昼光


「……あの、天童先輩」

牛島先輩の正面に腰かける天童先輩に抗議の視線を向ける。

「何?」

その涼し気な顔で、この人は全部分かっていてやっているんだという確信を得た。

「……なんでもないです」

この人には絶対敵わない。そう悟った私はなんとか溜息を飲み込んで、取りあえず食事に集中だと手を合わせる。

「いただきます」

そう3人で唱え、自分の前に置かれたキン南蛮定食へと箸を伸ばした。――そして、私の右隣に座る牛島先輩は自身のハンバーグ定食を食べ始める。牛島先輩は左利き。対して私は右利き。隣同士に座るならせめて反対だろう。牛島先輩に腕が当たらないようにと気を配りながら、いつの間にかこの席順で座るよう誘導していた天童先輩を少しだけ恨めしく思った。正直凄く気まずい。というか、内心緊張で食事どころじゃない。若干味のしないご飯を噛みしめていると、

「なんだ、珍しい組み合わせだな」

と、牛島先輩と同じくバレー部所属の瀬見先輩と大平先輩が流れるように自分の食事を持って同じテーブルに腰を下ろした。まさかこのタイミングで人が増えるなんて。食事時にあるまじき胃へのプレッシャーが更に増す。

「そういえば、賢二郎から渡されたクッキー美味かったよ」
「何か礼だって言ってたんだって?夏休み明けても体育館に来ないからもしかしてその礼だったのかーって皆で言ってたけど」
「あ、すみません、言葉足らずで……」

あの時は本当に余裕が無くて、確かに何のお礼かも言っていなかった事を今更ながら思い出した。恥ずかしさに俯きながら謝罪を口にすると、瀬見先輩が手をひらひらと振りながら

「いいよ別に。クッキー美味かったよありがとう。で、何か心境の変化でもあったのか?」

と視線を私に向けてくる。
――サボり魔の生徒が急に授業に出席し始めると、大抵の人は何かあったんだろうかと気にする素振りを見せてくる。それはいい。けど、それを聞こえよがしに離れた場所で隣人同士で囁き合うなんて事をされるのが、私は嫌だった。例えそもそもの原因が自分にあったとしても、やっぱり自分の事を遠巻きにひそひそされるのは中々にストレスになるものだった。けど、こうして直接なんでもない様に聞かれると、素直に気持ちを言えてしまう。全くもって、心というのは厄介だ。内心で現金な自分を笑いながら、聞いてくれるならと口を開く。

「先輩たちの練習風景を見ていて、思ったんです。最初は、とにかく凄いなってだけだったんですけど……。私とは住む世界が違うなって。でも、急に今の自分が恥ずかしくなって。皆さんみたいには、そりゃ、なれないですけど、私も、何かやりたい事が出来た時に、それが出来るように、今出来る事があるならやっとこうかなって」

最終的に直接背中を押してくれたのは牛島先輩だという事は、流石に口が裂けても言えない。けれど概ね今の言葉通りの心境があったのは事実だった。

自分の頭の中の事なんて、今まで他人に話したことは無い。だからぼそぼそと、まるで伝える気が無いような喋り方になってしまったのは不可抗力だ。今の言い方で良かったんだろうかとか、私はこの人たちに何を言ってるんだろうと思い胃がうねる。俯いたまま視線だけを上げると、先輩たちは少しだけ目を見開いてまるで驚くような表情をしていた。

「色々考えてんだな……」

感心したような声音で言った瀬見先輩に、私は大きく素早く顔を横に振る。マイナスからゼロになっただけで、そんな好意的に思われる事は何一つしていない自覚はちゃんとある。

「今までしてなかった、普通にやるべき事をやり始めただけです」

その私の反応を見て、大平先輩と瀬見先輩は天童先輩を指さした。

「それはそうかもしれないが……」
「コイツなんか如何に今を気持ちよく過ごすかしか考えてねえからな」
「失礼だよ!」

笑いながら言う二人に、プンスコという効果音を顔の横に浮かべながら講義する天童先輩。そのやり取りを見て、胃ではないところが締め付けられる感覚に襲われる。もしかして、私は色々と考えすぎ気にし過ぎなんだろうか。後悔とか反省とか、決して不要ではないそれらに、けれども囚われ過ぎ、という事なんだろうか。そんな考えが脳裏に浮かんだ。あの時、只一言『頑張れ』と言った牛島先輩も、もしかしたらそんな事を思っていたんだろうかと、知らず視線が隣の牛島先輩へと移動する。その気配を察したのか牛島先輩も私の顔を見て、

「もう食べられないか?」

と、明後日な方向の台詞を口にした。

「興味なしか!!」

瞬時に入った天童先輩の突っ込みに牛島先輩は頭にはてなを浮かべる。

「今遊鳥ちゃんの話してたんじゃん」

呆れた表情と諦めの声調で天童先輩が言うと、牛島先輩は合点がいった様子で「ああ」とひとつ頷いた。そして本当に何でもない様に言う。

「何もしていなかった今までの事より、やると決めたこれからの事の方が価値があるのは明確だろう」

何を当たり前の事を言っているんだと言いたげなその堂々とした態度にぐうの音も出ない。"何もしていなかった"という言葉選びは辛辣だけど、だからこそ純粋に今の私を見て下してくれたその評価は公平で、正しいものだと思えてくる。何だか目頭が熱くなって、目に滲むそれを隠すように咄嗟に俯いた。

お礼を言うのも変な気がして、「そうですね」と震える声で返すのが精一杯で。チキン南蛮が中心になった視界の端で、赤いツンツン頭がしたり顔で数回頷いているのが見えた。



おかずの半分程を牛島先輩に譲渡して、どうにか昼食を食べ終わる。用済みとなった食器を片す為に返却口へと持って行く最中も、天童先輩は喋り続けていた。

「遊鳥ちゃんさ、今度ウチの男バレの練習試合があるんだけど、見においでよ」

とりとめのない世間話をしていた筈なのに、天童先輩はこうして時々爆弾を落としていく。食事の時と同じく唐突な誘いに天童先輩の意図を探ろうとしていると、

「もうずっと遊鳥ちゃんの事見てなかったから寂しくってさあ」

なんて口走った。

「ねえ、若利く」
「寂しくない」

一体何を言い出すんだと思う間もなく天童先輩は隣に立つ牛島先輩に同意を求める言葉を口にするけど、若干食い気味で牛島先輩はそれを否定した。無意味に傷ついた気でいると、

「ただ」

と牛島先輩は言葉を続けた。

「物足りないとは思う」

真顔でそんな事を言うもんだから。私は何て言葉を発したらいいか分からずに、結局いつもと同じく口を噤むしかない。

「ね。練習試合だとギャラリーも結構来るから入りやすいでしょ? だからおいでよ」

普段は見ないキラキラとした笑顔で私を見る天童先輩には何を言う気も失せてしまう。でも、天童先輩の隣で変わらず無表情で私の返事を待つ牛島先輩を認識してしまうと、

「分かりました」

という言葉を返す以外は選べなかった。

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