憧れる少年の見解


授業中に牛島さんが無言で教室を出ていった。理由は、窓際の席に座る牛島さんの目に遊鳥さんが蹲っている姿が見えたから。非常識な、けど牛島さんならやりかねないそんな話を山形さんから聞いたのは夏休みに入る少し前の事だった。

初めて彼女を見たあの日に天童さんに聞かれて、部員たちの前で彼女に纏わる噂話を話した時は特に目立った反応は無かったと思ったけど。相変わらず牛島さんの他人に対する興味の有無は分かりにくい。

学年が同じだから彼女の話を聞く事はそこそこの頻度であった。テストの順位が張り出される度に、授業を休みがちなのにあの高得点が維持できるのはおかしい、何か裏があるんだとか言い出す人間もいたし。けど同じクラスになった事も言葉を交わした事もなく、下らない噂話が好きな人間っていうのは――県内有数の進学校とはいえ――何処にでもいるんだなというくらいの認識だった。それでもあの日から、牛島さんがあそこまで意識の中に入れる遊鳥という人間には少なからず興味が出た。



夏休み初日。インターハイ本戦を間近に控えたその日、オレはジャージを着て体育館――ではなく、制服を着て校舎の廊下に居た。

白鳥沢には夏休みに入ってから一週間、――期末で赤点を取れば強制だけどそれとは別に――希望者のみ補習という名の登校日がある。学年、科目に分かれて割り振られた教室に行き、科目担当の教師が居る中で自習をするという少し変わった補習。けれどそれを自主的に受ける生徒は少数で、決められた時間内科目担当の教師にじっくり勉強を見てもらえるし、普段の授業と同じく教室内は静かで集中できる。一般入試で入学して勉強をおろそかにできないオレにとっては――インハイ前という事を除けば――有り難い期間だ。

どうせ牛島さんたち三年生は受験対策の補習が強制で入っていて、午前の授業二時間分は拘束されるし。期末テストで少し躓いたひと科目だけ補習を受けると決めて、教室に向かう。目的の教室に後ろ側の扉から入ってすぐ、時々目にしていたその人物の後ろ姿に気が付いた。

半分以上の席が空いている教室の中、廊下側の真ん中辺りに座る女生徒。今回の期末テストも例外なく高得点だった筈なのに補習なんて受ける必要あるのか。そんな疑問を脳裏に浮かべながら、なんとなくその隣に腰かける。

ちらりと彼女の顔を盗み見ると、――本人なりの処世術なのか――周りの景色をシャットアウトしている様で隣に座ったのがオレだと全く気付いていない。相変わらずあまり良くない顔色で、机に広げた教科書とノートに目を落としている。何か声を掛けようか少しだけ悩んでいると、教師が教室に入ってきてそのまま補習が始まった。



一時間目の終了を知らせるチャイムと共に、授業後の挨拶もなく教師は教室を後にした。期待通り、期末後のテスト回答で残っていた疑問点を払拭できて有意義な時間だったな。隣の彼女は期末の内容だけでなくその先も教師に質問していたようで、そのアクティブな態度には素直に感心した。そのきっかけというか源が牛島さんなんだろうってのは、あの人にそういう感情があるのか分かんないオレからしたら正直気の毒というか、複雑な気分になるけど。
そんな事を思いながら視線を隣へ向けると、黒板上の時計に目をやっていたらしい遊鳥が漸くオレの存在に気付く。かち合った視線に目を大きく開いて机の上を片付けていた手が停止した。言葉が出ないだけなのか思考まで停止してしまったのか分からない遊鳥に

「よう」

と短く挨拶の言葉を投げる。

「……どうも」

絞り出すようにして返したその一言で金縛りは解けたみたいだ。ペンケースは机上に置いたまま素早くノートと教科書を鞄に放り込む遊鳥。深呼吸の様に長い呼吸をひとつして、もう一度オレを目を合わせた。

「今日は部活休みですか?」
「いや、一応ある。三年が二時間強制補習だからそれまではフリーなんだよ。オレはもう体育館に行くけど」

牛島さんに用でもあるのか。そう思って遊鳥の反応を伺うと、彼女は

「ちょっと、お願いしてもいいですか」

と言いながら自身の鞄を漁り始める。

「いいけど、何?」
「これ、バレー部の皆さんに。いつも体育館を使わせて貰ってたので、お礼というか、何というか」

自信なさ気に差し出された薄い長方形の箱。丁度ノートと同じくらいの大きさのそれを無言で受け取った。

「大したものじゃないです。只のクッキーなので。……皆さんで、食べて下さい」

俯き加減に目をぐるぐると泳がせる遊鳥。……何だか、色々と悪意のある噂は聞くし、バレー部――というか、体育館絡みの出来事もあって正直変なヤツだと思ってた。多分それもあながち間違っては無いんだろうけど、割と常識的というか礼儀正しい所もあるんだなと。――そういえば遊鳥を初めて体育館で見た翌日に、態々牛島さんたちの所まで来て体育館の使用許可を仰いだんだっけ。それに気づいて、少しだけ彼女の見方が変わった。
そんな事を思っているとは露とも知らない遊鳥は、受け取ったものの次の行動を起こさないオレを見て慌て始める。

「大会前にこういうのはダメでした、か」
「――いや、自分で持って来ればいいのにと思って」
「……本当は自分で持って行こうかと思ってたんですけど、監督やコーチの方に見つかると気まずいと思って……」
「まあ確かに。分かった。牛島さんに渡しとく」
「え」
「え?」

間抜けな遊鳥の声につられて、手元の箱から遊鳥の顔に視線を移す。気持ち血色の良くなった遊鳥は驚いたような顔で固まっていた。ああ、オレの言い方が悪かったな。

「一応部長だからな、牛島さん。それから皆で食うよ」
「あ、はい。……お願いします……」

言って、潰れてしまわないように気を付けながら自分の鞄にその箱を仕舞った。
牛島さんへの個人的な差し入れだと思われるのがそんなに恥ずかしいのか。オレの言葉を捉え間違えた事にもう一段階顔を赤くする遊鳥は見ていて面白い。少しだけ天童さんの気持ちが分かった気がする。

そろそろ移動しないと、次の補習が始まってしまう。そう思って鞄を肩に担ぎ立ち上がった。

「じゃあまた。勉強頑張って」
「はい。白布さんも部活頑張ってください」
「ああ。――牛島さんにも伝えとく」

席を離れる間際オレが付け足した言葉に、遊鳥はまた顔を赤くしていた。

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