ホールケーキアイランドを出て暫く経った。追手はとうの昔に見えなくなっていて、クルーの数はいつもより少ないけれどいつも通りの日常が戻りつつあった。
ずっと苦しそうだったサンジくんも、いつものように笑っていてホッとする。その反面、あの日彼から言われたセリフを忘れることが出来ずに心を痛める自分もいる。
『大変だったよ、君が思い描く理想のサンジくんを演じるのは。ようやく肩の荷が降りた』
私を突き放した手と冷めきった目。座り込む私にいつものように手を差し伸べることなく、サンジくんは私に背中を向けた。
『もう二度と会わないんだ。俺のことは忘れて、新しい恋人でも作ってくれ』
そう言って歩き出したサンジくんの背中に必死に手を伸ばしたけれど、届かなくて。溢れた涙も、弱音も、傷ついた心も、何一つ今まで通りになんてなってくれなくて。
けれど、彼が戻ってきてくれた事実だけが私を一人で立たせてくれた。
きっと、彼があのまま船を降りていたらもう二度と一人で立ち上がることが出来なかっただろう。
「はぁ…」
何度目かも分からないため息をついて海を見つめる。
サンジくんと同じ青色の海がゆらゆらと揺れて、船に当たっては飛沫をあげる。彼が船に戻ってくることが分かった時、喜びで涙を滲ませたナミに対して私は涙の一つも流れなかった。理由なんて分からない。
けれど、嬉しくて涙が流れるなんてことはなかった。それなのに、今この瞬間になって何かが込み上げてくる。
「ふ、ぇ…っ」
口を押さえていた手の隙間から零れた嗚咽と、頬を伝った涙。
なんで、なんで今更。止まってよ、止まって、お願いだから。
小さく蹲って涙を必死に堪えていれば、サンジくんの声が耳に響く。少しだけ戸惑ったような彼の声が私の名前を呼んで、足音が止まる。
「泣いて、る…のか…?」
「なっ、泣いて…っ、ないよ…」
大丈夫、大丈夫だから。そう言って首を横に振る私にサンジくんが足を一歩踏み出す。
いつもの彼なら私が何と言おうと駆け寄って涙を拭ってくれたのに、それをしないのはあの日の出来事があるからだろう。
だって、私はもう彼女じゃないのだから。
「俺の、せい…だよな…?」
「ほんとに、なんでもないから…っ」
「何でもない訳、ねぇだろ…!俺は…っ、君に酷いことを言った…!いつものように笑って迎えてくれたことに甘えて、あの日の出来事を有耶無耶にした…!謝りたかったんだ…!君に、あの日から、ずっと」
震えるサンジくんの声が痛々しくて、ゆっくりと視線をあげる。
私の顔を見て、彼がぐっと拳を握ったのが分かった。肩に力が入って、まるで何かに耐えるように奥歯を噛み締める彼が吐き出した言葉にぐらりと頭が揺れた。
泣いているのは私のはずなのに、彼の方がずっと苦しそうだ。
「本当に、ごめん…!一方的に君を傷付けて、何でもないような顔で戻ってきて…!本当に、ごめん…っ、許してくれるなんて、思ってない。でも、君に謝りたいって、償いたいって思ってるのは本当だ!だから…っ、もう一度、俺にチャンスをくれないかい…?」
頭を下げて謝るサンジくんにぐらりぐらりと頭が揺れる。
違う、違う違う違う。私が欲しいのは、そんな言葉じゃない。あの日のことを謝って欲しい訳じゃない、償って欲しい訳じゃない。
ただ、あの日私に言ったことは嘘だよって。本当はあんなこと思ってないよって。俺が好きなのは君だけだよって。いつもみたいに抱きしめて欲しいだけなの。
「っ…や、だ…。やだ…っ、謝るとか、償うとか、そんなんじゃないの…!また、サンジくんとっ、一緒にいたいだけなの…っ、!やだ、やだぁ…っ、謝らないで、よぉ…っ、」
我慢していた涙がボロボロと零れて頬を濡らす。
何を言っているのか、自分でもよく分からない。私が思っていたことが、伝えたかったことが、サンジくんに伝わったのかどうかも分からない。
けれど、もうこれ以上言葉を紡ぐことなんて出来なかった。溢れた嗚咽が、涙が、止まらない。必死で涙を拭っても、拭っても、止まらない。
「っ…!あんなの、嘘だ…!俺は、名前ちゃんが大切で大切で仕方がないんだ…!名前ちゃんの存在を疎ましいと思ったことなんて、一度だってない!好きだよ、大好きだ。世界中の、誰よりも。名前ちゃんだけを愛してる…っ、だから…!また、俺の隣にいてくれるかい…?」
私の言葉を聞いて、弾かれたように顔を上げた彼が私の腕を引いて思い切り抱きしめる。痛いくらいに抱きしめられて、耳元で吐き出される痛々しい声。
震えた声が縋るように私に問いかけて、背中に触れるサンジくんの手が小さく震える。私があの日からずっと望んでいた言葉に、何度も頷いて彼にしがみついた。
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