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「どうしたんですか?」
「いや、ちょっと脚本のラストが決まらなくて…」

そう言って机に突っ伏す彼の目の下にはクマが出来ていた。顔色も心なしか悪くて、しばらく寝ていないことが窺えた。授業のノートは私が取るから少し寝たらどうか、という私の提案にお礼の言葉を返すのとほぼ同時に眠りについた彼の髪にそっと手を伸ばし、ハッと我に返って引っ込める。私、今何しようとした…?

彼と知り合って、名前で呼ぶことにも少しずつ慣れ始めた。授業を一緒に受けるのも当たり前のようになりつつあって、お昼を一緒に食べることも少しずつだけど増えてきた。連絡先を交換している訳じゃないからいつもいつも会えるとは限らないけれど、それでも結構な頻度で顔を合わせている。

だとしても、だ。眠っている彼の髪に触れようとした、なんて。恥ずかしさで話すことすらままならなかった私がそんな行動に出ようとするなんて自分でも信じられなかった。伸ばした手を反対の手で掴み胸の前で抑える。心臓がドクドクといつもよりも早く脈打っていて、顔も熱い。小さく頭を振ってから黒板に目を向け、邪念を振り払うように板書に専念した。

「授業、終わりましたよ」
「ん…く、ぁ…」
「ゆっくり寝れました?」
「なんか、久々に熟睡した感じっす」
「ええ…何日寝てないんですか…」
「今回はまだ3日くらいっすね」
「3日!?」

授業が終わり、あの人同じように彼を起こす。前と違うのは、起きた後すぐにその場を立ち去らずに私と会話をしてくれるようになったこと。さらりと寝ていないことを暴露する彼に苦笑いしながら質問すればこれまたさらりと衝撃の答えが帰ってきて思わず大きな声を出してしまった。彼が劇団で脚本家を担当していることは知っていたがそれほどまでに大変だとは思っていなかった。

なにか私に出来ることは、と考えたけれど部外者の私が、彼の描く世界に口出しをする訳にはいかないし公演の準備を手伝うことなんてもっと出来ない。私に出来ることは公演を見に行って彼に感想を伝えることくらいだ。だからと言って、頑張ってねの一言で終わらせてしまうのはどうにも心苦しい。なにか、さり気なく彼が元気になるようなことをしてあげられないだろうか。

「あの、私にできることがあったら言って下さい!」
「え?」
「部外者なので、脚本とか公演に直接関わることは出来ないんですけど…綴さんが困ってるなら力になれるように頑張ります…!」
「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて、一個質問してもいいっすか?」
「は、はい!上手く答えられるか分からないですけど…」

考えても考えても答えは出なくて。最終的に彼に直接言ってしまえ、と安直な答えを出した私は受講票を記入する彼に声をかけた。キョトンとした顔で私を見る彼に続けて言葉を紡げば、彼はふんわりと笑ってくれた。二人で受講票を提出し、近くの談話スペースに座る。私に、彼が望む答えを与えられるだろうかと不安に思いながらも彼の「質問」に答えるべく彼に向き直った。彼からの「質問」は友情のあり方。

今回の春組の公演のラストシーンがどうにも彼の中でしっくりこないらしく、何日も考えている、と。彼を真っ直ぐ見て、私はゆっくりと口を開いた。友情のあり方、と言われても様々な形があると思う。それは人によって異なるもので、万人受けするものから当人達しか理解し得ないものまで幅広いと思う。一度言葉を区切って息を吸う。上手く伝わるか、分からないけれど。彼の望む答えかどうか、分からないけれど。不安を飲み込むように息を吸って、再度口を開く。

「でも、心は繋がってると思うんです」
「心…」
「どんなに離れていても心が繋がっていれば友情って成立すると思います」

例え、その友情の形が誰からも理解されなかったとしても。例え、その友情の形が多くの人に受け入れられてるものだとしても。心が繋がっているから、友情は成立しているのだと思う。どちらか一方の想いだけじゃそれは友情とは呼べない。

互いが互いを想っているからこそ友情として成立するのだ、と。全くまとまっていない私のしどろもどろな言葉を彼は真剣な顔で聞いてくれた。私の話を聞いた後、少し考えるような表情をして何やらメモを取って私を見てくしゃりと笑った。

「名前さんのお陰でラストシーン決まりそうっす。ほんとにありがとうございます!」
「そ、そんな…!綴さんの役に立ててよかったです」
「千秋楽のチケット用意するんで、もし良かったら見に来て貰えますか?」
「ほんと!?」
「今のお礼ってことで、どうすか?」
「嬉しいです!私こそありがとうございます!」

私からすれば彼の役に立てたという事実だけでもかなり嬉しいし、彼の笑顔を今独り占めできているという事実も合わさってこの状況そのものがありがたい。いつも何かとお礼と称して何かを買ってくれる彼のことだから今回も何か買ってくれようとするのではないか、と構えていたのだがまさかの千秋楽のチケットに思わず食い気味にリアクションをしてしまった。

今人気のMANKAIカンパニーの千秋楽のチケットは倍率が高く、買えないことが多い。前回の冬組公演も前々回の秋組公演も千秋楽のチケットを取ることができなかった私にとってそのお礼は何よりも嬉しいものだった。何より、彼が出演する春組公演の千秋楽のチケットなんて欲しくないはずがない。嬉しさで緩む頬を抑えることなく彼にありがとうと言えば、どういたしましてと彼も微笑んだ。
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