反射的に駆け出して、腕の中に閉じ込めた

夜久が扉を開けると薄暗い教室に可愛い後輩が一人、ぺたりと座り込んでいた。夜久の姿を見るなり、大きく見開いた目からぼろぼろと大粒の涙が零れ出して、震える声が夜久の名前を紡ぐ。駆け出して腕の中に抱え込んだのは最早反射だった。

「怖かったな、もう大丈夫だから」

そう言って頭を撫でれば縋るように服の裾が握り締められる。怖くない訳がないんだ。目が覚めて見知らぬ場所にいるというだけでも怖いのに、薄暗くて不気味な場所に、たった一人。自分がこの教室の扉を開けた瞬間の雛の顔が夜久の頭から離れない。

今まで、あんなにも怯えた顔をされたことなんて、ただの一度も無い。抱き締めた手が、拒まれなくて良かったと安堵の息を吐いて、再び雛の背中をゆっくりと撫でる。

「やっくーん、なんかあった…って、エッ雛ちゃん!?何で!?」
「く、ろおさ…ぅぇっ、」
「あああああ待って待って泣かないで!!」

夜久が教室に入ったっきり戻ってこないことを不審に思った黒尾が扉を開けると飛び込んできたのは夜久の腕の中で涙を流す可愛い後輩の姿。ぎょっと目を見開いて後輩の名前を呼べば、涙に濡れた瞳が黒尾を映して、それからまたじわりじわりと涙が浮かび始めるものだから慌てて駆け寄った。

「何してんの…ってのは、雛ちゃんのセリフか。怪我とかしてねぇ?」
「た、ぶん、してない…です、」
「多分って…どっか痛いとこは?」
「…な、いとおもう…」
「うん、とりあえず何が何だか分かってねぇのな」

夜久と黒尾の質問に対して、混乱しているのか曖昧な返事をする雛に苦笑いが零れる。ぺたりと座り込む雛の手を掴んで、ぐっと引き寄せれば黒尾よりもずっと小さな体はふわりと簡単に浮く。微かに震える手を握ったまま俯いたままの雛の顔を覗き込めば、ぱちりと視線が交わる。

「立てるか?」
「た、てます」
「痛いとこは?」
「たぶん、ない…けど、」
「?けど?」

自分の体の様子を確認すべく足元に視線を落とした雛は経験したことの無い違和感に身を固めた。左の足首に巻き付く鉄の鎖。くん、と足を動かせばしゃらりと鎖が音を立てて足首に鎖が食い込む。ぴり、と肌が擦れるような痛みを感じて眉間に皺を寄せるが、何よりもこの悪趣味な拘束は何なんだと言う思いからガシャガシャと苛立ちをぶつける。

「…今痛くなりました」
「だろうな。分かったからとりあえず動かすの止めろ」
「はあい…」

苛立ちついでに引っ張ったら取れたりしないだろうか、とガシャガシャ音を立てて足を動かす雛に夜久のチョップが飛ぶ。チョップを喰らった頭を押さえながら、しゃらしゃらと自身の足に巻き付く鎖を揺らして遊ぶ雛の姿にため息を吐く夜久を見て苦笑いを零した黒尾が口を開く。

「…で、どうすんのよ。これ」
「…どうしような。鍵とかあんのか?」
「無かったらどうしましょう」
「そん時は物理で何とかするか」
「…つまり私の足を切り落とす…?」
「やらねーよそんなこと。このバカ」
「あでっ」

安心できる先輩が一緒と分かった瞬間に調子を取り戻した雛がふにゃりと笑う。おどけた様子に黒尾も夜久もホッと息を吐くが、雛の顔色は一貫して悪いままだ。空元気と言う方が正しいのかもしれない。拘束が解かれなければここから一生離れられないかもしれない、一瞬でもそう思ってしまったのは雛だけでは無く、黒尾と夜久も同じだった。

「雛、1回座っとけ。どうするか考えるから」
「エッ置いてかないでくださいね!?」
「置いてかねぇよ。大丈夫だから、な?」
「…うん」

青いを通り越して最早真っ白な顔色の雛を気遣ったつもりの言葉だったが、雛の不安を煽るには十分すぎる言葉だったようで、たちまち雛の瞳に恐怖が宿る。安心させるように夜久がぽん、と頭を撫でればきゅうっと手を握りしめて雛が渋々腰を下ろす。雛の向かいに腰を下ろした黒尾が雛の足首に巻き付く鎖に触れて、それから眉間に皺を寄せた。

「あー…これ鍵で何とかするやつタイプだわ」
「黒尾さんピッキングとかできないんですか」
「出来ませんけど???」
「できそうなのに」
「どういう印象なの…」

ひひ、といたずらっ子のように笑う雛の姿に黒尾も夜久も頬が緩む。空元気だということは分かっている。賢い雛のことだから、自分がここで泣いて喚いて、騒いだところで黒尾達を困らせるだけだということは分かっているのだ。だからこそ、少しでも彼らが自分を気遣って神経をすり減らさなくてもいい様に、笑って見せているのだ。まあ、当然黒尾達はそれを分かっているからこそ、雛を放っておくことなんてできない訳なのだが。

「まあ鍵が見つからなかった時は頑張ってみますよ」
「だな。とりあえず探すだけ探してみっか」

少しでも、雛が安心できればそれでいい。そう思いながら雛を見た二人がおどけたように笑う。その表情に釣られるように雛も微笑んでこくりと、首を縦に振る。ほんの少し、本当に少しだけ、雛の顔色が良くなった気がして、黒尾も夜久も微笑まずにはいられなかった。
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