必ず迎えに行くから、先に行ってて

※前世の記憶持ちで半獣に生まれ変わった荒北と、何も覚えてない人間葵のお話。
※ほんっっっっとにちょっっっっとだけ葵が死ぬ描写があります。


◇◇◇

大学からの帰り道。アパートの前に置いてあったダンボール箱の中にいたのは耳としっぽの生えた男の子。驚きながら箱を覗き込めば、ぱちりと目を開けた男の子と目が合う。

「君、どうしたの?」
「…べつに」

舌っ足らずな口調でそっぽを向いて答える男の子にどこか見覚えがあるような気がするけれど、どこで見たのかは思い出せない。男の子を見つめながら思考を巡らせていれば、くしゅんと小さなくしゃみが聞こえてくる。そろそろ冬になるというこの時期に半袖半ズボンで縮こまる男の子を当然放っておくことなんて出来ない。

「行くとこないならウチにおいで」

そう言って差し出した手に重ねられた小さな手を握って家の扉を開けた。一人で入れると言う男の子をお風呂に案内して、部屋着に使っていたTシャツとハーフパンツを着せ、簡単にご飯を作って一緒に食べる。口の端に付いていたご飯粒を指先で拭って頭を撫でれば、男の子はくすぐったそうに笑う。

「君、名前は?」
「…あらきた」

なんて呼んだらいいかな?と首を傾げた私に、アラキタくんは少しだけ寂しそうに何でもいいよと呟いた。そのままいくつか質問をして話を聞けば今の彼に帰る場所は無いらしい。それならこのまま一緒に住もうかと頭を撫でてその日は彼を抱えて一緒に眠った。

それから一週間ほどしてウチに来た時よりも一回り大きくなったアラキタくんを連れてショッピングモールへと買い物に行った。一緒に住むにあたって、服や食器を買って帰って来たのもつかの間。一ヶ月ほどであっという間に私よりも身長が高くなって大きくなった彼にぽかんと間抜けな顔をしてしまう。

「大きくなるの、早いね…?」
「そりゃァ、猫だしネ」
「そっかぁ…」

返ってきた答えは納得していいものなのか悪いのか分からないけれど、まあアラキタくんと一緒に暮らせるならそれでいいやと絆されている自分がいるのも確かだった。二人で一緒に暮らすのにも慣れてきた、そんな日に私はずっと聞きたかった質問を彼にぶつけた。

「あ、のさ。何で、あの日あそこにいたの?」
「…べつにィ」

あの日と、同じ答えだった。きっと、アラキタくんはその質問に答えたくないんだろう。ふい、とそっぽを向いた彼といつも交わる視線が交わらない。

「ごめんね…!言いたくないこととか、思い出したくないことくらい、そりゃあるよね…!」

ほんの少しだけ重くなった空気を払拭しようと努めて明るい声をあげたけれど、それは間違いだった。私を見て悲しげな目をしたアラキタくんにヒュッと呼吸が止まった。どうして、そんな顔をするの。胸がズキズキと痛んで、言葉が喉の奥で詰まるようだった。

「ほんとに、覚えてねェのかよ」
「…え?」
「っ、何でもねェ」

必死に絞り出したような声で呟いたアラキタくんの言葉が引っかかる。覚えてないって、何?ほんとに、って何?私、何か大事なことを忘れてる?ぐるぐると頭を巡る気持ちの悪い感覚と、いつもより少し乱暴に閉められた扉。寝室に閉じこもってしまった彼を追いかけるように扉の前に立つ

一緒に過ごすうちに、少しずつ彼に惹かれていった。優しくて、頼りになって、私の事を大事にしてくれる。最初からずっと、初めて会った気なんてしなかった。好きになるのに時間なんてかからなくて。好きだって、伝えなくても一緒にいられるこの関係に甘んじてた自分がいた。だからこそ、私が、彼にあんな悲しげな顔をさせた事実が苦しかった。

「わたし、アラキタくんに何かしちゃったかな」

扉越しに呟いた声は、私が思っていたよりもずっと小さくて。聞こえたかどうかは分からない。でも、人よりずっと耳の良い彼なら、きっと聞こえてくれていると思った。少しして、扉の向こうから小さな音が聞こえてきて、直ぐに彼の静かな声が部屋に響いた。

「オレさァ、前世の記憶があンだよねェ。だから、葵の事探してたんだヨ。見つけて、やっと会えたって思って、なのにお前は覚えてなかった。ほんとはさァ、オレも忘れようと思えば忘れられンだヨ。半獣じゃなくて、猫として生きることも出来た。でも、葵が覚えててくれたらって、ちょっと思っちまったンだ。だから、期待して会いに来た」

開いた扉から顔を覗かせたアラキタくんは泣きそうな顔して。初めて告げられた真実に、私は返す言葉が見つからなかった。何度か口を開いたり閉じたりして、それからギュッと目を閉じる。かすかに震えた指先をぎゅっと握りしめて、口を開こうと目を開けた瞬間だった。彼の口から飛び出した言葉に私の頭は真っ白になった。

「やっぱオレ、出てくわ」

バタン、と閉まった玄関の扉と見えなくなるアラキタくんの背中。呆然と立ち尽くして、ハッとして慌てて追いかけた時には、もう彼は道路の向こうを歩いていた。姿が見えたのと同時に走り出して、すぐに鳴り響いたクラクション。一瞬だった。迫ってくる車と、焦ったような彼の顔。

誰かに抱きしめられたまま地面を転がって、ぶつけた頭に視界がぐらつく。必死に呼ばれる自分の名前にゆっくり目を開ければ泣きそうな顔なんかじゃなく、ボロボロ涙を流してる彼の姿が目に映る。

「やす、とも…?」

口をついて出たのは誰かの名前。初めて口にしたはずなのに、自然と馴染むその響きに何故か安心した。私の言葉に目を見開いて抱きしめてくるアラキタくんの香りに誘われるように、頭の中に映像が流れ始める。

私は、今と同じように泣いてる靖友に手を伸ばしていた。一緒に学生生活を送って、自転車に全てを捧げて、ある日不慮の事故に巻き込まれて靖友を一人にしたんだった。泣いてる靖友に先に行ってるねって。来世でも会えるかなって。泣いてる私に、靖友も泣きながら言ってくれたんだった。

「絶対迎えに行くから、ちゃんと待ってろヨ」

って。何で忘れてたんだろう。何で、こんな大事なこと、忘れてたんだろう。ボロボロと涙が零れて、頬を濡らす。

「ごめん、ごめんね。靖友、迎えに来てくれて、ありがと」
「っ、思い出すの、遅ッせェんだよ…!ボケナスが…ッ!」

靖友の頬を流れる涙を必死に手で拭って、笑いかける。こんなにボロボロ泣いてる靖友を見るのは二回目だ。あの日と、今と。痛いくらいに抱きしめられて、彼の涙で肩口がじんわりと濡れていくのが分かる。

「いっぱい、待たせてごめんね…っ、靖友、っ、!」
「もう、いいからァ。黙ってろ」

彼の背中に腕を回してギュッと抱きつく。何度も名前を呼ぶ私の頬をゆっくりと撫でた靖友が、私の唇に噛み付いて。世界も、呼吸も、何もかも止まっているような感覚に溺れた。

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