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男性の割には細身だとは思っていた、そういった体質の人間もいるだろうし、はたまた筋肉をつける必要がない世界で生きているからか。
しかしそのどちらでもなかった事実にいくら自分が訳の分からない状態だったとはいえ男女を見間違えてしまった事、突発的な事故だったとはいえ見てしまった事に申し訳ない気持ちが込み上げる。
彼ーーいや彼女からしたら見ず知らずの不審者でしかないであろうオレに対しての危機感のなさに心配を抱きつつも、この国が平和である事の証を見たかのような気がして少し嬉しくもあった。
自分の盛大な間違いに頭を抱えながらも、押し込められた浴室で熱めのシャワーを浴びる。ご自由に、とは言われたものの何故かシャンプーだけで三種類もあり一瞬戸惑ってしまう。恐らく彼女の言う友人達の物なのだろう、明らかに女性向けだと思われるデザインのボトルに悩むが、リンスまでワンステップで終了するシンプルなものがありそちらを拝借する事にした。次いでボディーソープで全身を洗っていると、ふと左胸の傷痕が目に入り今度は違う意味で頭を抱える。
そう、オレは確かに引き金を引いたのだ、自分の、心臓へと、冷たく重い銃口を押し付けて。
どれほど射撃の腕がなかろうが標準に銃口を当てていれば外れる事はまずないだろう。あの瞬間オレは確実に引き金を引いたのだし、確かに死んだ…と思った。だとすれば、あるのかどうかはわからないがこれが死後の世界だとでも言うのだろうか。随分と平和な世界だ。空腹を感じ、お湯の熱さも肌で感じている。まるでまだ生きているかのような感覚に、しかし左胸の銃創は確実に心臓を撃ったのであろう事を示している。どれほど考えても確実な答えには至らぬままシャワーで泡を流し落とす。
浴室から出てすぐ横にある棚から一番上にあるタオルを拝借する。さてどうしたものか、と取り敢えず腰にタオルを巻き付けながら思案していると扉の開く音がした。
「…、すみません、着替え、です」
「ああ、ありが
バタン!!
礼を言い切る前に強めに扉を閉める音が響く。
折り畳まれたグレーの上下スウェットに、買ってきてくれたであろう真新しい白の肌着と黒のボクサーパンツが置かれている。早々に飛び出していった彼女を思い出し自分の格好を振り返る。
…タオル、巻いといてよかったな。
ありがたく下着を身につけスウェットに袖を通すとサイズは丁度だったようで、置いておけと言われたものの入浴前まで着ていた衣服類は軽く畳んで抱え部屋へと向かう。
ソファーに腰掛けテレビを見ているのか見ていないのかどこか遠い眼差しで缶コーヒーをあおりながら口からはゆるく紫煙を吐き出す彼女が目に入った。風呂の礼を告げながら室内へと足を進める。
「みょうじさん、ありがとう」
「…先程は、すみませんでした、まだ入ってるかと思って」
「いや、服の用意と下着までありがとう、助かるよ…煙草、吸うんだな」
「あ、煙ダメでしたか」
「ここは君の家だろう?気にする事はないさ…オレも喫煙者だしね」
「…これでよければどうぞ?」
終わりつつある火種を灰皿に押し付け鎮火し、そばにあった箱をこちらへ向ける。白地に星が印字されたチャコールフィルターの紙巻き煙草。組織では女性構成員の喫煙者率も低くはなかったがメンソールやタール値の低いもの、甘い香りのものが多かったように思う。差し出されたそれは日本が代表する銘柄のひとつでもあり同シリーズの中では最もタール値の高いものでオレも好んで吸っていたものである。女性にはきついものかと思っていたが、何故だか彼女にとてもしっくりと馴染んでいるように見えた。
「ありがとう…1本、いいか?」
「どうぞ」
言いながらソファーの端に移動しオレが座るスペースを作ってくれた。
「ありがとう…でもこちらで構わないよ、オレが座ると狭くなってしまうだろう?」
「別に気にしませんが…ならそっちの使ってください」
指差した先にあるのはシンプルなアイボリーのクッションラグ。礼を伝え部屋に入ってきたそのまま、彼女に対して90度型の位置に腰を下ろす。
対面は表情をよく読み取れるメリットがあるが相手に緊張感を与えてしまい必要な情報が得られないデメリットもある。対して90度型であれば表情の観察も出来、尚且つ相手をリラックスさせた状態に持っていけるメリットがある。真横は相手から危害を加えられる可能性がある場合一番避けるべき位置ではあるが彼女ーーみょうじなまえに対してはその可能性はほぼないであろうと推測出来る。しかし大部分の人間は自分の真横というのは限られた相手に対してのパーソナルスペースであり、電車やバスといった公共の場でもない室内でそのスペースを侵すのは、例え脅威がない相手であっても、いや、脅威がないからこそその位置は憚られた。
ライターを借り、肺に紫煙を染み渡らせる。久し振りにも感じるニコチンに頭の中が落ち着いていき、ふとテレビの横に控えめに置かれた小さなカレンダーが目に入る。特に予定が書き込まれている訳でもなく至ってシンプルなもの。だがそこに記された西暦に目を見開いてしまう。
少なくとも確かに一日はこの部屋で過ごしているが、オレの記憶が確かであればまだX年だった筈。だが記された数字はそれから三年後のものでその下にはDecemberと記されている。
このカレンダーを設置したのであろう彼女がわざわざ三年先のものを設置したというのだろうか。だとしたら一体何の為に?
清潔に整えられた部屋に、先程まで飲み食いした物が散らかっていたローテーブルやその周辺はオレの入浴中に片付けたのだろう、何もない状態だし晴れて自由の身、と笑っていたが三年間が自由の期限だとでも言うのだろうか。
明確な日付けまでは不明だが、もし今がカレンダー通り十二月だと仮定し西暦も事実だとすると一日だと思っていたが三年間も意識を失っていたというのだろうか?そうだとして、見知らぬ住宅街で目が覚めたのは何故か。
もう一度フィルターを咥え肺まで吸い込み、紫煙とともに静かに息を吐き出す。
「…みょうじさん。改めて、助けてくれてどうもありがとう。この礼は、いつか、必ず」
「礼なんてそんな…食事にも飲みにも付き合っていただきましたし、十分です」
「それじゃあオレの気が済まない…それに、コレまでお世話になってしまったし、ね」
言いながら、ローテーブルに置かれた煙がのぼる灰皿近くに置かれた小箱を手の甲でコンコンと叩くーー別の意味も込めながら。
「いいえ…でも、実はちょっと昨日は我慢してたので諸伏さんも喫煙者で良かったです。喫煙者には肩身の狭い世の中ですからねぇ…」
「さっきも伝えたが、ここはみょうじさん、君の家だ。気を遣う事はないだろう」
「…では遠慮なく」
二本目をボックスから取り出し火をつけ吐き出し、最近周りでもやめる人が多くて、と小さ笑いながら吐き出す。
「まぁ健康に良いもの、とは言えないからな…」
「それはそうなんですけどね」
「そういえば今日は何年の何月何日だったかな」
「?えっと、XXXX年の12月…9日ですね」
「そうか…ありがとう…ところでみょうじさんにはお兄さんがいるのか?」
「はい、5つ上に。最近は仕事が忙しいみたいであまり連絡は取れてないんですけどね」
「お兄さんいくつなんだ?」
「30ですよ。なので私は25です」
「…じゃあ、俺とはひとつ違い、だな」
「諸伏さん26?え、24?」
「そう見える?」
「ふふっ、どっちなんですか」
兄の存在から年齢を探ると、奇妙なことにオレの最後の記憶では彼女と、カレンダーの年が事実でオレもその通り年を重ねているとすれば彼女の兄と、それぞれ一つ差の年齢となる。今が本当にあれから三年後の世界なのだとすると、オレはどちらの年齢になるのだろうか。
人間、咄嗟の事には嘘を繕い難い。それを利用し関連性のない煙草の話題から急に日時の質問を振ってみたものの、彼女の表情や様子から嘘をついている様子は見られなかった。
彼女のどちらなのか?という質問に、さぁどっちだろうね、などと緩く笑いながらはぐらかす。
「そういえば諸伏さん、もしかしてどこかでお会いした事ありません?いや、ナンパとかじゃなくて、何か、どっかで見たような気がして…」
「…いや、残念ながらオレの方は記憶にないな…」
「ですよねぇ…なんだろう、でもどっかで見た事があるような気がして…」
「もしかしたら街中ですれ違った事はあるのかもしれないな」
「いやさすがにすれ違っただけの人の顔まで覚えてませんよ」
「ははっ、確かに。…みょうじさんはビールだけじゃなくウイスキーも、飲むのか…?」
見た気がする、との言葉に動揺を覚えつつもそれを露わにはせず恐らくというか確実にビール党であろう彼女に酒の話題を投げつける。ビール缶しかない冷蔵庫に対し一つだけぞんざいに置かれている中身は半分程残っているバーボンウイスキー。たまたまあるだけのものなのか、それとも。
顔面から笑顔は剥がさずに自然に、でも表情、動作、空気、全てを一ミリたりとも逃さぬように問いかける。
「普段は基本的にビールオンリーですね。まぁ酒全般好きなので何でも飲みますが。あ、キッチンのウイスキーは友人からもらったのものです。ジャケ買いした、と」
「ジャケ買い?」
「ラベルの雰囲気が似合うから、らしいです」
「ああ…ラベルの薔薇、綺麗だもんな。オレも似合うと思うよ」
「諸伏さんまでそんな…でもウイスキーならスコッチ派なんですよね、バーボンも嫌いではないですけど、選ぶ、なら……」
彼女の唇が中途半端に開いたまま固まり止まる。
彼女はやはり組織の関係者なのか。だとしても今までも今この瞬間でさえも彼女自身から殺気は愚か警戒心すら感じ取れない。しかし何かに気付いたかのように戸惑った表情をし言い淀む様に疑いつつもなくなりかけていた彼女への警戒心が息を吹き返す。
何かを考え込んでいるようだった彼女がふと何かを思い出したかのようにソファーから立ち上がろうと腰を上げる瞬間、
まだソファーから離れていない両膝を右膝で押さえ込み、両手を一気に引き上げ頭上でまとめ左手で拘束、右手は彼女の細い首筋に添える。
「…、選ぶなら?」
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