ずず、と鼻を啜った私にお兄さんは落ち着いた?と首を傾げた。こくりとそれに頷けば、ポケットから取り出したハンカチで私の涙を拭ってからペットボトルの水を差し出した。
「あの、ごめんなさい…」
「ううん、いーのいーの。女の子が泣いてるのを黙って見過ごすとか、男の風上にも置けないからね」
「おい何で俺のこと見てんだよ」
「え〜?俺何も言ってないけど?」
サングラスのお兄さんとじゃれ合う姿にふふ、と小さく笑みを零せば、お兄さんはふんわりと笑ってまた私の頭を撫でた。それから、困ったように眉間に皺を寄せて私の肩に手を置いた。真剣なその目にぱちぱちと数度瞬きをして、助けを求めるようにサングラスのお兄さんに視線を向けるけれど、サングラスのお兄さんも同じように険しい顔をしている。わたし、なにかしましたか。
「君、今何歳?まだ未成年だよね?」
「ガキが出歩いていい時間じゃねえだろ。俺達が通りかかったから良かったものの、自分がどんだけ危ねぇことしてるか分かってんのか」
「陣平ちゃん言い方」
「あ?事実だろ」
耳が痛い言葉だった。自分がまだ高校生になったばかりの未成年で、お兄さんたちが助けてくれなければ女性として最悪の結果になっていたかもしれない。自分でも分かっていることだったからこそ、耳が痛かった。お兄さんたちが私を心配して言ってくれていることは分かってた。分かってたけど、それでも子供な私は何にも知らないくせに、なんて思ってしまう。
私だって好きでここにいる訳じゃない。私だって家に帰りたい。でも、それが出来ないから、少しでも危険から身を守るためにここに来たのに。なんでそんなに怒られなきゃいけないの。
素直にごめんなさい、助けてくれてありがとうって。そう言えばいいだけなのに。ぐちゃぐちゃになった頭では何が正しくて、何がいけないのかも分からない。言葉は出てこないのに涙だけはぼろぼろと溢れてくる。いつもは、我慢できるのに、なんで今日に限って。
ぐしぐしと服の袖で乱暴に涙を拭って、必死に唇を噛み締める。がんがんと痛む頭は、泣きすぎたからだろうか。もう全部、嫌だ。口の中に広がった鉄の匂いが益々涙を誘うようで、更に唇を噛み締める。泣くな、泣くな。止まれ、涙。
「何か、あったの?」
「な、にもっ、ない…っ!なにも、っない、もん…っ、!」
ぐらりと、身体が傾いて視界がちかちかと点滅する。焦った様なお兄さんたちの声が少しづつ遠くなって、ぷつりとテレビの電源を落とすように意識が闇に沈む。ふわりと香ったお兄さんの香水の匂いに擦り寄るように身を動かした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【side:Hagiwara Kenji】
本当に偶然だった。いつものように陣平ちゃんと飲みに出かけた先で、たまたま見かけたのは数か月前に派手に警察と揉めてた男達。面倒ごとは御免だと、その場を離れようとしたがその男達の中に小さな影が見えて立ち止まる。
「ハギ?」
どうしたんだよ、と首を傾げた陣平ちゃんは俺と同じように男達の方を見て、サングラスの奥でその目を見開いた。気付いてしまえば放っておくことなんてできなくて、通行人を装って近づけば、女の子の震える声。反射的にその細い腕を掴んで抱き寄せれば、小さな体が俺の腕の中に納まった。
きょとんとした顔でこちらを見る女の子の顔は真っ青で、震える身体は全身で恐怖を訴えていた。安心させるように背中を撫でて、男達へと視線を向ければ明らかに動揺していて、視線がうろうろと彷徨っている。そんな男達に追い打ちをかけるように陣平ちゃんが意地悪をするものだから、笑いを耐えるのが大変だった。
男達を追い払って、再び女の子の顔を覗き込めば、真っ青な顔で無理やり笑顔を作ろうとする。痛々しいその姿を見ていられずに再び腕の中へと閉じ込めればわんわんと声を上げて子供の様に泣きじゃくる。
安心した様子の陣平ちゃんもきっと心配していたんだろう。ふらっといなくなったと思ったらペットボトルの水を持って帰ってくるものだからクツクツと喉を鳴らして笑ってしまう。暫く泣いていた女の子だったが、少しづつ落ち着いてきたようでずずっと鼻を啜って一歩下がる。
真っ赤になった目に可哀想だな、と思いながらハンカチで目元を拭って、陣平ちゃんから受け取ったペットボトルを渡す。困ったように視線を彷徨わせて、小さな声で謝る姿に気にしなくていいと頭を撫でる。
ホッとした様子の女の子には申し訳ないが、警察官を目指している我々としてはこの状況をはいそうですかと見逃すわけにもいかない。何か事情があったにしろ、未成年の女の子が一人で出歩いていい時間じゃない。それに飲酒や喫煙が当然のように行われている繁華街に来るなんてもってのほかだ。
俺と陣平ちゃんの言葉に思うところがあったのか、女の子はビクリと肩を揺らしてから視線を逸らした。俯いて表情の見えなくなった彼女にどうしようかと陣平ちゃんを見れば、眉間に皺を寄せて不満げな顔だ。ちょっと、この状況の女の子に追い打ちとか止めてね?
陣平ちゃんの様子にやれやれと肩を竦めたのも束の間。女の子の身体がふらふらと危なげに揺れる。おい、と陣平ちゃんが呼びかける声も聞こえていないのか彼女は俯いたまま動かない。
「何か、あったの?」
「な、にもっ、ない…っ!なにも、っない、もん…っ、!」
彼女の顔を覗き込んで、ぞっとした。色を失った真っ白な顔と、焦点の合わない瞳。明らかに様子が変だ。さっきの男達に何かされたか?とにかく一度病院へ連れてった方が良いかもしれない。そう思った瞬間、ぐらりと女の子の身体が傾いて、反射的に受け止める。
「陣平ちゃん!」
「救急車呼んでくる」
携帯片手に駆け出して行った陣平ちゃんを見送って腕の中で意識を失った女の子を見る。呼びかけに反応は無く、真っ青な顔は相変わらずだ。名前も分からない女の子に必死に声をかけていれば、女の子の頬を一筋の涙が伝う。
「ぉ、かぁさ…」
何かを求めるように擦り寄る女の子から発せられたその言葉に、声にならない吐息が零れる。やってきた救急車の隊員に同乗しますか?と聞かれて頷いた理由は、俺にも分からない。