不意打ち



食堂で久しぶりに牛島先輩たちに会ってからというもの、こっち数日は今までにないくらい軽い気持ちで日々を過ごすことが出来た。牛島先輩の補給が出来たのは勿論他の先輩方と話せた事もあるし、そして何よりの要因は多分――本人にどういう意図があってなのかは分からないけど――天童先輩が練習試合の観戦に誘ってくれた事。次の約束があるというのはこんなにも原動力になるんだと、自分でも少し驚いていたりもする。

それが関係あるかは分からないけど周囲の声も心なしかそれ程気にならなくなったり、体調が大きく崩れたりする事もなく迎えた練習試合当日のホームルーム。教壇で担任教師がつらつらと話す連絡事項を聞き流しながらその終わりを心待ちにする。

「以上だ」

担任教師のその言葉で、私だけでなくクラス全体の空気が浮足立つ。各々あるであろう放課後の用事に意識が向いているその中で、蛇足の様に付け足された次の言葉に例外なく浮かれていた私の気分は見事に撃墜された。

「そうそう、遊鳥は後で職員室まで来るように」

あろう事か、全クラスメイトが揃っているホームルームで難なくさらっと放たれたその一言。一瞬私に集中したクラスメイトの視線も担任が教室を後にする頃には霧散したけど、私の胃を締め上げるにはそれだけで十分だった。

一瞬何かしただろうかと考えて、思い当たるのはやっぱり自身のサボり癖の事。けれどサボらず授業に出席し始めてそれなりに経つのに、今更その事で呼び出しなんてあるだろうか。内心首を傾げながら、ここで悩んでいても仕方ない、早く用事を終わらせて体育館に向かおうと鞄を掴んで立ち上がった。

一直線に向かった職員室の扉は、いつだって開けるのを躊躇ってしまう。何をしていなくても入った瞬間に値踏みされるように視線が集うのは小学生、中学生の時から変わらない。きっとどこの学校でも変わらないんだろうななんてどうでもいい事を考えて脳内に少しばかりの余裕を作ってから扉を横に滑らせた。

「失礼します」


――そして、一時間後。

「失礼しました」

軽く頭を下げて職員室から退室し、後ろ手に扉を閉める。きっと練習試合はとっくに始まってる。もしかしたら終わってしまったなんて事もあるかもしれない。それでも、それだけの時間拘束された事に対して不満が浮かぶ事無く私は足を動かし始めた。出来るだけ早く、教師に咎められない程度の駆け足で。

態々クラスメイト達に知れる様な呼び出し方をしてまで担任教師が私に言いたかった事。たっぷり一時間という時間を掛けて伝えられたそれは、要約すると『最近頑張ってるな先生は嬉しいぞ』的な事だった。

元々、先生受けは悪い方ではなかったんだ。出席点を重視する先生もこれまでにいた事はいたけど、出席日数ギリギリでもテストでそれなりの点数を取っていれば表立っての指導はされなかった。だから私が――例え授業途中にトイレへ駆けだそうとも――授業に"出席している"という現状を、どうやら先生方はお気に召してくれたらしい。担任教師はそれを、色々な話を経由しながら随分遠まわしではあるけど私に話して聞かせた。

それが純粋に嬉しくて、私の足は廊下を蹴って割り増し早く進む。こんな簡単に景色は変わるものなのかとか、今までうだうだしてた自分は何だったんだとか、思う事は少なからずあるけど今は何より、牛島先輩に会いたい気分だった。本人にそんなつもりが無いのは分かってるけど、私が立って進むためのきっかけをくれて原動力になってくれたのはいつだって牛島先輩で。あの生一本な先輩に、一言お礼が言いたかった。


一度は通い慣れる程に出入りしていた懐かしの体育館。少しだけ呼吸を整えるために肩で息をしてコートから一番離れた入り口から顔を覗かせる。二階のギャラリーには既に何人も人がいて、そこに飛び込んでいくには勇気がいった。二階に行くのはやめにしてその場からこっそりとコートの様子を伺い見る。コートの片面にはよく知った顔――男子バレーボール部のレギュラー陣。反対側には一目で高校生とは体の出来が異なると分かるような体格の人たち。どこかで聞いた、白鳥沢の男子バレー部は練習相手を大学生に頼んでいるという噂話を思い出す。スコアボードに目をやると、今は3セット目で白鳥沢が僅差でリードしていた。

普段の練習とは違った迫力に、只息を飲んだ。もう一度コートに視線を戻すと丁度サーブの為に牛島先輩がボールを構えたところで、

「きゃー!!」
「牛島くーん!」

と、ギャラリーから黄色い声援が飛び出した。観戦には男女ともに結構な数の生徒が来ているけど、牛島先輩のファンらしき女生徒は三分の二くらい居そうだ。それくらいの大きな声援に、改めて牛島先輩はモテるんだという事を思い知る。強豪チームの主将というだけでモテるには十分な要素ではあるけど、なんだか少しだけ胸の奥に靄が巣食った感覚を味わってしまう。けれどそんなもやもやを吹き飛ばすかのように炸裂する牛島先輩のサーブ。それだけがきっかけで、一瞬にして彼らの試合に目を奪われた。

いくら強豪だと言っても相手は大学生。経験も体の出来も全然違う相手に、それでも負けじと食らいつく白鳥沢の面々は格好良かった。一心にボールを見つめる牛島先輩も、心なしか普段より数倍格好良く見えたりして。只々その姿に集中して見入っていると、

「ちょっと」

不意に声を掛けられ、離れたコートに固定していた視線を咄嗟に引き戻す。私に話しかけてきたのは数人の女生徒で、二階のギャラリーへと続く階段を降りてきたところの様だった。その剣のある声音と表情から私が通行の邪魔になっているんだろうと思い、入り口から二歩隣にずれる。しかし彼女らの望みはそうではなかったみたいで、真ん中に立つ一人の女生徒が敵意丸出しで口を開いた。

「最近バレー部に付きまとってるよね」

その一言だけで、この人たちが何を言いたいのかを察する。確かに間違ってはいないけど、あなたたちにとやかく言われる筋合いはないと、気の無い返事を口にした。

「はあ……」

しかしそれが気に障った様で、額に青筋を立てそうな形相でまた同じ人が言う。

「牛島先輩は優しいから何も言わないと思うけどさあ、バレー部の邪魔になってんの分かんないかな?先輩たちも迷惑してんだよね」

随分と苛立たし気に言う中心の女生徒に周りの女子たちも同調するように頷いた。なるほど。この人たちはバレーボール部のファンというより、牛島先輩に好意を抱いてる集団っていう感じか。だから最近彼らの近くをうろちょろしている私が邪魔だと。

内心納得しながら、複数人で固まってとはいえまさか私に直接文句を言いに来る人がいるとは思っていなくて少しだけ驚く。けど、先輩方が本当にそう思ってるのなら自分で直接言ってくるだろうし、私たちの間でどんなやり取りがあったのか知らないでいちゃもんを付けてくるのには正直腹が立った。けど言い返すべき言葉も思いつかないし、多人数相手なのはぶっちゃけ怖いし、ぐるぐるする胃を抑えるのに一杯いっぱいで。冷静なのか現状に追いついていないだけなのか、悠長にどうしようかなんて頭の中で考えていると、今度は別の女子が口を開く。

「自分が有名だと思って勘違いしてるのか知んないけど、あんたのは悪目立ちって言うの。先輩たちと同じだなんて思わないでよ」

いつか、自分の口で牛島先輩に言ったその言葉。まさか他人の口から聞くことになるとは思っていなかったそれは、的確に私の心を抉った。さっきも今も、否定の言葉が浮かばないのは、私を攻撃する彼女の言葉に自覚があるからだ。全身から血の気が引いて、手が震える。暗がりに沈みかける意識を、彼女らとは別の声と視線が引き上げる。声の方へ首を捻ると、ここから一番近いギャラリーの一角でバレー部の練習試合を観戦していたグループが私たちの事を見ていた。

「何あれ、喧嘩?」

そんな言葉が耳に届いて、漸くしまったという思いが浮かぶ。こんな、試合を見るために集まっている人たちの中で何をやっているのかと。いくらコートから離れた体育館の片隅だと言っても、複数人で揉めていたら目立つに決まっている。このままでは彼女たちの言う様に本当にバレー部員の邪魔をしかねない。そんなのは、絶対に嫌だ。こちらのざわめきが部員たちまで届く前に、一刻も早く退散しよう。それだけを考えて、目前の女子に視線を据えた。

「言いたい事は、それだけですか?」

そんな余裕の無いゆえに固くなる私の言い方を、相手の女子は挑発と取ったらしく片眉を上げてふんぞり返る。

「文句あんの」

言い合いをする気十分という感じだけど、私にそのつもりは皆無だ。胃も悲鳴を上げて早くここから立ち去れと言ってるし。だから一言、

「ないです」

とだけ放って踵を返す。まだ何か言いたげな女生徒たちに気付かないふりをして、逃げるようにその場を立ち去った。多分、ここに来た時よりも早く足を動かして。

私の敗走という形の結果で満足してくれたのか、その後彼女たちが私を追ってくることは無く。女子寮の自室に戻った時には只々焦りに似た感覚が胸を占めていた。怒りや悔しさがないのは、彼女たちの行動は自分がとってきた浅慮な行いの代償だと知っているから。牛島先輩たちと出会って、それを自分なりにどうにかしたいと思って行動してきたつもりだったけど、中々上手くいかないもんだと実感した。かといって、これ以上自分でどうにかできる案も浮かばないし、今している事を続けていくしかないのだという事も分かっている。

無力感を噛みしめて手にした鞄を床に放り投げ、制服を脱ぐ事もなくそのままベッドにダイブする。

――大丈夫。先生にも認めて貰えた。そのうちに必要のない引け目を感じなくなる日も来る筈だ。そんな矮小な希望を胸に目を閉じる。暗くなった世界の中で、スポットライトを浴びるように浮かび上がったその姿はやっぱり、牛島先輩だった。
そういえば、言いたかったお礼も言えてない。折角の機会を逃しちゃって、次に会えるのはいつになるんだろう。そんな事をぼんやり思っていると、いつの間にか意識は途切れていた。

| |
TOP