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シャッフルした封筒を家のいたるところ、且つ日常生活には支障のない場所に潜ませた。隠す際に諸伏さんに外に出ていてもらうという案もあったがまだ何があるかわからないし取り敢えず布団を被って視界は遮ってもらう事にした。視界はなくとも聴覚まで完全に防げた訳ではないだろうし、そもそも彼なら気配で他人の居場所を察せられそうではあるが、やらないよりは、だ。
ふと時計に目線をやると夕暮れ時。思い出したかのように腹の虫が鳴き出し、彼へ声を掛ける。
「あの、お腹空きません…?」
「そういえばもうそんな時間か…、良ければ何か作るけ、ど…」
私の冷蔵庫事情を察したのであろう彼に微妙な表情をされる。
「そういえば、諸伏、さん料理得意でしたっけ」
「…一通りはね。みょうじさんは?」
「うーん。出来ない訳じゃないですけど一人分となると逆に面倒ですし忙しくて。そんな時間があるなら寝たかったので…」
「…材料費はみょうじさん持ち、になるけど用意してくれれば何でも作るよ」
「えっ、いや材料費はもちろん!気にしないでください!これでも貯金は一応人並みにはあると思いますし、失業保険もすぐおりるので」
「自己都合じゃなく会社都合の退職だったのか…?」
「…ゴリ押しで、会社都合にさせました…」
貯金がない訳ではないが、このまま大人しく辞めるのも癪に触った。なのでサービス残業の証拠とついでにパワハラセクハラモラハラの証拠をこれでもかと掻き集め会社都合の退職となるように丁重にお願いをし、無事退職に漕ぎ着けた。脅しではない。
そういえば、彼は料理が得意なのだったな、とぼんやり頭に浮かべながら費用の心配をされてしまったが食材を買ってくるだけで久し振りに人の作ったご飯が食べられるのなら万々歳である。
オムライスのリクエストをすると、もちろんとウインクを飛ばす彼に行ってきますと返しスマホを持ち玄関へ向かう。
「あ、下着以外に何かいる物あります?飲み物とか適当に買ってきますがお好みの物などあれば」
「いや特には」
「了解です、ではしばらくお待ちください」
コンビニへの短い道のりを歩き、聞き慣れた歓迎音を耳にしながらカゴを手に取り普段は目もくれないコーナーの前で足を止める。
このコンビニは手軽に食べられるカップ麺やパウチ食品、冷凍メニューも豊富ながら、野菜や卵や果物といった生鮮食品も取り扱っている。普段は買っても腐らせて終わりだ、と思っていた生鮮食品の前でパック詰めされた卵を手に取り、冷凍コーナーから野菜ミックスをカゴに放り込む。
後は…と考えながらカップ麺と向かい合わせに設置された調味料コーナーに向かいコンビニサイズの小ぶりなケチャップを手に取りながら無意識にカップ麺数個と共にカゴに入れる。ぐるぐると店内を移動し最後に男性用下着を適当に掴み取り会計を済まし、卵を割らないように慎重に自宅へと戻る。
*
「みょうじさん、おかえり」
「…あ、ただいま、です」
「ごめん、台所使わせてもらったよ」
おかえり、と誰かに迎えられるのが随分久し振りすぎて一瞬言葉が詰まる。しかし卵を仕舞おうと向かった台所でこれまた久し振りに聞く炊飯器が発するであろう音に彼を見る。
「すみません…ありがとうございます、ご飯、炊いてくださったんですね」
「勝手に使っちゃ悪いかなとも思ったんだけど、早く食べられる方が良いかと思って」
「いえ、それは構いません。むしろありがとうございます」
「みょうじさんオムライスはふわとろ派?包む派?」
「包む派です!」
「了解。みょうじさんは休憩しておいて」
「えっ私もやりますよ」
「買い出し行ってくれただろう?今度はオレの番」
そう言いながら私の手の袋を取り順番に荷物を出していく。お言葉に甘えてローソファーに座り込み手際よく調理を始める彼を眺める。
あぁそういえば兄も昔よく作ってくれていたな…なんて思いながら急にふと我に返り怒涛に押し寄せる思考と感情。
小説も漫画も読むが特定のキャラクターに惹かれる、といった事は今までなかったのだが珍しくスコッチーー諸伏景光には興味を惹かれた。きっかけは好きな酒の種類と彼のコードネームが一緒だったからだったように思うが物語を読めば読むほどその謎めいたキャラクターに惹かれていったのを覚えている。
え、ちょっと待って、え、は?ヒロ?景光?まじで?え?嘘でしょ?え、てか何でコナンがなくなってんの?意味わかんないてかまじで本から出てきたっていうの?え?あれ本物?超絶そっくりさん?だとしたらそっくりすぎだしこれなんのドッキリ?いや何の得があって私に仕掛ける?意味ある?ないよね?え?じゃあ本物?本物だとして私、景光にオムライス作らせてんの?まじで?どんな世界それ?あ、痛い、この世界か。いやちょっとまって急に心臓バグってきたぞ?なんでなんで何がどうなってんのこれ?
まさかタチの悪い夢?と思い両手で自分の両頬を思いっきりつねってみたら思ったより痛かった。
あり得ないはずの事が怒涛のように起こり、ついてきていなかった心臓がパンクした、もちろん精神的に、だ。
本がない事とか本物かどうかとかはこの際置いておこう、現実で本物だという前提でないと話が進まない。もしドッキリであるならば盛大に騙されてやろうではないか。景光が生きてる。え、これは生きてるって事になるのか?そもそも本自体の存在が確認出来なくなってしまったが、今、少なくともこの世界では、生きている。でもじゃあその元々の世界はどうなる…?
グゥ
…お腹が減った状態であまり複雑な事を思考しても碌な結論は出ない。景光が生きてる。取り敢えずもうドッキリでもなんでもそれでいいや。腹が減ってはなんとやら、だ。そう思い頭を切り替えると、
「……ッ!ヒッ、諸伏、さん?」
私の視界いっぱいに鎮座する顔に思わず叫び出しそうになるが、すんでの所で堪える。
ローテーブルとソファーの間に入り込みソファーの背もたれに片手をついた状態の彼の顔が、近い。
「オムライス、出来たから声掛けたんだけど…反応がなかったからどうしたのかと思って」
「あ、す、すみません…ありがとう、ございます」
「みょうじさんさ…オレの事、なんて呼んでたの?」
「…えっ?」
「今…ヒロミツ、って言いかけただろう。諸伏と呼ぶ時も僅かだがいつも間があった」
「…すみません、あの、まず、弁解をしても…?」
「うん」
「その、最初はコードネームしかわからなかったので…」
「うん」
「でも物語が進むにつれて…あなた、の名前が明らかになって、あむ、降谷さんとの関係性とか、そういうのから、名前で呼んでたり、呼ばなかったり…」
「関係性、というのは?」
「…幼馴染、です…」
「続けて?」
「…それで、今、なんか、急に、うわーってなって…」
「なって?」
「…つい、名前で呼びそうになりましたすみませんでした…!」
彼は言い訳にもならないまとまりのない言葉に相槌を打ちながら静かに聞いていてくれた。身体の拘束もないし、視線による恐怖もない。なのに何故だろうか。
「ああ、ごめんな?怖がらせるつもりも謝ってほしい訳でもなかったんだけど」
「…いえ。今がどういった状況かはわからないのに安易に名前を口にするのは迂闊でしたね…すみません。苗字、も良くないですよね…どうしよう」
「で、なんて呼んでたんだ?」
「あれ?まだこの尋問続いてたんですか?」
「一応、警察官だから、ね?」
警察官としては思ったよりも粘着質なのだろうか。にこにこと笑っているはずの笑顔が何故か怖くて洗いざらい吐くしか道はなかった。
「……、ひ、景光、とか…すみません!馴れ馴れしくて!でもちょっと幼馴染に憧れたというかなんというか!良い名前だなぁと思って!ごめんなさい…!」
気持ち悪がられるか冷静に拒否されるかと思っていたそれは、目の前の穏やかな表情で打ち破られる。
「もう一回、呼んで?」
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