通勤時に向けられる下心しかない視線、会社内では媚びを売ってくる後輩や同期、そして何かと理由を付けて私を食事に誘おうとする上司や取引先。女性社員から向けられる妬みと僻み。社会人ってこんなに面倒なのかと誰もいないトイレの個室でため息をつくのは何度目か分からない。
どうしようもなくイライラした。高校時代も大学時代も、友人と一緒に炎天下の中汗を流して笑いあっていたあの頃に戻りたい。息の詰まる会社で黙々と仕事をこなし、当然のように定時で退社などさせて貰えずに真っ暗になった帰り道を一人で歩く。数時間前に靖友から来ていたメッセージに返事をして、またため息をついた。
玄関の扉をそっと開けてリビングへと向かえば、エプロンを付けた靖友がぱたぱたとキッチンで動き回っていてきょとりを目を瞬かせた。
「おかえりィ」
「あ、うん。た、だいま」
「飯、食うだろ」
「た、べる…けど、」
「早く手ェ洗ってこい」
何してんだよと言わんばかりの不思議そうな顔で私を洗面所へと押し込んだ靖友に促されるまま手を洗って着替えを済ませる。テーブルの上に並べられた料理と向かいに座った靖友の姿にぽたりと涙が零れた。何で泣いてるのかなんて、私だって分からない。
「なァに泣いてンだヨ」
「わっ、かんない…っ、」
「あーあ、メイクぼろぼろじゃねーか」
「うる、さぁい…!」
「へーへー、そりゃ悪ゥございましたァ」
ケラケラと何でもないように笑って椅子から立ち上がった靖友が私の隣にしゃがみ込む。目尻を親指でそっと撫でてちょっぴりバカにしたように笑われて、低い位置にある頭をびしりと叩けば、立ち上がった靖友に優しく抱きしめられる。宥めるように背中をとんとんと叩かれて頭を撫でられる。私ですら分からない私の気持ちを、全部見透かしたようなその態度に涙が止まらない。
「あンま頑張りすぎなくていいからァ」
「うん…っ」
「イヤな事はイヤでいいし、やりたくねェ事はやンなくていいし、ムカつくモンはムカつくんだヨ」
オメー、学生時代のふてぶてしさどこ行ったのォ?
ぼたぼたと涙を流す私の頬をむぎゅむぎゅと手のひらで潰してすげー顔、なんて笑う靖友の優しい目に肩の力が抜けた。初めての環境で気が張りすぎていたのかもしれない。誰にどう思われるかなんて関係ない。私は、私がやりたいと思ったことをやる。私が、正しいと思う道を行く。それが私じゃないか。
「名門箱学と名門洋南の敏腕マネージャー様はそんなんじゃねーだろ」
「もう、マネージャーじゃないんだけど」
「細けェこと気にしてンじゃねェよ」
私の頬に添えられた靖友の手に自分の手を重ねてクスクスと笑えば、靖友も同じようにクツクツと喉を鳴らして笑う。どちらからともなく重ねられた唇は甘くて、暖かくて、どうしようもなく愛おしい。