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どんな状況が待ち受けているのであろうか、様々な想像をしつつも、それをはるかに超える事態だった。
僅かな可能性だとしても彼女を脅威だと考え静止行動に出たものの、それは杞憂に終わる。逆に彼女の無垢さ加減を目の当たりにする事となった己の行動に後悔を覚えつつも、彼女の話はあまりにも突飛すぎるものだった。
しかし彼女が見せてくれたスマホの検索画面に、友人との会話。最早工作など疑う余地もない彼女の行動に、これが真実なのだと裏付けられていく。
自分は一体どうなるのか、どうすれば良いのか、と思案しながら、彼女の今にも泣き出しそうな表情に思わず自身の感情も引き摺り込まられそうになり、誤魔化す為に彼女の頭を胸元に引き寄せ息を飲み込む。
するとモゾモゾと動く彼女の腕が遠慮がちに背中へと回される。
「あの、兄が、よくこうやってくれていて…つい…」
「…いや、良いお兄さんなんだな…」
「私じゃ、諸伏、さんの役には立たないかもしれませんが…」
「役に立たないだなんてそんな事はない…今、こうしてくれているだけで十分だよ…」
やっぱり優しいですね、そんな言葉に頭に疑問符を浮かべるも、ああ彼女はオレを知っているんだな、とどこか他人事のように納得する。回された細い腕に少し力が込められオレを優しいと評する彼女の行動にこそ心がじわりと温かくなった気がした。
「…すみません、私だけ一方的に知ってるって気味悪い、ですよね」
「うーん…確かに不思議な感覚ではあるけど、みょうじさんに対して気味悪いとは思わないさ」
「…でもこのままじゃ私が納得いきません…まずは情報の整理をしましょう」
「…そうだな」
「まず、諸伏、さんの…世界について覚えてる限りの事、書き出します」
そう言いながらスッと腕を解き筆記用具を取り出すのだろう立ち上がると、ちょっと待ってくださいね、と言いながらペンを走らせていく。
合間にスマホで検索も試みたようだがやはり望んでいた結果は表示されなかったらしい。
本のタイトル、組織の幹部数名のコードネームに幼馴染のコードネームもあり、トリプルフェイスと呼ばれ世に大人気である事、作中でオレの自決は過去の出来事として一部が描かれている事、同期達は幼馴染を除きオレの後に班長も亡くなっている事。
あともう一つ何か書き出そうとした彼女だったが、迷い、やはり書くのをやめたようだった。
「私が…今わかるのはこれくらい、ですね…」
「いや、十分だよ…」
「本が手元にあればよかったのですが…」
「確かに、ちょっと見てみたかった気もするな」
ゼロの喫茶店員姿、と笑いながら言うと、幼馴染っていいですよねぇ、憧れちゃいます、と返ってきた。
「友人がいない訳ではないんですけど。小さい頃からずっと一緒、ていうのがいなくて…小中の頃は何度か転校もしてましたので。高校卒業の頃に母が亡くなってからは兄と2人暮らしだったんです。と言っても兄もその頃は警察学校に行っていたので会うのは週末くらいでしたけど」
「…親御さん、亡くなってるのか…」
「元々父親はいなかったですし、母も…小さい頃はそれなりに優しかったような記憶はあるんですけど、中学の頃からは仕事であまり家にいる事もなくて…でも兄が一緒でしたからさみしくはなかったですね」
自分だけ知っているのは納得がいかない、という彼女は言葉通り今までの生い立ちを手短に話してくれた。続けて話を聞くと、どうやら兄は警察官は辞めているが最近は多忙で連絡が取れない事もしばしばある。そんな彼女の言葉に一つの考察が頭をよぎる。警察学校出身でその道の職を辞し連絡が取れない。それだけで全てがそうだとは言い切れないが、可能性としてはない事もないだろう。もしそうだとしたら彼女の兄はおそらくーー。そこまで考えたところでここはおそらく限りなく近いような世界なのだろう、奇妙な安堵感を覚える。
「ちなみに、父親の事は聞いても…?」
「ええ、もちろん…と言いたいところですがあまり知らなくて。兄とは異父兄妹なんですけど、まぁどっちの父親も碌でもなかったみたいで。私の方の父親とは結婚はしてなかったみたいです」
「そうか…立ち入った事を聞いて悪かった」
「いえ、これでおあいこ、にはなりませんかね?」
「…ふふっ、十分だよ。ありがとう、みょうじさん」
自分の生い立ちも自慢じゃないが割とヘビーなものだと思っていたけれど、警察学校時代に同期達のおかげでオレの凍りついた時計の針は再び動かす事が出来た。しかし、彼女から聞いた家庭環境は思ったよりも複雑でそこまで立ち入った事を聞いてしまって良かったのだろうか…と思うも彼女自身は特段気にするといった様子もなく、おあいこになった状態に満足したようだった。
「これ…以外に諸伏、さんで把握してる事って何かありますか?あ、言える範囲で良いのですが」
「そうだな…特にこれと言って相違点はないが…ひとつ、気になる点はある…」
「…年、ですか」
「…話が早くて助かるよ。オレが死んだ筈、の年はX年、今がXXXX年なら3年前の事になると思うんだが…」
「本の中で明確な描写はないようなのですが…ストーリー上おそらく3年前、と考えられるのでその認識に間違いはないかとは思うのですが…ん〜…」
「…何か、あるのか?」
「いや、あるといえばあるのですがないといえばないというか…」
オレに現在状況を説明する時も、自分の家庭環境を話す時も詰まる事なく話していた彼女が妙に歯切れ悪く言葉を濁す。
「…いやでもそうか、そう考えると別におかしくはないか…?」
「…みょうじさん…?」
「…あ、すみません。…原作は割とご長寿で20年以上連載されているんですよね。でも作品の中では1年経っていないとされていまして。だったら、諸伏さんの認識する3年前で特に間違いはないかと思います」
「……えっ、そんなに長いのか…?!」
「ええ。あ、でも安室さん、降谷さん達が出てきたのはここ数年の話ですね」
彼女が言うには連載当初はガラケーが使われていたが時代の流れと共にスマホに変わっていったとの事。オレ自身も撃ち抜いたのはスマホだったし時の流れが違うのは異世界、というよりも本の中だから、なのだろう。引っかかる事は他にもあるのでこの際まとめて聞いてみる事にしよう。
「小学一年生が20年間主人公か…」
「……アッ!…いや、ソウデスネ…」
明らかに彼女が動揺する。
主人公というくらいだ、物語の重要なキーパーソンなのであろう。だがしかしオレが知る範囲内で重要人物になりそうな小学生は思い当たらない。彼女はその人物について当然知っているのだろうが、オレは知らない人物。となると…
「どんな子なんだ…?」
「…とても聡明な子で、シャーロック・ホームズが好きですね…」
「…へぇ、小学生でホームズ」
「……、すみません、これ以上は、話していいか判断出来ません…」
班長の事も動転してたとはいえ不用意に私の口から伝えてしまってすみません…と項垂れる彼女に自然と笑みが浮かぶ。
きっと彼女はいくら異常事態であるとはいえ、いや異常事態であるからこそオレが知り得ないであろう情報を伝える事によって何らか不測の事態が起こるかもしれない事を懸念したのだろう。
班長の事は確かにショックだがーーでも。
「…ありがとう」
「え…?」
「確かに班長の事はオレが知る範囲外の事だったけど、オレは、知られて良かったと思っている。主人公の事も…ゼロが知っている以上の情報は…と考えたんだろう?」
「…はい。私は一読者、だったので、紙面でしかありませんが…」
「じゃあまずはそれ以外の情報について考えようか…?」
「、諸伏、さんは、それでいいんですか…?」
「うん?」
「聞き出そうと思えば私如きどんな手段ででも情報を出させる事は出来るでしょう?」
オレが追求しない事を疑問に思ったのか、なんとも純粋な目で問い掛けてくる。
どんな手段でもーー彼女はその言葉を意味を把握しているのか否か。恐らく後者だろう。先程の出来事と今の異常事態と情報、という掛け合わせで何故これ以上聞いてこないのか、という純粋な疑問なのだろう。
オレはバーボンのように情報屋ではないにしろ確かに組織での活動で情報を抜き取らねばならない場面もあった、が彼女がそれを把握しているようには思えないし、それに。
「今ここで君にそうしたとして、君は情報を吐くかい…?」
「…今のところその予定は、ないですね」
きっと彼女は吐かない。たかだか数時間やり取りしただけの相手ではあるが、彼女に対してはそれらは無意味なのであろうと考える。そうなればひとまずは状況把握をする方が先決である。
「ならこの話は一旦お終い。…必要があれば聞かせてもらうよ」
「…お手柔らかにお願いします…」
改めて彼女からの情報をまとめ、今の状況を整理する。
彼女の言う通りであればオレがいた筈の世界は一年経っておらず、またオレの事は過去として描かれており今より三年前である事。
「…とすると、オレは死んだと思ったら別次元、の3年後にトリップした…という事になるのか」
「いや飲み込み早すぎません?」
「いくらあり得ない状況だとしても、そう判断せざるを得ない…コレをこんな安易に書き出す…ここが、それが存在しない、もし存在していたとしても脅威とならない世界である証拠だ」
「あっ…書くのはまずかったですかね…念の為に焼却処分しましょう」
彼女が書き出した情報に、オレの中で引っ掛かっていたままの疑問を付け加える。やはりここはあの日から三年後の世界であり時の流れだけでなく世界自体も変わっている事は話をすればする程、確実な物なのだと示されていた。
ローテーブルにあるメモ用紙を人差し指で叩きながら伝えると、物事を整理するのに書き出すのは一般的な動作でもあり彼女もまた同様なのであろう、自分が書き出したメモとライターを手に取った。
「…いや、さっきのみょうじさんの友人の話や検索結果同様、今後どうなるかわからない…賭け、ではあるがそれはどこか見付かりにくい場所に閉まっておく事は可能かな…?」
「うーん、それもそうか…どこに隠しましょう…?」
「そうだな…出来ればオレも場所を知らないままの方が良いんだけど」
「…じゃあ、諸伏、さんならどこを探しますか?」
「そうきたか。そうだなぁ…一般的に本の間やトレイタンクなんかは空き巣や麻取もまず見る場所だし、浴室の換気扇裏や冷蔵庫も安易だろうな…」
「…隠し場所ないじゃないですか」
笑いながら言う彼女がしばらく思案した後、あ!と名案が思い付いたようで嬉しそうにこちらを見ながら告げる。
「ダミーを作ってそれを複数箇所に隠す、てのはどうですか?」
「みょうじさん…なかなか才能あるね」
「えっ犯罪のですか?一応今まで加害者にはならないように生きてきたつもりなんだけどなぁ…」
「悪い、褒め言葉のつもりだったんだが」
「ふふっ、じゃあ、ありがとうございます?」
早速ダミー作りましょう、と言いながらメモ用紙を切り取り六枚の残念♡と書かれたものを作成する。
「なんで残念♡?」
「もし…悪い人、が探しに来た時にこのダミー用紙見たらイラッとするかなぁ、と思って…」
「…あははっ、みょうじさん最高っ!」
「ふふっ、ありがとうございます」
今度は素直に称賛を受け取り、再び立ち上がながら引き出しから可愛らしい小さな封筒を取り出し七枚のメモ用紙を折り畳み入れていく。
可愛くてつい買っちゃったんですけど使い道がなくて…ようやく活用出来る日が来ました、と言いながらしっかりと封をした封筒をローテーブル上でシャッフルしていく。
「私もわからない方がいいかな、と思いまして」
「…みょうじさん、君ホントに才能あるよ…」
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