原因も治療法も何一つはっきりしていない病だと、そう言われた時にそっかとしか返せなかった。
少し前から昔の事が思い出せなくてモヤモヤすることがあって。でもそれは時間と共に忘れてしまっただけなんだと思っていた。でも、それが病の兆候だったんだ。
「時間と共に過去の記憶がどんどんなくなっていくんだ。新しい記憶が増える分、昔の記憶から徐々に消えていくって病だ。今は、原因も治療法も、何も分かってない…」
そう言って泣きそうに顔を歪めたチョッパーに、私はどんな顔をしていたのだろうか。治せなくてごめんな、とそう言って私に抱きついてわんわん泣いていたチョッパーの頭を優しく撫でて、抱きしめたことは覚えてる。
何年かしたら、今日のこの日のことも忘れてしまうのだろうか。
ルフィに初めて出会った日のこと。ゾロと初めて一緒にお酒を飲んだ日のこと。ナミと一緒に買い物に行ったこと。ウソップに聞かせてもらった沢山のお話。サンジくんが作ってくれた美味しいご飯。
チョッパーに怪我をして怒られたこと。ロビンと一緒に本を読んだこと。フランキーに色んな物を作ってもらったこと。ブルックと一緒に歌ったこと。
全部、全部、全部。私の中では大事な思い出で、何一つ忘れたくなくて。でも、病はもう私の体を蝕んでいて。今じゃ小さい頃の事なんて一つも思い出せない。
「…わすれたく、ないなあ…っ」
ぽろりと零れた涙が頬を濡らして、声が震える。
チョッパーに病名を告げられた日から、私は日記を書くことにした。覚えておきたいこと、忘れたくないこと。書いて、残しておけば、記憶がなくなった時に見て思い出せるかもしれないから。
皆に内緒で書き始めたノートはあっという間に二冊、三冊と増えていく。今までに書いたノートを抱きしめて溢れる嗚咽を必死に飲み込む。
泣くな、泣くな泣くな泣くな!泣いたら、皆に心配かけちゃう。優しい皆に迷惑なんてかけられない。
必死に唇を噛み締めて、握った手に力を込める。カタリと小さな音がして、反射的に振り返ればそこには険しい顔をしたルフィがいた。
「ぁ…る、ふぃ…」
「何してんだ」
「ぁ、その…な、なんでもないよ」
顔を逸らして目尻の涙を拭う。誰もいない場所で一人で泣いていたなんて、心配かけるに決まってる。
なんてことないように笑いながら返せば、ルフィの顔が不満げに歪む。近づいてきたルフィがいつもより乱暴に私の腕を掴んで引っぱる。半ば引き摺られるようにして連れてこられたダイニングには皆がいて。
「ね、ねぇ、ルフィ?どうしたの?」
「一人で泣いてんじゃねえよ!」
「っ…!な、ないてなんか…」
「泣いてただろ!さっきも!今までも!」
俯いたまま何も言わないルフィに恐る恐る声をかければ、顔を上げたルフィが私の肩を掴んで怒鳴る。ぴくりと微かに震えた肩にきっとルフィは気付いた。
私の目を真っ直ぐに見て言い切ったルフィに自分の顔がくしゃりと歪んだのが分かった。
「どれだけ泣いたって病気は治らねえ!お前が昔のことをどんどん忘れてくのは、もうしょうがねえんだよ!」
「ちょっとルフィ!」
「おいルフィ!言い過ぎだ!」
「うるせえ!!!」
分かってたんだ、初めから。どれだけ泣いても、苦しんでも、病気は治らないし失った記憶は戻らない。でも、信じたくなかったんだ。誰かにそうだと言われるのが怖かった。
だから、気にしてないよって。大丈夫だよって。平気な顔をして、皆にその話をさせないようにしてきたんだ。私は無意識にそうやって自分を守ってたんだ。
ぶわりと目が熱くなって涙が溢れる。ナミとウソップが咎めるように大きな声を上げるけれど、ルフィはそれより大きな声でそれを制した。
「わかってる…わかってるよ!!そんなこと!!でも、だって、忘れたくないじゃん!!皆と一緒に、いっぱい冒険して、色んなことして、それも、これも全部忘れちゃうんだよ!?」
そんなルフィにぐらぐらと心が揺れる。
今まで我慢していた分が、ずっと思ってたことが。ぽろっと零れた言葉は止まらない。震える声で、涙を流して、悲鳴にも似たような声で叫ぶ私を、みんなはどう思うだろうか。
「私は、ぜんぶ、覚えてたいのに…!わすれたくないって、思っちゃダメなの!?皆との思い出を、おぼえてたいって…っ、思っちゃダメなの…!」
足が震えて立っていられなくなって床に座り込む。ボロボロ溢れる涙を必死に手で拭って、子供のように声を上げて泣く私と視線を合わせるようにルフィがしゃがみ込む。
顔を覆って泣く私の手首を掴んで、無理やり私と視線を合わせたルフィがすぅっと息を吸った。
「お前が忘れたからなんだ!俺たちはお前としたことも、見た景色も、話したことも、全部覚えてんだ!お前が俺たちのことを忘れたって俺たちは覚えてる!忘れたんなら、全部俺達が思い出させてやる!それじゃダメなのかよ!」
「っ、…!だめ、じゃっ、ない…っ!ダメじゃない…っ!」
力強く言われた言葉に、また涙が零れた。
ぐうっと胸がいっぱいになって苦しくなる。必死に紡いだ言葉にルフィは満足そうに笑って私の頭をガシガシと撫でる。座り込んで、声を上げて泣き続ける私の元に真っ先にチョッパーが駆け寄ってくる。
「おで、っ!おでも、ぢゃんど、おぼえでるがらな!わずれだごども!ぢゃんど、おじえでやるがら!」
「うんっ…!うん…っ!」
私にぎゅうぎゅうとしがみついて、泣きじゃくる私に負けないくらい涙を流すチョッパーを抱きしめて何度も頷く。
「不安なら不安って言いなさいよ!バカ!アンタが忘れたくないなら、忘れたくても忘れられないくらいに強烈な思い出にしてやるわよ!」
「な、み…っ、ごめっ、ごめんね…っ!」
「何謝ってんのよ、バカ…っ!」
私の前に立って涙を浮かべながら怒るナミに謝れば、我慢できずにナミの目からも涙が溢れる。ぎゅっと抱きしめられて、柔らかくて優しいナミの腕に包まれる。
「頭では忘れても、体が覚えてるってのはよくある話なんだ。だから、どんなに忘れちまっても俺の料理できっと思い出せるよ」
だから、泣かないで。そう言って私の頭を優しく撫でたサンジくんにまた涙が溢れる。
うわぁん、と声を上げて泣いた私にサンジくんは困ったように手をうろつかせて、そっと私の背中を撫でてくれる。
「毎日トラブルしか起こんねェこの船で起きた事を忘れろって方が無理な話だろ。いつまでもンな小せェことで泣いてんじゃねェよ」
「ンぬわにぃ!?小せェこと!?レディが泣く理由に小さいもでかいもねェんだよ!謝れクソマリモ野郎!」
「あァ!?てめェは何でもかんでも女の肩持ってんじゃねェよ!やんのか、アァ!?」
「なァんでお前ら喧嘩してんだよ!!!でもまぁ、ゾロの言うことも一理あるな。こんな騒がしい船で、簡単に忘れられるとは思えねえよ。だから心配すんなって!」
私の頭をポンと撫でてふっと笑ったゾロにサンジくんが文句を言う。いつものように二人で始めた喧嘩をウソップが止めながらも私を見て笑う。
必死に唇を噛み締めて、泣くのを我慢しようとしてるのに。皆が笑いかけてくれるだけで、涙が零れそうになる。
「我慢しなくていいのよ。今までずっと、泣くのを我慢してたんでしょう?」
「記憶が無くなるなんて、想像しただけで私心臓はち切れそうです。まあ、はち切れる心臓ないんですけど!ヨホホホ!」
「うおおお!健気だなァ…!俺ァ、感動したぜェ!!」
必死に噛み締めていた唇に、ロビンの綺麗な手が伸ばされる。濡れた頬を優しく撫でて笑うロビンにまた涙がボロボロと溢れる。
そんな私を笑わすようにブルックが笑って、隣ではフランキーがボロボロと涙を零して。一人で悩んで泣いていたのが馬鹿らしくなるくらいに騒がしくなった船に、安心して涙が溢れた。
皆と一緒なら、どんな事だって怖くない。きっと、乗り越えられるってそんな気がするんだ。
「ルフィ、ありがとう」
「…!ニシシッ!いいんだ!気にすんな!」
隣にいたルフィの手を握ってそう言えば、ルフィは少しだけ驚いたように目を見開いてからいつものように笑ってくれた。
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