台風一過


夏休み明けのテストが終わったその日のホームルーム。私のクラスでは恒例の席替えが行われた。男女入り混じってのくじ引きで行われる席替え。私が引き当てたのは廊下側最後尾という、個人的に最も有り難い位置だった。この場所なら授業中に教室を出て行っても目立ちにくい。取りあえずは次の席替え――次のテストが終わるまではこの席でいられる。そう思っただけで、少量の安心感のようなものを得られた。

全員の席が移動したことを確認して、担任教師はホームルームの終了を宣言。明日からは通常の時間割に戻るとだけ言い残して教室を去って行った。

漸くテストも終わり、開放感が蔓延する教室は瞬時に話声で満たされる。新しい席で前後左右になったクラスメイトに自己紹介をしたり、テストはどうだったかなんて話をしたり。私には縁の無いその騒音を遠ざけながら、放課後の予定を考えた。

なるべく体調の事だけを考えたら良い様に新学期の予習は夏休みの間に済ませているから、急いて勉強をする必要はない。かといって他にする用事もない。真っ直ぐ寮まで帰ろうかなあ。そう思ったところで、ふと脳裏に牛島先輩の姿が浮かんだ。

最後に牛島先輩と会ったのは夏休み前の男子トイレ事件の時。それから夏休みに入るまでは直後に期末テストがあったから、会えてない。夏休みに入ってからはインターハイがあって、それの邪魔をしないようにと思っていたし、私自身も勉強や体調管理に集中していたから、あれよあれよという間に気付いたら休み明け直前になっていた。そして夏休みが明けてからまたテストで、変則的な時間割になって。やる事が沢山あってそこまで意識が回っていなかったけど、そういえば結局一カ月以上牛島先輩と会ってないどころか、姿を見てすらいない。あの体育館でサボるという特殊な状況を脱した今、先輩たちとの接点は本当に全くないんだと改めて思い知る。すっかり砂糖漬けになってしまったらしい私の頭は理性を置いてけぼりにして、牛島先輩に会う口実を探し始めてしまう。――と、

「席がこんなに近いの初めてだね、遊鳥さん」

脳内に張っていた薄い膜を裂くようにして、聞き慣れない声が耳に飛び込んで来た。完全に自分の世界に入っていた私は驚きのあまり弾かれるようにして顔を上げる。と、ひとつ前の席に座る女子が人当たりのいい笑顔を浮かべてひらひらと手を振っていた。
――誰? クラスメイトである事は間違いないんだろうけど、それ以外の情報が何一つ出てこない。頭を悩ませる私を余所に、目の前の彼女は私の戸惑いを更に加速させるセリフを放つ。

「遊鳥さんって賢二郎と仲良いん?」

――賢二郎。白布くんの事か。仲がいいとか悪いとか、そんな関係性を持つほど接した事はない。一体何処からそんな情報を収集したんだろうと、牛島先輩に一心不乱に憧れる同級生の姿を思い浮かべながら小さく首を傾げた。

「夏休み初日の補習で何か渡してたじゃん?」

その言葉で、ハッとする。そうか、あの教室にいたのか。人目を憚らずに男子バレー部員の人に宛てたお礼を白布くんに手渡した事を私が少し後悔し始めたところで、目の前のクラスメイトは笑みを崩す事なく口を動かす。

「賢二郎とは去年同じクラスだったんだけどさ、アイツ結構小難しいというか、融通効かないところがあって。他人――特に女子からのプレゼントとかって中々受け取らないんだよね」

だから、と彼女は続けた。

「あの賢二郎が嫌そうな顔ひとつせずにプレゼントを受け取る遊鳥さんの事気になっちゃって、声かけちゃった」

あはは、と軽快な笑い声を上げながら、目の前の彼女は白い歯を覗かせる。

――どんな反応を返すのが、ベストなんだろうか。こんな、あからさまなまでに好意的な態度で話しかけられた事なんて暫くなくて、ひたすらに戸惑った。嬉しい気持ちは勿論ある。けどそれを上手に伝える方法が分からなくて、言葉が出てこない。早く、早く何か言わないと――。

焦りで思考が全く進まない私に、彼女は話しかけて来た時と同じく自分のペースを保って笑顔のまま眉尻を下げる。

「ごめんごめん、よく他の友達にもオチのない話するなって言われるんだよね。後先考えてから喋れとかさ」

彼女がそう一息で捲し立てた所で、別のクラスメイトが彼女の名前を呼んだ。部活に行くよと言うクラスメイトに、彼女は「今行くー」と少し間延びした調子で返事をして立ち上がった。

「ごめんね、一方的に。じゃあまた明日!」

本当に一方通行だったやりとりをこれまた自分で終わらせ、素早く鞄を肩にかけて彼女は椅子から立ち上がる。席を離れる間際に小さく振られた手。反射的に自分も片手を上げながら彼女が教室を出ていくのを呆然と見送った。

なんだか、――時間にして5分も無かったけど――台風が通り過ぎて行ったような感覚だ。私は一言も発する事無く終わってしまった、会話といっていいのかも不明な中での今の彼女の言葉を振り返る。

そういえばあの時は、もう体育館に行く事もなくなるだろうし男子バレー部の皆に何か細やかでもお礼をしなくちゃという気持ちでいっぱいで、全くもって人目の事は気にしてなかった。確かにあの場面を見れば白布くんへのプレゼントに見えるんだと、今更ながらに気が付く。別に、他人にどう取られようと疚しい事をしている訳でもないから堂々としていればいいのかもしれないけど、やっぱり人目を気にする自分は消えない。

今の彼女は、他人にあれこれ吹聴するような感じでないのは雰囲気から伝わってきた。でも現実問題、彼女のような人たちばかりでない事も知ってる。――自分で積み上げてきた周りの評価を崩すというのも、中々地道な作業になりそうだ。その遥か遠くになるだろう目的地を思って、零れそうになる溜息を無理矢理飲み込む。いつの間にか止めてしまっていた片付けの手を、再び動かし始めた。

立ち止まってる時間さえ惜しい。もう少し先まで授業の予習をしておこうと、最後に筆箱を鞄に放り込んで図書室へ向かった。

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