どうせ突き落とすなら

ズキズキと痛む頭に意識が浮上する。霞んでいた視界が少しずつ鮮明になって、ホッとしたような顔をする森山さんが真っ先に視界に入った。目だけを動かして辺りを見れば、恐らく私がさっきまで戦っていたであろうゾンビを古橋が倒していて、その隣には険しい顔をする花宮が立っている。

体を起こそうと力を入れるけれど、思ったよりも痛む体は思ったように動いてくれない。背中に回っている森山さんの手がなかったら床に転がったままだっただろうなと小さくため息が零れる。

「森山さん、ありがとうございます」
「気にしないで。それより、大丈夫か?」
「まあ、割と痛みますけど我慢出来ないほどじゃないので平気です」
「痛んでる時点で大丈夫じゃないと思うんだけど…」

軽く頭を下げてお礼を言えば森山さんは困ったように笑って心配そうな顔をする。女子相手だから優しいのかと思っていたけれど、さっきから地面に座り込んだままの西条さんには見向きもしないところを見ると相手は選んでいるみたいだ。とは言っても私が選ばれている理由はさっぱり分からないけれど。

完全に森山さんに凭れかかっている状態から何とか起き上がろうとする私に気付いたのか、森山さんが少しだけ背中に回していた手に力を込めてくれる。殴られた側頭部に出血はなく少し腫れているだけだった。正直出血が無い方が怖いのだが、この状況じゃ出血していてもしていなくても大して変わらない。

「まだ言わないんスか」
「まだ」
「何で…!下手したらアンタ死んでたかも知れないんスよ!?」
「どうせ突き落とすなら高いところからの方が絶景でしょ。いいの、ほっときな」
「マジで性格悪いっスね」
「はいはい、ありがと」

殴られた側頭部を押さえて眉間に皺を寄せる私の横にしゃがみ込んだ黄瀬がギロリと鋭い目付きで西条さんを睨みつける。決して私に好意を抱いている訳じゃないんだろうけど、私の判断が間違っていないことだけは分かっているらしい黄瀬は割と利口だと思う。自分の感情だけで事実も確認せずに先走るような馬鹿な奴らとは大違いだ。

古橋の長い足が振り上げられて、ぐらりと傾いたゾンビの体が地に伏せる。ぐしゃりと潰された頭と、それを見下ろす古橋の冷めきった目に「キレてんな〜」と他人事のようにぼんやりと思っていれば、くるりとこっちを向いた古橋が歩いてくる。呆れたような顔でため息を吐いた花宮はどうやら止める気がないらしい。おい、待て待て。この状態の古橋を相手にすんの嫌なんだけど。

「葉月」
「はい」
「頭は?」
「出血は無くてちょっと腫れてるくらい。今はどっちかって言ったら倒れた時にぶつけた肩の方が痛いかな」

いつもよりもピリピリした様子の古橋にへらりと笑って返すけれど、古橋の表情は尚も変わらない。殴られた頭にそっと手を添えて腫れている部分を優しく撫でる古橋を黙って見る。まじまじと私を見て大きな怪我が無いのを確認したのか小さく息を吐いた古橋は、私を支えていてくれた森山さんを冷たい目で見てから私をふわりと抱き上げた。

「う、わっ…ちょっと、平気だから」
「いいから大人しくしてろ」
「いや大人しくって…歩けるってば」
「痛いんだろう?」
「いやまあ、痛いけどさぁ…」

確かに体は痛いが、歩けないほどじゃない。身長のせいでいつもより高い視線に何となく居心地が悪いし、こっちを見る花宮の視線がムカつくことこの上ない。おい、なんだよその目は。その上海常の人達からも似たような視線を向けられて、何だか居た堪れない。下ろして欲しいと頼む私の声なんて聞こえないと言わんばかりに歩き出す古橋に、何を言っても無駄だと諦めてため息をつく。

ふと後ろに視線を向ければ、一番後ろを俯きながら歩く西条さんが目に入る。この状況で何かをするつもりは無いだろうけど、今までと様子の違う姿に警戒心が湧き上がる。花宮も私と同じように見張るような視線を彼女に向けていて、海常の人達もチラチラと伺うような視線を向けていた。

他校の人達とは違って、海常の人達はある程度気付いている。西条さんが何かを企んでいて、完全にこちら側の人間ではないということを。そして、見つけなければいけない裏切り者が、彼女である可能性が高いことにも。だからなのか、誰一人として一人で歩く彼女に声をかけようとしなかった。

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