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そんな。まさか。ありえない。
そんな言葉ばかりが頭を巡り、むしろ何故今まで思い出せなかったのか?いや、思い出せなかったというより、スコッチーーこの単語を発した瞬間にまるで打ち上げ花火が上がるかのように、どこかで見たような顔、何故か見覚えのある名前、それらの小さな光の筋が一気に開花した。
今、私の身体を拘束し最初に見た時より何倍も鋭い目をした彼に、まるで金縛りにでも遭ったかのような感覚に陥り頭の中は混乱しかない。
現実にはあり得ない状況ーー物語の中の登場人物が自分の目の前にいる、だなんて。
それに物語通りであれば彼は、死んでいる、筈なのだ。
うっかり洗面所の扉を開けてしまった時に見えた、左胸の傷痕。そう、彼は、物語上、過去に拳銃自殺をしている。では目の前にいる彼は一体何者なのだろうか。そもそも本当に物語から出てきたんだろうか。
そんな事を考えていた数秒間。ふと身体の拘束が解かれる。
「…、え…?」
「……悪かった。君が、悪意を持った人間で、何かするのかと思って、手荒な真似をしてしまったが…これは…演技でもないだろうし、悪意も、ない」
そう言いながら、目尻をスッと撫でられて、ようやく自分が涙を流している事を自覚する。
「……、すみません、あの、痛い、とかで泣いてる訳じゃ、なく、て」
「うん…」
「あり得ない、状況すぎて…頭が、キャパオーバーで…」
「……、みょうじさん、君は…何を知っている…?」
拘束された事実に対して恐怖や痛みが全くなかったと言えば嘘になるが、それよりもあり得ない状況からくる困惑に何故か目から溢れ出るものが止まらず袖口で目元をゴシゴシと拭う。
「…擦ると、良くない…」
そう言いながらそっと目元を覆う私の腕を下ろし、ふわりと抱き締められた。
「諸伏、さん…?」
「落ち着いてからで、いいから…」
「諸伏、景光…さん…」
「…うん」
「…、スコッチ」
「……うん」
抑えようとしても止まらぬ涙に、彼の腕の優しさに甘える。コードネームを口にした瞬間、腕の力が少し強まったが、変わらず返事をしてくれた。数分間、止まらぬ涙を彼の腕に閉じ込められながらようやく頭と涙腺が落ち着いてきて、そっと肩を押し距離をあける。
「……、すみません、またお見苦しい場面をお見せしてしまって…」
「…謝る事はない、…それにさっきみたいなのならむしろ大歓迎、だよ」
そう言いながらパチッと悪戯っぽくウインクを飛ばす彼に、図らずとも下着姿を晒してしまった事を思い出して思わず顔面に熱が集まる。
「、諸伏さんも、そんな冗談言うんですね」
「まぁみょうじさんもオレのお風呂上がり見ちゃったし、おあいこ、て事で」
「…ここ、痛く、ないですか…」
わざとおどけるようにして言ったのだろう小さく笑う彼に、その時に見えた傷痕を思い浮かべながらスウェット越しに彼の左胸にそっと指先だけ触れる。
「やっぱり、見えてたか…」
「…私が、今から話す事、到底信じられないと思います、私自身も、まだ混乱していて」
「それでもいい…、話してくれ」
目を閉じ、小さく深呼吸をする。
彼が国民的大ヒット作である漫画の登場人物である事、既に死んだとされており死に際の様子が描かれている事、苦楽を共にした同期達の事、組織の事。そして、何故か彼のコードネームであるスコッチという単語を発するまで物語に関しての記憶が霞みがかっていた事、何故彼が今ここにいるのかは何もわからない事も告げた。
「嘘、だろ……、いや、みょうじさんの話を信じていない訳じゃない…嘘を、ついてるようにも見えない、し…」
「いえ…私も、まだ信じられない状態ですし…誰でも、いきなりあなたは本の登場人物です、なんて言われたところで信じる方が難しいでしょう」
「…ちなみに、その本、手元にあるか…?」
「ええ、2階の本棚に…」
「…ああ」
先程は取りに動こうとして拘束されてしまったので移動しても問題ないか視線を向けると伝わったようで、立ち上がり二階へと向かう。
しかし目当てのものは見当たらなかった。
まさか捨てた?
いやそんな筈はない。しかし二階の部屋中を探してみるも一冊も見つからなかった。大量の単行本が消失、という謎に首を傾げながら彼の元へと戻る。
「すみません、何故かどこにも見当たらなくて…あ、検索したら見られるかな」
スマホを持ちウェブページを開き、本のタイトルを検索バーに打ち込む。すぐに画面が表示され、諸伏さんにも見えるように隣に移動する。
複数表示された画像から適当なものを選択し拡大表示しようとタップすると、
「…表示、されませんねぇ…」
「ああ…されないな…」
携帯料金はもちろん月々きちんと支払っているし、昨日例の動画を見た時はなんら問題はなかったので自宅の無線環境も問題はない筈だ。
他の画像を見るか、とバックボタンで画面を戻すと表示されたのは画像一覧ではなく、このwebページは表示できません、の文字のみ。
一旦開いてるページを閉じ再度同じワードで検索をかける。一瞬画像は表示されるものの、数秒で同じく表示されなくなる。試しにスマホに立ち上がっているアプリを一旦全て閉じ電源の入り切り、無線機の電源の入り切りも試してはみたが結果は変わらずである。そこでふと彼が他の方法を提案する。
「…昨日の、あの動画、開けるか…?」
「あ…やってみますね」
レンジャーロール やり方、で検索すると今度は問題なく動画や画像などが表示されタップした動画も問題なく再生された。無線環境はサクサク良好である。
「ネット環境やスマホ本体がおかしい訳じゃ、ないみたいだな…」
「ですよねぇ…もう一度、検索してみます、ね?」
「ああ…頼む」
動画再生ページは閉じ、再度新規ページを立ち上げ検索をかける。しかし、表示されたのは先程と同じ…、いや、同じ様式ではあるが文言が、違う。
表示できません、ではなく、検索結果はありませんーー。
「え、なんで…?」
「さっきの画像一覧のところで僅かだけど、見えたよ…オレの、幼馴染が映ってたと思う…」
「安室さん、いえ、降谷さん、ですか」
「……一瞬しか見えなかったし証拠というには曖昧過ぎるが…本当、なんだな…」
「安室の女、というワードは社会的に話題になりましたね」
登場人物と他の登場人物について話をするというなんとも奇妙な状況ではあるが、画面越しに一瞬とは言え幼馴染の姿を見られたからだろうか、諸伏さんの表情は少し穏やかなものになっていた。
しかし謎は解き明かされるばかりか更に深まっていった。突然現れた彼に、その世界の物語に関しては本が消えているだけではなく検索すら何も出来ない状態。不可解な事態に思わず溜息を溢しながらローテーブルにある煙草に手を伸ばす。
「あ、諸伏、さんも遠慮なく吸ってくださいね。他に好みの銘柄があれば買ってきますが」
「いや、銘柄は問題ない。ありがたく頂戴するよ…女の子にしてはキツめの銘柄に思えるが…彼氏とお揃い、とか?」
「…単なる自分の嗜好品なだけですよ…」
「…それは、すまなかった」
「はい。ご理解いただけたのであれば」
確かにタール値の高い煙草だし会社のオジサン達にも女の子が〜などと言われる事は多々あった。それでも自分の嗜好品を周りのくだらない評価ごときで変える気はさらさら無かったし、私がどんな煙草を吸っていても気にしない行きつけの店の店主、かっこいいねと言ってくれる友達、そちらの方を大事にしたかった。彼も悪気はなかったのだろうが、私の足りなかったかもしれない言葉におそらく正しい理解をしてくれた。
私自身は日常生活に物語の登場人物が現れた、という状態だが彼からすれば突然見知らぬ世界に放り出された状態だろうに、見ず知らずの人間に対して気遣いができ、違っていた場合は素直に謝罪をする。私が紙面から見た彼はおそらくほんの一部しか描かれていない姿なのだろうが、それと実物も違わないのだろう、と思う。
「あ。」
「うん?」
「そうだ、友人も作品のファンなので聞いてみたら何かわかるかも」
「…突然、漫画の人物が出てきたけど、と?」
「…、私ヤバい奴だと思われますかね…」
「心配はされるだろうな…」
「うーん…でも何も手掛かりがないままじゃ…、あ!作品についてだけ聞いてみる、ていうのはどうでしょうか?」
漫画のタイトルに加えて、これ読んだ?今どうなってるんだっけ?と打ち込んだメッセージ画面を見せる。
「これなら、漫画自体に関しては何かわかるんじゃないかと」
「そうだな…」
諸伏さんの了承を得て、友人へとメッセージを送る。数分経つとメッセージではなく着信を知らせるバイブレーションが震えた。
諸伏さんと顔を見合わせると静かに頷かれ、通話をオンにし耳に当てる。
「なまえちゃん!!久しぶり!元気にしてる?!ていうかなぁに?!突然こんな変なメッセージ寄越しちゃって!!」
受話器から聞こえる大音量に思わず耳から距離を取る。
「…あぁ、久しぶり、ごめんね突然。何か知ってるかな、と思って聞いてみたんだけど」
「う〜ん、これって昔の推理小説家でしょう?アタシ小説は専門外なんだよねぇ〜」
「え…?これの、その、漫画とかあった、よね…?」
「そりゃあ著名な作家だから色々書籍化はされてるとは思うけど?」
「小学1年生が主人公の少年誌で、タイトルはーーー」
「なぁにそれ、おもしろそうだけどないんじゃないかしら?どうしたの?何か変な物でも食べた?!」
「いや、そんなのあったかなぁ、と思って気になっただけ…」
「そう?まぁ何かあったら…なくても連絡くらいしなさいよ!ご飯はちゃんと食べてる?休みは取れてるの?!」
「あぁ、それは大丈夫…しばらくはゆっくりする予定だから」
「ふぅん…ならいいけど!なまえちゃんほっとくと酒と煙草しか摂取しないんだから!!…あっ、ごめん、呼ばれたから切るね!また連絡して?!」
「うん、こっちこそ急にごめんね」
通話を終了した薄暗い画面を手の中に見つめながら、スピーカーにせずとも漏れていたのだろう、友人の怒涛な音声に苦笑の表情を浮かべる諸伏さんから声を掛けられる。
「…随分パワフルな友達だな」
「まぁ…大体いつもこんな感じで。出不精な私を色々連れ回してくれたり…とってもチャーミングで優しい子なんですよ」
でも最近は彼女も忙しいみたいで、と付け加えると頭に優しい圧力を感じた。
ゴツゴツと骨張った手とは裏腹に優しい眼差しでふわりと頭を撫でつけられている。諸伏さんに頭を撫でられているのか、理解してチラと目線を送る。
「ああ、ごめん…寂しそうな、表情をしていたから、つい」
「…いえ、兄も良く撫でてくれていたのを思い出しました…諸伏、さんの手も、なんだか安心します」
「…、そうか…。ところで、会話を聞く限り、その友達も漫画について知らない、と思えるのだが…」
諸伏さんの優しい手に兄を思い出し、ついそのまままったりしそうになったがそんな事をしている場合ではなかった。ファンである筈の友人にずばりタイトル名を告げてみても、そんなものはない、と断言されてしまった。これはどういう事なのだろうか。私の頭の中には確かにその作品が一つの物語として存在し記憶されている。となると…
「考えにくい事なんですが…もしかして…、」
「その漫画の存在自体が、なくなっている、とか」
「……まだ、仮定するにしても早すぎる気もしますが…、もう一度、検索してみましょう…!」
先程の検索結果に友達の発言内容、仮定するとすれば出来なくもないがその仮定を確定する決断がまだ出来ない。
暗くなった画面を解除し、今度はタイトルの内カタカナ三文字のみで検索をかける。しかしそこに表示されたのは、イギリスで活躍した推理小説家の情報のみだった。普段からよく利用する大手通販サイトやその他の通販サイトでも検索するも、結果は同様。
「嘘でしょ…」
思わず声に出てしまっていた気持ちを遮るように、ページをスクロールし、画像欄も見るも、結果は変わらなかった。
「存在自体が…ない…?」
「みょうじさん」
「諸伏、さん」
「そんな顔を、しないでくれ…」
「あ…、すみません…私より、諸伏、さんの方が…、」
「…だから、そんな泣きそうな顔をしないでくれ…」
言いながら私の頭を抱きすくめる腕の力にどこか懐かしい、まるで兄にされているかの様な安堵感を覚えた。
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