おもいだしてよ、

※荒北が記憶喪失
※荒北が別のモブと付き合う描写有
※東堂が葵のマブ


◇◇◇

落車の衝撃で頭を強く打った靖友が病院に運ばれてから数時間後。寿一と一緒に帰ってきた靖友の様子がおかしい事に気付いたのは一体何人いたんだろう。いつも違う靖友が静かに寮の自室に戻り、寿一から聞かされたのは靖友の記憶障害についてだった。完全に全てを忘れた訳ではないが、部分的に記憶が抜け落ちているようで自転車部の事だったり私と付き合っている事だったり色んな事を忘れてしまっていると。驚いたけれど、命に別状がある訳じゃないならまあいいかとホッと胸を撫で下ろした。

けれど、全く安心できないことに気付いたのはその後だった。記憶が無いせいなのか、近付き難かったはずの靖友は人に囲まれるようになっていた。元来優しい性格の彼は口と態度の悪さが故に皆から距離を置かれていただけで、口調と態度さえ改めれば比較的モテる人種であることをすっかり忘れていたのだ。ああ、また女の子に囲まれてる。今まで靖友に興味もなかったような女の子達が、手のひらを返したように靖友にまとわりつく。

「本当に、言わなくていいのか?」
「いいの。ただでさえ分かんないことだらけで混乱してるのに、私と付き合ってたんだよとか言ったらもっと気使わせちゃうじゃん」
「だが…あの状況じゃ、葵だって良い気はしないだろう」
「…まあ。それはそうだけどさぁ…」

ズキズキと痛む心に蓋をしてそっと視線を逸らす。いつの間にか隣に居た尽八が心配そうに眉を下げて私を見るから、つられるように眉が下がった。ふにゃりと情けなく笑った私に尽八はムッとした顔をしてから渋々納得したように私の頭を撫でた。

「何かあったら、言うんだぞ」
「うん。ありがと」

一年の頃から、悪友と言う関係が一番しっくりくるくらい一緒にいたのは尽八だった。靖友を好きになった時に誰よりも応援してくれたのは尽八だったし、付き合うことになったと伝えた時に誰よりも喜んでくれたのも尽八だった。靖友が記憶をなくしたと知った時も、誰よりも先に私のことを心配してくれた。でも、その心配がまさか本当になっちゃうなんて思ってもいなかった。きゃあきゃあと聞こえてくる女子特有の高い声から逃げるように背を向ける。

ああ、ダメだ。やっぱり言えばよかったかな。貴方は私と付き合ってるのよ、って。でも、そんなこと言ったら優しい靖友はきっと私に気を使う。今一番大変で、辛いのは私じゃなくて靖友なんだから。頭をよぎる自分本位な考えに嫌気がさして、振り払うように頭を降る。大丈夫。いつかきっと思い出してくれるから。それまで私が待てばいいだけ。待つのは得意だもん。平気だよ。そう自分に言い聞かせていたけれど、それはいとも簡単に崩れ落ちた。

「荒北先輩の事が好きです…!付き合ってください…!」
「アー、オレで良ければァ」

偶然居合わせてしまったのは告白現場。それも、靖友が告白されてOKしてる現場。ギリギリ繋ぎ止めていたものがプツリと切れたような気がして、ズルズルとその場に座り込む。息が出来なくて、胸が苦しい。見たくないのに、目が離せない。二人の距離が、顔が、ゆっくりと近付く。

嫌だ、やだ、止めて。

ガンガンと痛む頭とヒュッと音を立てる喉。二人の唇が重なりそうになった瞬間、後ろから誰かに目元を覆われた。ふわりと香ったのは親友の香水で、少しだけ乱暴に引かれた腕に引かれるがままに足を動かした。

「大丈夫、ではないな…」
「じん、ぱちぃ…」
「何も言わなくていい」
「ぅっ、ふえ…っ、」

少しして立ち止まった尽八に顔を覗き込まれて、柔らかいタオルが目元に押し当てられる。ボロボロと零れる涙がタオルに染みていって、背中を優しく撫でられる。嗚咽は我慢できなくてしゃくり上げて泣く私の隣で、尽八は何も言わずに一緒にいてくれた。

真っ赤になった目を見て小さく笑った尽八は私を女子寮まで送ってくれた。帰り際にきちんと冷やせよ、と告げられてコクリと頷き、言われた通りに濡らしたタオルで目元を覆ってベッドに倒れ込む。頭の中で何度も何度も繰り返し再生される今日の告白シーンにぶわりと吐き気が込み上げる。慌ててトイレに駆け込んで胃の中の物を吐き出すけれど、出てくるのは胃液だけ。

もう、やだ。

止まったはずの涙がまた零れて、その日は眠る事なんて出来なかった。次の日も、その次の日も。夜は眠れないし、食事もままならない。食べても吐き出しちゃうし、眠れても夢を見て飛び起きる。日に日にやつれていく私を見かねた尽八が行動を起こしてくれなかったら、私はきっと倒れていたかもしれない。

渡される小さなおにぎりをゆっくり時間をかけて食べて、細かく切られた野菜が入った薄味のスープを飲んで。私のことを思って尽八が作ってくれた物を食べながら、ずっと考えていたことを言葉にした。

「ねえ、尽八」
「ん?」
「わたし、靖友のこと、好きでいるのやめる」
「…本気か?」
「うん」

突然の私のセリフに目を見開いた尽八にコクリと頷く。だって、こんなに辛いなら、止めた方がいいじゃない。ぽたりと落ちた涙がスカートにシミを作る。もう、いいの。ずっと、このままじゃ、尽八にも、皆にも、迷惑かけちゃうから。だから、止める。そう言って無理やり笑顔を作った私の頬を尽八は、叩いた。パシン、と音がしてじわじわと痛む頬に呆然としながら尽八を見る。

「お、前は…ッ!そんなんで解決する訳ないだろう!?荒北が記憶をなくしたと知った時からずっと、荒北の為だとか皆に迷惑かけるだとか…!葵の気持ちはどうするつもりだ!!」

本気で怒ってる。

今までふざけてて怒られたり、呆れられたりする事は何度もあった。でも、今は違う。本気で怒ってくれてる。

「思い出すまで待つ必要なんかないだろ。思い出さないなら、思い出させればいい。大丈夫だ、俺がいる」
「じん、ぱち…っ」
「お前はいつもみたいに笑っていろ。荒北はチョロいからな!もう一度惚れさせるのは簡単だ!」
「ばかじゃないの…っ、ほんっと、ばか…!」

ボロボロ泣く私の頭にぽんと手を置いて、いつものように笑った尽八に苦しかった胸の痛みが消えていくような気がした。こんなに自然に笑えたの、あの日以来初めてかもしれない。あははっ、と声を上げて笑えば尽八はふっと優しく笑って私の頬に手を当てた。

「…殴ってすまなかった。痛かっただろう」
「ううん。私の方こそ、ごめんね。叩いた手、痛かったでしょ」
「いや、謝るのは俺の方だ。いくら気が昂っていたとはいえ女子の頬を叩くなど…」
「本気で怒ってくれて、嬉しかったから」

先程までの勢いはどこへやら。しょんぼりと眉を下げた尽八にクスクス笑いながら返せば、尽八も困ったように笑う。本当に嬉しかったんだ。可哀想だとか何とかって言って同情されるより、何してんだって怒られる方がずっといい。尽八が本気で私を大事に思ってくれてることが分かって、嬉しかった。

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