始まり


ワタシがSOS団に入団して数ヶ月が経ったある日のこと。連日続いたテストが終わり、殆どの生徒が疲れ果てたこの放課後。ワタシはいつも通りにテスト期間中も休暇の無かったSOS団、その部室まで歩く。校舎の渡り廊下を渡り、老朽化しきっている旧館の階段を登り、元文芸部の部室たる現SOS団集会所、または基地と化した哀れな部屋の前へ到着した。
廊下にはキョンくんと古泉くんが立ち尽くしている。どうやら中でみくるちゃんが着替えているようだ。今回はハルヒちゃんに無理やり着替えさせられているのではないようで、みくるちゃんの悲鳴やらが聞こえてこない。あの悲鳴は男にとっては貴重な妄想材料となるだろう。容姿もさることながら、彼女は普通に見ていればよくできた娘だから。そんなこんなを考えて部屋に近づくと、キョンくんがワタシ気づいて挨拶してきた。

「よお、郡」

「こんにちわ」

流石にここで扉を開けるのはまずいと思い、扉を挟んでキョンくんの隣に立ちほうける。何か些細だけど妙な違和感を感じたが、すぐにそのその正体に気づいて反対側――つまり窓の縁にもたれ俯き、目を閉じている古泉くんに挨拶した。

「こんにちわ、古泉くん」

「どうも」

彼は顔を上げてにこりと笑ったが、その表情はすぐに陰り再び俯いてしまった。やはり何かおかしいと思ったワタシは、蟹歩きというヤツでキョンくんに近づき、小さな声で耳打った。おそらく、ロクな回答は返ってこないだろう、そう思いながら。

「古泉くん、どうしたの?」

「知らん」

ほら、案の定。ワタシが想定していたいくつかの回答のうちのひとつにどんぴしゃだよ。その仏頂面には『男になんか興味はない!今の俺に興味があるのは朝比奈さんだけだ!テスト続きで疲れきった俺の目と心を癒してくれ、マイエンジェル!!』と刻まれているようだった。心の奥底で、これだけで地球温暖化が促進するのではないかというくらいの溜息をつき、視線を古泉くんに戻した。
彼は目を閉じ、無表情で、少しでも消費するエネルギーを少なくしようとしているかのようだった。それに顔色も良くない。さっきの笑顔も、いつもの鬱陶しいくらいの爽やかさも欠けていた。何かおかしい。声をかけようと思ったそのとき、部屋の中からふにゃふにゃしたマシュマロボイスが響いた。

「お待たせしました、どうぞぉ」

扉が開かれると、キョンくんは待ってましたといわんばかりに飛び込んでいった。もう一度溜息をついたワタシはキョンくんに続き、最後に小泉くんが入る。すでに見慣れたメイド服を着たみくるちゃんはいそいそとお茶を淹れていた。有希ちゃんは相も変わらずハードカバーを読んでいて、ハルヒちゃんは団長≠ニ書かれた三角錐が乗った机の前で仁王立ちしている。3人がそれぞれ定位置に着いたところで、みくるちゃんはお茶を差し出す。

「どうぞ」

「ありがとう」

お茶を受け取り、猫舌なワタシでも大丈夫なくらいまで表面を冷ますと、おそるおそる一口啜った。今日のお茶はどうやらフルーツティのようで、仄かな酸味と甘みが全身を巡り、テスト続きで疲れた筋肉が解れるようだ。……多分気のせいだと思うけど。みんなが落ち着いたところで、団長たるハルヒちゃんが一枚の新聞記事を取り出し、大声で宣言した。

「我々SOS団は!今週の日曜日、富士山の樹海に挑むわ!!」


ハルヒちゃんの話を要約するとこうだ。今朝、新聞の一面に大きく取り上げられたのは『富士の樹海、自殺者・行方不明者多数』というものだった。そこで、ハルヒちゃんは竹藪から埋蔵金を見つけ出した人の如く、富士山の麓の樹海からSOS団の名声を集める術を見つけ出したのだ。本人曰く、

『ここに行って自殺志願者だか行方不明者だかを救い出すの。そうしたらあたしたちは人名を救った一団として日本中に名が轟くわ!』

これを軽率と言わずに何と言おう。本人も用意なしで富士の樹海に踏み込むなんて、モンブラン山脈をジャージで制覇するようなものだと気づいているだろうに。こんな突拍子の無いことを言い出すのは、ここ最近テスト続きで暇だったからかも知れない。そう思いながら新聞の内容を確かめようと目を凝らしていると、

「バカかお前は」

ぴしゃり、とハルヒちゃんの提案を一刀両断する一言が振り下ろされた。声の主は勿論、キョンくんである。

「そんな事して、二次災害にでもなったらどうするんだ。下手したら死ぬんだぞ。諦めろ」

もっともな意見だ。どんな重装備であろうと、目標も定まらないまま高校生だけでふらふらと富士の樹海を歩くのはあまりにも危険だ。ハルヒちゃんもそれをどこかで自覚していたのか、渋々と団長席に座ると、ふくれっ面で

「わかったわよ」

とパソコンをいじり始めた。それきり静まり返った部屋には、校庭から運動部の掛け声らしき声が聞こえてくる。ついでにいうなれば、あまり上手とは言えないブラスバンドの音色も。特にすることがないワタシは、折り畳み式の長机にノートと参考書を開き、勉強を始める。ワタシは古泉くんと同じクラスの9組、つまり特進クラスなので、勉強は欠かせない。ハルヒちゃんが拗ねたことにより、部室にはパソコンのファンの音、ワタシの走らせるペンの音、お茶が切れた頃合を見計らってみくるちゃんがお茶を淹れる音、それに、時折有希ちゃんがページを捲る音のみが満ちる。一回だけ、ハルヒちゃんが「暇ね……。誰か失踪でもしてくれないかしら」と言ったのに対し、キョンくんが「そんな物騒なこと考えんな」と言っただけで、後は皆ずっと無言だった。
しばらくパソコンをしていたハルヒちゃんだったが、ファンの音が途切れると同時に鞄を持って立ち上がり、部室の唯一の出入り口である扉へと向かった。

「あたしもう帰るわ。後の事、お願いね」

ハルヒちゃんの扉を閉める音を皮切りに、皆がそれぞれ帰る準備を始めた。最初にキョンくん、続いて有希ちゃん、そして古泉くんが出て行こうとするのを、ワタシはつい引き止めてしまう。

「ちょっと……勉強、教えて欲しいんだけど……」

椅子から半ば腰を浮かせたワタシに、彼は柔和な笑みを作って見せると、扉を閉める手を一旦止めて振り返った。

「すみません、今日は疲れているので、またの機会に。……失礼します」

そう言って再び扉を閉めると、彼はそのまま居なくなった。一体何がしたかったのだろうか、ワタシは。何となく虚しい気持ちを抱えながら、机に広がるノート類を片すワタシ。着替えが残っているからと言うみくるちゃんにあいさつをして、SOS団の部室を後にした。


――次の日、古泉くんは学校を欠席していた。昨日は調子が悪そうだから風邪でも引いたのかと思い、その日は気にせずに部室へ向かった。皆が揃っても一向に姿を見せない古泉くん。副団長たる者が無断で遅刻すると言う自体に憤慨しかけたハルヒちゃんに、ワタシは今日古泉くんが欠席しているらしい旨を伝えた。しかし、彼女は欠席したという事実を団長である自分に何故伝えなかったのかと、苛立ちを隠す気もないらしい。最近苛々が募っているらしいハルヒちゃんへの対応に困っていると、キョンくんが「普段はへらへらしているがアイツも人間だ。風邪をひくこともあるだろ」と助け舟を出してくれた。

そして次の日だが、古泉くんはまたも欠席していた。昨日、連絡をしないことでハルヒちゃんの機嫌が損ねられると言うことを考慮しないはずもない古泉くんがハルヒちゃんに無断で学校を休んだという時点で微かに違和感を感じる。一日だけならともかく、連続で2日も。それで昼休み、担任に古泉くんの欠席理由を尋ねた。すると担任は欠席理由を聞いていない、連絡はこなかったと言ったのだ。これは何かおかしい…。杞憂かも知れないが、何か嫌な予感がして、その日、部室で改めてその話を切り出した。