おもいだしてよ、

※荒北が記憶喪失
※荒北が別のモブと付き合う描写有
※東堂が葵のマブ


◇◇◇

「おはよ!靖友!」
「オー、はよォ」

あの日から、ずっと心は軽くなった。靖友が彼女の女の子と一緒にいる所を見るとやっぱり辛くなるけど、その時は尽八が傍にいてくれた。どこの誰とも知らない後輩の女にアイツを渡していいのか?なんて発破をかけられたりして、いい訳ないでしょ!と俄然やる気になった。思い出してくれれば万々歳。思い出してくれなくても、また好きになってもらえばいい。たったそれだけの事だったのに、気付けなかった。

「前とは見違えたな」
「何が?」
「つい最近まで死にそうな顔してだろ」
「うっ…その節はお世話になりました…」

今まで程ではないにしても、笑えるようになった私を見て尽八がふっと表情を緩める。それもこれも、全部尽八のお陰だと笑って返す。ぐしゃぐしゃと頭を撫でてくる尽八に止めてよ、と笑いながらふざけていれば、誰かに腕を引かれる。とん、と背中に当たった誰かの体とふわりと香った懐かしい匂い。少しだけキツく握られた手首と、目の前で目を見開く尽八の顔を見てドクリと心臓が音を立てた。恐る恐る振り返って視線を上げれば、視線が交わる。

「や、すとも…?」

意図せず震えた声と、じわりと滲む涙。

何で、こんなことするの?
覚えてないんじゃないの?
こんなの、自惚れちゃうじゃん。
やめてよ。

言いたいことはいっぱいあるのに、喉の奥に何かが詰まったように言葉が出てこない。逃げ出したいのに足が動かなくて、視線も逸らすことが出来ない。

「な、んでもねェ。悪ィ、」
「あ、おい!荒北!」

ダメだ、このままじゃ泣いてしまう。その思った瞬間、手首を掴んでいた手が離れて距離が開く。私たちに背を向けて足早に歩いていった靖友の背中を呆然と見つめることしか出来ない。靖友を引き止めようとした尽八の声に振り向くことなく見えなくなった靖友に、我慢できなかった涙が流れる。

「覚えてないんじゃ、なかったの…ッ、なんで、あんなの、期待させないでよ…!」
「葵…」
「ムカつく…ッ!何なのよ、なんで、私ばっかり振り回されて…!ムカつく…!」

今までとは違う涙の理由だった。記憶があってもなくても、靖友は靖友で。私ばっかり振り回されて、私ばっかり嬉しくなったり苦しくなったりして。流れた涙を乱暴に袖口で拭って、心配そうな顔をする尽八をキッと睨んだ。

「ムカつくから、一発殴ってくる」
「どうしてそうなった!?」

ブレザーの袖をグイッと捲って、靖友が歩いていった方へと足を向ければ焦った様子の尽八に引き止められる。何を言ってるんだと言わんばかりの困惑した顔にムカムカと腹の奥に溜まっていた不満をぶちまけた。

「なんかもう色々通り越してムカついてきた!私のことあんなに好き好き言ってたくせに簡単に忘れるし!」
「いや、そこまで好き好きとは言ってなかったと思うが…」
「そもそも可愛い彼女が苦しんでる時にヘラヘラ笑って年下彼女作ってんじゃないわよ!!堂々と二股してんじゃねーよ!!」
「いや、まあ、それはそうだが…今の荒北からすればお前は部活のマネージャーだし…というかお前がそれでいいって最初に言ったんだろう…」
「尽八うるさい!!!!」
「いってぇ!?おい!俺に八つ当たりするな!」

ギャンギャンと声を荒らげる私に尽八は最初こそ引きつった顔をしていたけれど、すぐにふっと呆れたように笑って私の背中を押した。

「やっといつものお前に戻ったな。ほら、さっさと行ってこい。ただし、殴るのは一発までだぞ」
「二発は?」
「ダメだ。一発重たいのぶち込んでやればいいだろ」
「あははっ、そうする!」

握った手を私の方に向けて笑った尽八の拳に自分の拳をコツリとぶつけて駆け出す。靖友がいなくなってから暫く経っていることもあって、姿はどこにも見えない。探しながら歩いて、ふと思いついた。

そういえば、ここ、屋上に行く階段だ。

何かあると屋上に行っていた靖友の事を思い出して、そっとその階段に足をかける。階段を登りきった先には屋上へと続く扉があって、微かに扉が開いている。やっぱりここにいる。そう確信して扉を開ければ、驚いた顔でこっちを見る靖友と目が合った。

「また、ここにいたの」
「またって、」
「ねえ、靖友」
「…なんだヨ」

あの日以来、ずっと避けていた屋上は冷たい風が吹いていて少しだけ肌寒い。私から視線を逸らして気まずそうな態度を取る靖友から少し離れた場所に立って、すぅっと息を吸った。あーあ、ずっと言わないようにしようって思ってたのに。待つのは得意とか言ったけど、前言撤回。私、待てが出来ない悪い子だったみたい。

「私ね、靖友と付き合ってたんだよ」
「…は、ァ?」
「なのに靖友ってば、記憶なくして私と付き合ってたこと忘れちゃうし?しまいには新しく彼女作っちゃうし?びっくりするくらいメンタルやられちゃったよ」

ポカンとする靖友に、くるくる回る口が勝手に言葉を紡ぐ。つうっと静かに流れた涙が顎の先からぽたりと落ちて、地面を濡らす。

「ねえ、靖友。わたしのこと、まだ、すき?」
「お、れは…」
「わたしは、ずっと、靖友のことすきだよ。嫌いになんてなれない」
「っ、何なンだヨ…っ、!」

ほんの少しだけ、期待してた。思い出してくれないかなって。私の事、好きでいてくれないかなって。意地悪な質問だって、分かってるけど、それでも言わずにはいられなかった。自分に好意が向けられてるって分かってたら、靖友はそれを無下にできない。分かってるんだ。そういう人だって。ずるいとか、卑怯とか、そんなの知らない。あんな、ぽっと出の後輩になんて、靖友はあげない。

「最近、変なンだヨ。アイツと一緒にいても、何か違ェって思っちまうし…お前が東堂と一緒にいンの見てっとムカつくし…!」
「っ…ね、靖友。そっち、行っていい?」

頭をぐしゃぐしゃと掻きむしって苛立たしげに言葉を吐き捨てた靖友にぐうっと胸が膨らんだ。それ、私のこと覚えてるってことじゃないの?期待してもいいって事だよね?ゆっくりと靖友に近付いて、そっと頬に触れる。久しぶりに触れた靖友は、あったかくて泣きそうになった。

「覚えてなくて、いい。思い出さなくても、いい。あの子じゃなくて、私と一緒にいてよ」

座り込む靖友の前にしゃがみ込んで、そっと唇を重ねた。頬を両手で包み込んで、離した唇をもう一度くっつける。

好き。だいすき。
ねえ、おねがい。
あの子じゃなくて、私にしてよ

ポロポロと涙が溢れて止まらない。これで嫌だって言われたら、私、今度こそ立ち上がれないかも。真正面から振られたら、今度こそダメかもしれない。震える指先で靖友の頬を撫でれば、その手に靖友の大きな手が重ねられる。

「葵、」
「なぁに?」

呼ばれた名前に首を傾げる。私の顔を呆然とした顔で見ながら、靖友が何度も何度も私の名前を呼ぶ。重ねられた手をぐっと引かれて、あっと思った時には抱きしめられていた。苦しいよ、と呟くけれど靖友は抱きしめる力を弱めてはくれない。

「ねえ、」
「わ、りィ。オレ、サイテーだわ」
「やすとも、?」
「おもい、だした。全部。ほんと、悪ィ」

私が震えていたから、気付かなかっただけだった。私を抱きしめる靖友の手が、体が震えていた。掠れた小さな声で呟く靖友に、ポロリとまた涙が零れる。

「お、もいだしたって…」
「なんか、引っかかってたンだヨ。ずっと。モヤモヤしてて、気持ち悪ィのがずっと。ンで、今、全部思い出した」
「っ…、ほん、とに…?」

コクリと頷いた靖友にボロボロと涙が流れる。ダメだ。止まんない。嬉しくて、涙が止まらない。ぐっと体を離して靖友の顔を覗き込めば、靖友は泣きそうな顔をしていた。泣きそうな靖友と頬を両手で包んで額を合わせて、くしゃりと笑う。ああ、もう。嬉しくてどうにかなっちゃいそう。

「靖友、っ、やすとも…っ、靖友…っ!」
「ンな、何回も呼ばなくても聞こえてっからァ」
「ねえ、だいすきっ…すき、ほんとに、すき…っ」
「オレも、好き」

ちゅ、ちゅ、と何度も唇に触れれば、靖友もくしゃりと泣きそうに笑って私にキスをする。何度もごめんと謝られて、頭を撫でられて。私の体の水分、全部出ちゃうんじゃないかってくらいに涙が溢れた。

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