4


念願の退職手続きを終えたものの、帰路の電車内でトラブルに遭遇しやっと動けるようになり重なる解放感からアレコレと買い込んでしまいどうしようか…と思いながら帰宅すると数時間前と変わらず男がそこにいた。
てっきりいなくなっていると思っていたので買い込んだ惣菜は無駄にならずに済むようで安心したが、いくつかの引っ掛かりを覚える会話に訂正を試みるもそれは成し遂げられないままプチ退職祝いとしていつもよりビールを流し込む速度が上がった。
気分がよくなってきたところで諸伏さんに飲み過ぎなのを嗜められた様な気がするが、ふわふわと心地よい気分のままソファーに横になったと思われる。

が、目が覚めると身体が感じたのは合皮張りのソファーでなく、程よい柔らかさのマットレスに自身をふわりと覆う掛け布団だった。自分で移動した記憶はないので諸伏さんが運んでくれたのだろうな、と思いながら何も被らずにベッド端に乗っている顔を見た。スヤスヤと寝息を立てているが肌寒いのだろう、身を捩る様子が見られたので自分にかかっていた掛け布団をそっと移す。ベッドに移動させようかとも思ったがさすがに二日連続で成人男性のレンジャーロールは想像するだけで疲れてしまったので申し訳ないが静かに寝ているのでそのままにしておく事にした。

特に予定はないが昨日はシャワーを浴びず飲んでそのままで寝てしまったので、心身の洗浄を求める為にそっと浴室へと向かう。

久々に湯船を張りゆっくりと入浴を終え、鏡の前で歯ブラシを咥えながらさて今日はどうしようかと考える。映画や買い物に出掛けてもいいだろうが週末ならどちらも人混みは避けられないな…と頭の中で予定を組み立て直したところで、ハッとベッド端に眠る男の存在を思い出す。というか今この一瞬その存在を忘れていた自分の脳味噌にいささかの不安を覚えながら口を濯ぐ。

諸伏さんはまだ寝ているだろうか、それとも。
どちらにせよテーブルの片付けをせねば、と部屋への扉を手にかける。

「ああ、やっぱり風呂だったか。黙って出て行くのもどうかと思って、少し待ってたん、だけ、」
「いえ、お構いなく。ベッドに運べずすみ「ちょっと待って!?君、女性だったのか…!?」
「…男だと言った記憶はありませんし恐らく間違われていると思ったので訂正しようとはしたのですが…すみません騙すつもりは」
「いやっ、憶測で勝手に判断したオレが悪かった…」
「いえ、私も分かりづらい格好でしたし、間違われるのは慣れてるので大丈夫です」
「いや、それでもすまなかった…、本当にごめん…!…あと、服、着てもらっても、いいか…?」
「……?あっ。」

とても申し訳なさそうな表情をした諸伏さんが片手で顔面を押さえ項垂れながら言った言葉にふと自分の格好を思い出す。ゆっくり浸かりすぎ少し茹だってしまいスウェットパンツは履いたものの、上半身は下着のみというスタイルだったのを忘れていた。
特段自慢出来る程のボリュームではないが流石に服を着る時にノーガードというのはいささか抵抗がある。なので風呂上がりは熱さが引くまでこのスタイルでいる事がままあるのだが、自分以外の人間がいる事を失念していた。介抱した友達にも、あんた裸族なの…?と怪訝な眼差しで見られたのは少し昔の話である。失礼な。下着はつけているから半裸状態だ。
昨日はシャワーもせずラフになりたいと着替えただけだったし、正直彼の存在を忘れかけていたのは事実である。怪しい人間、と彼は己のことを指して言うが、そんな彼からしても私も怪しい人間ではないだろうか。そんな怪しい人間、しかも男だと思っていたのがブラジャー姿であらわれれば動揺は避けられないのだろう。

「これは…お目汚し失礼いたしました…」
「…、いや、そういう事ではないが…」
「取り敢えず、服着てきますね」
「そうしてくれ…」

ブラジャーもつけていない状態ならまだしも、つけているのであれば水着とさほど変わりはないと思う。下はちゃんと履いてたし。最初は上下共に下着姿だったのだが、酔っ払いの友達を介抱している時に服を着ろ!と強く言われたものの風呂上がりは熱いから着たくない、という私の言葉に、頼むから上か下かどっちかだけでも着ろ!という言葉に押され下だけは着る意識はつけてはみたが諸伏さんも然程影のない膨らみでも戸惑うのだろうか。取り敢えず言われるままに浴室に置いてあったままのスウェットの袖を通し部屋へ戻る。

「先程は失礼いたしました」
「いや、オレの方こそ悪かった…本当にすまない…」
「いえ、慣れてますので」
「…今更なんだが、名前を聞いてもいいかな?」
「あ、みょうじなまえです。性別も性自認も女で性的志向は男性です、が誰彼構わずという訳ではないのでご安心を」
「…ご丁寧にどうもありがとう。みょうじさん、の服装は随分ボーイッシュに見えるし、黒、が多いんだね…?」

諸伏さんを見付けて担いだ日は、黒のオーバーサイズパーカー、ブラックストレートデニムに黒のハイカットスニーカー。翌日は黒のカッターシャツに黒のスリムチノパン、黒のミディアムブーツ。アウターはモスグリーンのモッズコートだが、へたりが気になってきているのでそろそろ買い替えたいと思っているところだ。

「あぁ。黒の方が合わせやすいですし。ボーイッシュなのは友人の要望というか、まぁ自分でも好きな格好ではあるので」
「要望?」
「あー…まぁ元々よく間違われるのと、友人のナンパ除けでパンツスタイルが基本になってましたね」
「なるほど。友達の為、か」
「為、というか…まぁスカートだと動きづらいのもあるし諸伏さんを担いでくるのも難しかったでしょうから、特に問題はありませんよ」

実際、誰も見ていないだろうとはいえスカートであのアクティブな動作は少々やりづらいだろうと想像する。

「え、ちょっと待って?オレ、担がれたの?君に?」
「はい」
「その細身で…?!」
「…はい。まぁ初めてだったんですけど意外とうまく出来ました」

これです、とスウェットに入れていたスマホを取り出し検索した動画を見せる。
なるほど、これなら…と何とも言えない表情をしながら自分より大きな手に渡した中の画面を見つめながらぽつりと呟く。

「諸伏さんも、お風呂入ります?私の後のでも良ければ湯船も張っていますが…」
「いや、そこまでは…と言いたいところだが…、一度頭を整理したい。シャワーだけでいいからお風呂借りてもいいか?」
「浴室内の物はご自由にどうぞ、タオルは扉の横にある棚から。今着ている服は洗濯して乾燥機かけるので乾くまでは…兄の物で申し訳ないですが身長は同じくらいだと思うので恐らく着られるかと。あ、ジャケットはさすがに洗濯機にはかけられないと思うので適当に置いといてください。替えの下着はすぐそこにコンビニあるのでご心配なく、その間にゆっくりどうぞ」

家に来ていた友人達は、風呂〜♪と言いながら勝手知ったらなんとやらで入浴していたが諸伏さんは初来訪である。しかしどうせ入浴するのであればゆっくりしていただきたいと思い必要事項を伝える。風呂上がりに同じパンツは物理的にも精神衛生的にも気にかかるだろう、さすがに兄のパンツを履かせるのも申し訳ない気がするので返してもらったスマホを受け取り玄関へと向かう。

「いやさすがに下着まで用意してもらうのは…君、お人好しって言われないか…?」
「下着に不備があると心身の不調に繋がります…自論ですが。それにコーヒー買いに行きたかったのでついでです…あとは退社祝いに付き合っていただいたお礼、ですかね」

安上がりですみませんが、と言い残し諸伏さんを浴室へと追いやり玄関の扉を抜け出し施錠する。空高くに輝く太陽をぼんやりと眺めながらコンビニへの道を小走りで進めていった。

諸伏さんもコーヒー飲むかなあ。



←3main5→






top