つもってゆく
出会いは、特殊だったと思う。互いの名前が他の人間より周囲に知れているのは通う白鳥沢学園が進学校だという事も手伝っているんだろう。それに気づいた時、そんな些細な事にも親近感のような意識が芽生えた。だけど言葉を交わした事は数えるほどしかない。――多分、初めて目が合った瞬間に、それは始まっていた。
だから、という訳でもないけど、あの日体育館でバレー部員たちに寝姿を見られた事を夢に見るのも仕方のない事で。結果変な時間に目が覚めて二度寝して。気付いたら昼前だったのも必然と言えば必然だ。――なんて言い訳は先生に言えるわけもなく。昼休みど真ん中の時間に遅刻証明書を片手に教室への階段を踏みしめた。正直気分も優れないしそのまま休もうかとも思ったけど、学校に来ない事にはあの体育館にも行けないし。取りあえず午後イチの授業は出席するとして、その後はどうしようかとイマイチ回り切っていない頭で考える。気持ちがサボタージュよりもバレー部の練習見学に傾いている事に目を瞑って廊下を曲がったその時。
「賢二郎に伝言頼んだんじゃダメなの?」
「受け入れたオレが伝えるべきと言ったのはお前だろう、天童」
近頃不可抗力により良く聞くようになった声が耳に飛び込んできた。それと同時に廊下の真ん中で額を突き合わせるようにして固まる大男が二人。どうして学年上の先輩が二年クラスの真ん前にいるの。そう思ったのも束の間、ツンツン頭先輩こと、天童先輩の目がぎょろりと私を捉えた。
「ア!」
視線がかち合ったと思ったら声を上げて指をさされる。その声につられて振り返る隣の牛島先輩。
「こんにちは」
取りあえず会釈と挨拶は人間の基本だろう。それくらいなら私にだって出来る。ぺこりと頭を下げると、牛島先輩は無言で私の前に歩み出た。
「遊鳥まもる」
「……はい」
昨日も思ったけど、牛島先輩に呼ばれると、冗談っ気の全く含まれない声音だとか、逸らさず真っすぐに見つめてくる瞳だとか、そういうものに気圧されて自然と背筋が伸びてしまう。
一体なんだろう、というかこの人たちが私にある用事なんて体育館絡みしかない。昨日の今日だから、もう体育館には来るなとか言われるんだろうか。ああ、今登校してきたところなのにもう体調が悪くなってきた。
「体育館には来るな」
ばっさり。牛島先輩の声と一緒にそんな効果音が聞こえた。いやいや、仕方ない。こればっかりは仕方ない。言ってしまえば私が勝手に侵入して居付いていただけなんだから、使用者が拒めばそれに従うしかないじゃん。返事をしなきゃいけないのに、いらない事ばかりが頭を過ぎって必要な一言が出てこない。
「ちょっとちょっと、若利くん。一から説明してあげないと」
「そうか」
知らず強張る私を見かねたのかそれとも牛島先輩の言葉足らずを見かねたのか、天童先輩が横から割って入ってきた。それに対して牛島先輩は本当に何が足りなかったのか分かっているのか分からない様な表情で頷く。急なことに着いて行けずせり上がる胃を刺激しないように無言で続きを待った。
「今日の放課後、体育館に取材で雑誌の記者が来る。だから今日はバレーボール部の関係者以外立入禁止だ」
中々聞くことのない牛島先輩の長台詞。それを頭の中で咀嚼するのには少しだけ時間が必要だった。雑誌の記者が取材に来る。そのワードよりも『今日は』という部分に反応してしまうのも私の立場上多分仕方がない。……そんな大層なもの、あるかどうかは知らないけど。
「今日は……。今日だけって事ですか……?」
「ああ」
心なしか震えてしまった私の声とは対照的に牛島先輩は堂々と応えた。
「それを態々言いに来てくださったんですか」
余裕のなさから少し棘のある言い方になってしまっただろうか。牛島先輩はそんな事微塵も気にしていない様子でもう一度「ああ」と顎を引く。その律義さに嬉しさを感じてしまう私はなんだか卑怯だ。本来なら私の――言ってしまえば悪事に、真面目なバレー部員たちを巻き込んでいるんだから、その事に対して後ろめたさを感じなくちゃいけない筈なのに。
「――ありがとうございます」
感謝を込めて、深く頭を下げる。上履きのつま先を見つめながら、昔先送りにした自分の課題をどうにかしないと。――どうにかしたい、という欲求が芽吹いたのを感じた。
一呼吸分待ってから顔を上げる。と、ずっと直立不動だと思っていた牛島先輩は少し空に浮かせていた左手を降ろしたところだった。なんだろうか。まさかとは思うけど私の頭に何かしたんだろうか。そんな感触は無かったはずだと自分の手で頭を掻きまわしてみても、やっぱり何もなかった。そんな私たちの様子を見て天童先輩が「ブフーッ」と大仰に空気を吹き出す。一体牛島先輩は何をしたんだろうか。視線を牛島先輩の顔に戻してもその顔は普段通りの引き締まった無表情で、何も読み取れない。
内心で小首を傾げながらも、正直私はそろそろ周りの目が気になり始めていた。先輩方に見つかる前から人が多かった廊下だけど、今は更に人が増えて遠巻きにこちらをちらちら見ているのが分かる。学園のヒーローである男子バレーボール部のレギュラー二人と入学当初から存在感はない癖に悪目立ちしている私。釣り合わないのは百も承知。自覚がある事をこそこそ話されるのは気分が良くないもので。先輩方も昼休みが私への伝言で潰れてしまっては気の毒だしそろそろ退散させてもらおう。
「本当にありがとうございました。授業の準備もしたいので、失礼します」
「じゃねー」
「ああ」
手を振る天童先輩と牛島先輩に軽く会釈をしてから自分の教室へと入る。声量でいうと天童先輩の声の方が廊下に響いている筈なのに、牛島先輩の発する二音がやけに鼓膜に張り付いた。