季節は六月。連日の雨にはもううんざりだ。雨は、好きじゃないから。
「咲桜ちゃん?」
「なんでもなあい」
「何でもなくねえだろ、その顔は」
萩原さんの大きな手がむにむにと私の頬を揉んで、その度にんむ、と間抜けな声が漏れる。雨に濡れた靴下が気持ち悪い。加えて低気圧で痛む頭が鬱陶しい。それに、雨の日は思い出したくない記憶まで呼び起こされる。私にとって何一つプラスにならない雨の日は憂鬱でしかない。つきりと頭が痛んできゅっと眉間に皺を寄せれば目敏くそれに気付いた二人が私を見る。
「どうしたの?どっか痛い?」
「頭か。薬は?」
「あう…なんでそんなすぐ気付くの…こわい…」
顔色悪いと思ってたけどやっぱり頭痛かったんだね、と萩原さんに頭を撫でられて少しだけ痛みが引いたような気がする。その心地良さを更に求めるように頭に置かれた手に頭を押し付けた。向かいの席に座っていた松田さんはおもむろに上着を脱いで私の膝にかける。いいよ、と遠慮するけれど返したけりゃその青い顔なんとかしろ、と返されてしまい、ぐっと押し黙る。強引だ。
いつもポーチに入れている頭痛薬を取り出して、氷が溶けてすっかり温くなってしまった水で流し込む。二人の前で薬を飲めば、あれやこれやと世話を焼かれてしまうと思って飲むのを我慢していたが、バレているのならもうしょうがない。とは言え、薬を飲むのが遅かったこともあって少し痛む程度だった頭痛は酷く痛むものへと変わっていた。自覚した途端に痛く感じてしまうのだから人間とは不思議なものだ。
「いたい…」
「もう少ししたら薬も効いてくると思うから。ちょっとだけ寝よう?」
「ハギ、荷物」
「お、サンキュ」
ズキズキと痛む頭のお陰で眉間の皺は取れてくれない。おまけにじわじわ涙まで浮かんでくる始末だ。私、どれだけこの二人に甘えるつもりなの。体調不良とは恐ろしいもので、いつもは気にしないことも気になるし、いつもは考えないようにしていることを考えてしまう。ぽろっと零れてしまった弱音に萩原さんは優しく微笑んで私の肩を抱き寄せた。萩原さんの胸元に頭を預けるような形でとんとんと肩を叩かれてすん、と鼻を鳴らす。
私がソファ席で最悪横になってもいいように荷物を寄せてくれた松田さんをじいっと見れば、きょとんと首を傾げてどうした?と聞いてくる。こういうさり気なく気付いて行動に起こせるのが松田さんの良いところだよなあ。萩原さんも松田さんも、私のこと甘やかすの上手だよね。何となく甘えたくなってぐりぐりと萩原さんの肩口に額を押し付ければ、どうしたの〜と笑いながら私の背中を撫でてくれる。
「萩原さんのにおい、すき」
「えっ」
「…やだ?」
「や、じゃないけど…うん、いや、」
「おいハギ顔」
「いやしょうがなくない!?」
いつもならテンポよく返ってくるはずの声が返ってこないことが不安で恐る恐る顔を上げれば、萩原さんは目を見開いて固まっていて。やっぱり嫌だったのかな、と眉を下げれば慌てた様子の萩原さんにぎゅうぎゅう抱きしめられる。嬉しそうな声色に反して歯切れは悪い。なになに、どんな顔してるの。もぞもぞと腕の中で藻掻くけれど萩原さんは腕の力を強めるばかりで離してくれない。なんで松田さんあきれてるの!萩原さん離してよう。
「おれのにおい、すきなの?」
「うん?なんか、あんしんするからすき」
「そっかぁ」
とろりと甘い声で尋ねてくる萩原さんに困惑しながらも頷けば、何やらご機嫌な様子の萩原さんにきつく抱きしめられる。んむむ、くるしいよ。深く息を吸い込めば、萩原さんの匂いで肺がいっぱいになって、ゆるりと眠気が襲ってくる。薬が効いてきたのかな。
「咲桜?」
「ねむく、なってきた」
「そのまま寝ちまえ」
「でも、そしたらかえるとき…」
「ちゃんと起こしてやるから。な?」
頭上で萩原さんと松田さんが何か話している声が聞こえるけれど、眠気で何も分からない。ぽやぽやしながら相槌を打っていれば、それに気付いた松田さんがふっと笑って私の頭を撫でた。寝かしつけるように髪の毛を梳かれてしまえば瞼は重力に従って落ちてくる。ああああ…ねてしまう…。
「おやすみ、咲桜ちゃん」
「おやすみ、咲桜」
二人の優しい声と、温かさに意識が落ちていく。縋るように伸ばした手はするりと掴まれて握りしめられる。雨の日は、起きていても眠っていても嫌なことしかなかったのに。こんなにも安心できる雨の日は、あの日以来初めてだ。とくり、とくりと穏やかな心音が私を眠りの海へと誘った。