縋る先


昼時――というか、昼休み。多くの学生が集っているこの場所ならばあるいは、と一縷の望みをかけて入り口の扉を潜る。学校の規模の割には少し狭いんじゃないかと思うくらいここの学食は人で溢れていた。座る席はあるんだろうかとつい視線を彷徨わせてしまう。時刻は正午過ぎ。午前の授業が終わって間もない為に昼食はまだだけど、別に私はご飯を食べにここに来たわけではなかった。

――まさかあんなに時間が経っていたなんて思わなかったんだもの。昨日の醜態を思い出して知らず眉間に皺が寄る。ついでにいつもの胃痛というか、ストレスによる吐き気も催してきた。なるべくなら昨日の事は忘れてしまいたいけれどそうもいかない。自分の目的を果たさないと。掌の汗を制服で拭って、もう一度学食内を見渡した。今度は椅子ではなく、人の顔に焦点を当てて。

すると、食堂を一周見回す前に目的の人物たちを見つける事ができた。やっぱりというかなんというか、とてつもなく目立つ人たち。今からアレに話しかけなくちゃいけないのかと、一層胃が持ち上がる感覚がした。意を決して重い足を踏み出す。周りの視線を気にしないように努めて人の間をすり抜け、その人の前に立った。

「すみません、ちょっと、いいでしょうか」

声が想定より絞り出さないと出てこなかった。ぎこちない声の掛け方でも相手にはちゃんと伝わった様で、正面の彼――男子バレーボール部主将の牛島先輩は食事の乗ったトレイから視線を上げる。鋭い瞳にきつく結ばれた口。遠目に見た事なら何度かあったけど、こうして近くで正面から見ると迫力が凄い。それに牛島先輩の周りに座る、恐らく彼と同じく男子バレー部員たちだけでなく外野までこっちを見ている気がする。胃からせり上がってこようとする緊張やら何やらを固唾と一緒に飲み下して、頭を下げた。

「昨日の事、先生方には言わないで下さい」

昨日の、事。昨日、私が体育館の片隅で寝ていた事。彼らが放課後ずっと体育館で練習していたんなら私がその前――つまり本来なら授業を受けていなければならない時間からあそこにいた事は多分気付かれてる。この進学校で授業も受けずにあんなところで寝こけていた事を先生に密告されたら流石にマズい。ある程度見逃される理由が私にはあるけど、生徒から直に素行不良の告げ口をされたら先生だって対応をせざるを得ないだろうし。王者とまで揶揄されるうちの男子バレー部の練習を邪魔したなんて言われても、マズい。そうやって頭の中でごちゃごちゃ考えられるくらいには漂う、返答までの間。

「――ああ」

誰も何も言わない中でそう口にしたのは私の正面に座する牛島先輩だった。その返事にぱっと顔を上げると、その表情からは全く考えを読むことの出来ない牛島先輩と目が合う。

「いいのかよ、そんなあっさり」

そんな牛島先輩に物申したのは、牛島先輩の斜め向かい――つまり私の隣の椅子に腰かける男子生徒だった。牛島先輩は学内外問わず有名だから私でも知ってるけど、他の人たちの名前までは分からない。多分この人は昨日私が逃げる時に声を掛けた人だ。まさか主将の返答に待ったがかかるとも思っていなくて、不安に駆られながら顔を隣の先輩に向ける。

「って、顔色悪いぞ、大丈夫か」

自分で待ったを掛けといて、私と目が合った瞬間に慌てた様子で椅子から腰を浮かせるその先輩。「大丈夫です」と小声で何とか先輩を制し、もう一度頼みごとをする姿勢を整えた。

「出来れば、時々あの場所を使わせて頂けませんか。絶対に練習の邪魔はしないので」

言ってはみた、けど、私のサボりを見て見ぬふりで通して欲しいという事と同義だから、どうだろう。自分でもこれを是とする人はいないんじゃないかと思うけど、昨日見た限りじゃ他に行く場所はなかった。これが最後の頼みの綱――。

「ああ、好きにすればいい」

少し投げやりな口調でまたもや牛島先輩が首を縦に振る。こんな変な頼み、そんな二つ返事で承諾していいんだろうか。自分でお願いしといてなんだけど、何か裏がありやしないかと警戒してしまう。ほら、他の先輩方もびっくりしてらっしゃるし。

「おい、若利――」
「いいんじゃないの、若利くんがこう言ってるんだし」

待った先輩の逆隣りに座る弁慶風先輩が呆れ半ばに言うのを、牛島先輩の隣に座るツンツン頭の先輩が遮った。

「もし先生にバレたら一人で怒られてね」

意地悪気にツンツン頭先輩がそう言うけど、私としては願ったり叶ったり。ようやく全身の緊張も落ち着いてきた様で少しだけ気分が楽になる。我ながら分かりやすい身体だなあ。となれば、もうここに用は無かった。最後に勢いよく頭を下げて、

「ありがとうございます、食事中に失礼しました」

と一息に言い踵を返す。そこで漸く、私が思っていた以上の人の目が集まっていた事に気付くけど、それすら気付かないふりで勢いそのままに食堂の出口を目指す。

「ええー……」
「何なんだ、アレ」

生徒たちの騒めきに混じって、少し面白がっているような先輩と、少し引いたような先輩の声が同時に聞こえた気がした。

| |
TOP