彼女と色々と雑談は交えたが特段イチゴ味が好きだと言った事はないように思う。そこまで考え、ふと思い出す。これも彼女は紙面で知った事なのだろうか。
ありがとう、と言って受け取る。
「景光くんの好みまでは描かれてなかったですけど、」
安室さんはセロリが好物らしいですけど本当ですか?と続ける彼女に蓋を開ける手が止まってしまう。
「…本当だよ。ゼロは料理からっきしだったんだけど、セロリのピクルスを作ったらすごく気に入ったみたいで…」
「そうなんですね。私もセロリ好きなので食べてみたいなぁ」
「今度作ろうか」
「やった」
きっと彼女は気付いている。オレが起きて、自分がいなかった事でオレが動揺していた事に。でもそれを話にする事はないのはーー彼女の優しさだろう。オレに問い掛けたところできっと認めはしない。それに対して彼女は自分が書き置きもせずに外出した事に自分を責め、それを否定するオレを気遣い更に自分を責めオレに負担をかける、とでも思っているのだろうか。隠そうとするオレに対して普段と変わらぬ態度の彼女からそんな気遣いが受け取れる。それでも彼女は自分自身の中で責め続けてしまうのだろう。
「…なまえちゃん」
「はい?」
「……、書き置きかメッセージでもいい、寝ているとかは気にせずに一言、知らせてくれると、ありがたい…」
このまま彼女の優しさに甘えたままにする事も出来たがそうはせず端的にオレの気持ちを伝えると、困った様な、でも少し安堵した表情を混ぜた笑顔で彼女が答える。
「…ありがとうございます。次、からは、そうしますね」
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