一体、いつから後ろにいたのかなんて

(Side:雛)

何故か私が鎖で拘束されていた教室から出て数分、あまりの暗さと如何にもな雰囲気に既に私の心は折れかけていた。無理すぎる。なんだってこんなに暗いんだ。これでわっ!とか驚かされたら泣く自信がある。私の顔色の悪さを察してか、割と本気で心配されているのでこの2人が驚かしてくることは無い、と思いたい。

「たすけてください」
「はいはい、そのセリフ何回目だよ」
「衛輔くんから塩対応されると本格的に終わりな気がする」
「いややっくんの塩対応は割とスタンダードよ???」
「私の知ってる衛輔くんは塩対応しないもん」
「おい夜久、すげえハードル上げられてるけど大丈夫か」
「まあ仮に俺に塩対応されても雛の好き好きは変わんねえよ」
「衛輔くん……!」
「もしかしなくても雛ちゃん割と余裕?」

違います。こうでもしないと正気を保っていられないだけです。そう真顔で言い放った私に黒尾さんはこの状況にも関わらず腹を抱えて笑っている。衛輔くんの服の裾をがっちり握りしめて生まれたての小鹿のような震えの中歩く私を見て余裕そうに見えるならもう一度私の目を見て言って欲しい。

きゅっきゅっと靴が擦れる音が響いて、時折床が軋むような音が聞こえてくる。背後の不気味な気配が気持ち悪くて振り向きたいけど、振り向く勇気はない。後ろを気にしないように前だけを見て歩くけれど、怖いものは怖いし気になるものは気になる。しょうがないと思う。

「まだですか」
「あとちょっと」
「さっきも言ってた!」
「雛ちゃんがびびりすぎて歩くペースがね」
「つまり私のせいだと!?」
「限界突破しておかしくなっちゃってるじゃん」

大丈夫だから、と安心させるように黒尾さんが私の頭を撫でて、衛輔くんが握った手をぎゅっと握り直してくれる。それだけで元気が出るような気がして、ちょっぴり足取りが軽くなる。しばらく歩くと渡り廊下が見えてきて、微かに声が聞こえてくる。

「みんな、いる?」
「いるいる。まあアイツらは雛がいるとは思ってないけどな」
「絶対びっくりするよな」
「〜〜ッはやく!はやく行こ!」

悪戯っ子のような顔で笑う2人の横で渡り廊下の方を指差す。興奮した私が、2人より少し前を歩いていた事。それが故に、2人を見る為に私が振り返ってしまった事。あれほど、気持ちが悪くて避け続けていた背後を確認するという行為を、してしまった。

ぞわり。背筋を這うような不気味な感覚。廊下の、奥。こちらを覗く女性の、顔。こんなに暗いのに、はっきりと分かる。怖くて、目を離したくて、逃げ出したいのに、身体が動かない。目を離したら、ダメな気がして女性の顔を見つめ続けるけれど、恐怖で視界が滲む。

「ぁ…、」
「雛?」
「どした?なんかあったか?」
「あ、っち…だれか、いる、よね…?」
「?誰かって…だれもいねえじゃん」

黒尾さんも、衛輔くんも、きょとんとした顔で女性がいる方向を見つめている。なんで、なんで見えないの。だって、あんなにハッキリこっち見てるじゃん。ぼろぼろと私の目から涙が溢れて、その様子に2人が慌てるけれど、女性から目が離せない。

「雛、行こう。大丈夫だから、な?」
「ちがうの、たぶん、め、はなしたらだめなやつ」

壁から、こちらを覗くようにして目元だけを出していた女性が、ずるりと倒れるように廊下に出てくる。曲がっちゃいけない方向に曲がった腕と足が、いびつに動く。長い髪をゆらゆらと揺らして、間違いなくこちらに向かって進み出した女性の姿に一気に恐怖が襲ってくる。

震える手で、2人の手を握りしめてまっすぐに渡り廊下の奥の扉を目指して走る。もう、後ろを振り返る勇気は無かった。私の足音なのか、2人の足音なのか、はたまた女性の足音なのか。確認することなんて、出来るはずもない。必死に走って、迷うことなく扉を開ける。

転がり込むようにして、皆がいる体育館へなだれ込んで後ろ手に扉を閉める。何が何だか分かっていない2人がきょとんとした顔をしているけれど、私はそれどころじゃない。かたかたと指先が震えて、驚いた顔でこちらを見る烏野の皆の顔を見た瞬間に、足の力が抜けてへたり込む。

ぼたぼたと涙が流れて、がちがちと歯が鳴る。どうしよう、怖い。ひゅうっと、嫌な息の音がして、耳の奥がキーンと鳴る。目の前がぼんやりと霞み始めて、頭がぐらぐらと揺れる。遠くで誰かが私の名前を呼んでいるような気がして、返事をしたいのに声が出ない。

目は開いているはずなのに、目の前が真っ暗で。息はしているはずなのに、息苦しいような気がする。声が、音が、どんどん遠くなって、聞こえなくなる。ぷつりと、糸が切れたように何も感じなくなって、そのまま意識を手放した。
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