発見
地面を走る樹の根に足を引っ掛けないよう、なるべく気をつけながらそれでも最速を維持しながら走る。時々近くの樹の記憶を読み取りながら進んでいくと、そう離れていない所に小さな横穴を発見した。煩わしく上下する肩を鎮めようと深く呼吸をしながら、一筋だけ流れた汗を拭う。……この中なの……?何が飛び出ても可笑しくないこの穴倉。目を凝らし、慎重に踏み込んだ。――途端、
「――っ!!」
目の前は真っ暗になり、視界が暗転すると同時に両足が宙に浮く感覚に襲われた。
「っ、何が……」
転びこそしなかったが、手を地面に突いてなんとか顔を上げる。其処は真っ暗で、先程まで居た洞窟などではなく、ただ浮遊感と暗黒が支配する空間のように思われた。固唾を飲み、暗闇に慣れた目でも未だ捉えきれないその向こうに目を凝らし、固定されない足を前に踏み出す。数歩、前と認識できる方向に進むと、数メートル先にぼんやりと人影が浮かんだのを視認した。あれは……
「古泉くん!?」
それは最初の樹から得た記憶の中と同じ服装をした古泉一樹、その人だった。意識は無いようで、ぼんやりと座り込んでいるその姿は、今にもこの闇に溶けていきそうで溜まらず手を伸ばし駆け出してしまう。
「古泉くん!」
再び名前を呼んだところで、ワタシの足は半ば強制的に、半ば自発的に止められてしまった。眼の前がチカチカと光り、その光の中には所々映像が紛れ込んでいる。段々と大きくなるそれに翻弄されながらも注視してみると、その映像の中に古泉くんが居るのが見えた。初めはまだ小学生くらいの古泉くんが、しかし直ぐに成長した今の彼が出てきて、やがてはキョンくんを初め、ハルヒちゃん、有希ちゃん、みくるちゃん……SOS団のメンバーが出てき始める。これは……これ……は……古泉くんの……記憶……?何これ……。触れてもないのに、勝手に、流れ込んで……
「――冗談じゃないよ……」
折角……折角、ちょっとずつ歩み寄って行こうとか…信頼を得ていこうとか、そんなこと、考えてたのに……
「こんなもの……見たくない……」
こんな、本人の了承ナシに記憶見たって……、全然、価値ないじゃない……、
「このっ、」
無茶苦茶になっている平衡感覚に逆らいながら、何とか歩を進めて、古泉くんの近くまで何とか到着した。そして右手を振り上げ、硬く目を瞑ったその頭に肘鉄をっ、
ゴッ!!
想像以上に重い音が響いてしまい、今更しまったとハッとする。でも、勝手な主観からの物言いで申し訳ないんだけど、彼の意思が関与していなくても、あの古泉くんが自分の、それもキョンくんですら知らない過去をワタシなんかに見せてるなんて思うと、なんだか腹立たしくなったから。だって、全然、彼の柄じゃないでしょ?
「っ、…………郡さん、ですか……?」
「うん、おはよう、古泉くん」
頭を押さえながら、しかし苦悶の表情は浮かべなかった彼に皮肉の意味合いを込めて挨拶をする。顔色の悪い古泉くんは辺りを見回し、自分の掌を握ったり開いたり。やがて多少は状況を判断したのか、顔を上げて
「こんにちは、郡さん」
と応えた。
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「やはりここは富士山の麓の樹海――青木ヶ原だったのですね……。それで、わざわざ涼宮さんまで連れて皆さんが僕を探しに来たわけですか」
ここまで来た諸々の経緯を説明すると、彼は自嘲気味にそう言って笑う。互いの姿以外何も見えない暗闇の中、ワタシたちは並んで腰を落ち着けていた。
「しかし貴女が僕の傍まで来ようとした時に起きた現象は一体何なのでしょう」
ああ、あれは……
「あれは多分古泉くんの記憶がこの空間に溶け出していたんだと思う。意識が無い状態で、多分何日もここに居たから起こった現象」
でもこんな事、元居た世界でも起こったことなかったんだけどな。ワタシが溜息混じりにそう説明すると、彼は暗く淀む空間に視線を固定したまま口を開く。
「それで、貴女は僕の記憶をどの程度目の当たりにしましたか?」
「……あー……」
やっぱり怒ってるかな。不可抗力とはいえ勝手に人の記憶を覗いたわけだから。折角得られたと思った信用もここでパァ?
「大丈夫ですよ、怒っていませんから。貴女の意思に関係なく起こってしまった事象に対して腹を立てる程、僕も人でなしではないと思いますよ?」
苦笑交じりに告げられた思いもよらない言葉に、ワタシははっとして彼の顔を見遣った。彼はこちらを向いていて、可笑しそうで、困ったような笑顔を浮かべていて。思わず直ぐに俯くワタシ。ここは正直に話してしまおう。
「本当はキチンと注視することはできなかったんだけど、ワタシが理解できたのは古泉くんに能力が発生したことと、『機関』という組織を作ったこと。そしてそれからSOS団に入って、ハルヒちゃんの影で暗躍していたこと」
それから……それに対する古泉くんの苦労と葛藤とそれ故の哀しみ……
「くらい……かな」
最後の……古泉くんの感情が流れ込んできたことはあえて言わなかった。彼もその事には気づいているんだろうけど、それを口にすることは最も忌避されるだろうと思ったから。
「そうですか……」
古泉くんはひとつだけ浅い溜息を吐いて、少しだけ俯く。
「……それで、ここは何処なのかな……」
無理矢理話題を逸らしてみた。しかしこれも中々重要な事であり、彼も直ぐに答えてくれた。
「さぁ……。全くのアンノウンですよ。ほんの僅かだけ感覚が閉鎖空間とも似ていますが……」
「……やっぱりハルヒちゃんが原因?」
「どうでしょう、ここが閉鎖空間であるならそう結論付けることも出来ますが、僕が感知できなかった以上、そう言いきるのは賢明ではありませんね」
そうなのか……ワタシはてっきりハルヒちゃんの所為だと思っていたんだけど……。的外れな時期に転入してきた謎の転校生が行き成り失踪だなんて、如何にも彼女が喜びそう……って。いくら彼女でもそこまで薄情じゃないか。しかしそれにしても……。
「古泉くん、嫌に冷静だけど」
ワタシは元の世界がアレだからこんな状況、慣れてるとは言わないけど特に慌てたりしてない。けれども彼は慌てているように見えない。疲れてはいるみたいだけど、それはこの騒動の前からか。
「ここは全くのアウェイ。慌ててもどうにもなりませんからね。それよりもどうやってここから脱出するかに頭を働かせた方が得策でしょう」
「………古泉くん、あなたはあなたの居場所に帰りたくない?」
ワタシの台詞を聞いた途端、彼は彼の記憶の中ですら見たことのない表情を浮かべ、自嘲気味に笑う。そして肩を竦めて溜息を吐いた。
「……どうでしょうね。僕は以前に比べて考えられないくらいあの場所を居心地がいいと思ってきていますから。観察対象である涼宮さんにすら、それ以上の感情を抱いてしまっている」
どうやらワタシは妙な藪をつついてしまったらしい。出てきたのは蛇ではなく、手負いの獣か。出会ってそんなに経っておらず素性も知れないワタシに、彼が弱音を吐いている。
「……ここ最近、閉鎖空間が多発していたんです。それも夜中に集中して。恐らく原因は、彼が涼宮さんの相手をあまりしていなかったからでしょう。数日間テストがありましたからね、彼も勉強に追われていて、ほんの僅か苛々も募っていたようですから」
それは独白のようなもので、この空間には彼以外ワタシしか存在していないからで。今彼の隣に居るのがワタシでなかったら、彼のこんな面を見るのはワタシでなかったという事。そう思うと少しだけ心の隅が何かに突っ掛かった。
「それでも僕は同志たちの……僕自身の為に遂行しなければならない使命があります」
それでも、今彼の言葉を聞いているのはワタシ以外の誰でもない。
「ほんとに……損な役回りだね……」
ワタシがポツリと零すと、彼は訳が解らないといった風にワタシを見遣ったが、そんなことはこの際どうでもいい。
「好きなんでしょ?あの場所と、ハルヒちゃんとキョンくんが。だから毎回何か在る度キョンくんに忠告してるんでしょ?」
まあその度キョンくんは信じられるかって呆れ半分だけど。
「それでも僕は構いません。あの場所を守る為の、少しばかりの不自由ですから」
ワタシの言葉に続けて彼が絞りだした言葉を聞いた時、彼は何ともない微笑を浮かべていたけど、ワタシの胸は何故か締め付けられたように軋んで痛んだ。そして思わず、彼の頭を抱き寄せてしまう。
「郡さん!?」
「……泣きそうな顔してたから」
たじろぐ彼を余所に、そう嘘を吐くと彼はワタシの服の袖を強く握った。嘘だと言い当てられなかった所を見ると、彼自身も自覚を持って表情を取り繕っていたということなのかな。