起き抜け


けたたましいアラームの音に叩き起こされる。カーテンの隙間から差し込む朝日に目を細めながら、起床時間を告げる携帯電話に手を伸ばして停止ボタンを押した。画面上部に表示される日付は件の練習試合があった日の三日後。流石にそろそろ学校に行かないと。そう思いながら起き上がって、自分の体調を確認した。

あの日の帰寮後、途切れるように意識を手放して気が付いた時には次の日の朝になっていて。お風呂に入りそびれた事にしまったと思う傍ら、直ぐに自分の身体の異変に気付いた。
鮮明な痛みを訴えるくせに朦朧とする頭。呼吸をするだけで咳が出て痛む喉。起き上がろうと身を捩っても思う様に力が入らなくて、もしかしてこれは風邪というやつかと思い当たる。
嘔吐や目眩はしょっちゅう出てくるけど風邪というやつは久々で、一瞬どうすればいいんだっけと頭を悩ませた。牛島ファンの女子たちとの事で張り詰めてたものが色々切れちゃったのかなとか脳裏で思いながら、結局その日は自力で学校に連絡を入れて欠席。翌日も体調は変わらず、二日間風邪で休むことになったのだ。

まだ少し熱っぽい気もするけど、昨日までと比べると全然身体は動かせるから大丈夫だろう。それに、丸二日も欠席してしまうと授業の事が心配だった。今のところ勉強……というか、テストでいい点数を取る事しか取り柄が無いわけだし、授業の事を聞ける友達がいるわけでもないし。

「よし、行こう」

声を出して気合を入れて、登校の準備に取り掛かった。



「あ、遊鳥ちゃんじゃん」

昼休み。あんまり時間は残ってないけど休んでいた間の授業の事で教師に質問をしようと思って職員室に行ったら、職員室の扉を潜って天童先輩が現れた。この人にはよく見つかるななんて思いながら、視線を彷徨わせてしまう。

「別に若利くんとはいっつも一緒ってワケじゃないからね」

「クラスも違うし」と笑いながら言う天童先輩に、そんなに露骨だったかと恥ずかしくなってつい俯いた。

「職員室に用事? 誰先生? ていうかマスクどうしたの風邪?」

職員室前だというのに気さくな態度で矢継ぎ早に天童先輩は質問を投げかけてくる。少しだけ頭の中で悩んで、一文で纏めてみた。

「昨日一昨日と風邪で休んでたんでその間の事を聞きにきまして、マスクはまだちょっと治ってるか怪しいので念のためです」

「ふーん」と、質問をしたのは自分なのに興味なさげな返事を返す天童先輩。まだ何かあるんだろうかと天童先輩の動きを待つ。

「練習試合の日さ、他の女子に絡まれてたよね」

脈絡なく只の世間話の様に発せられた天童先輩の言葉。まさかバレー部員に気付かれてたなんて。どきりとしながら視線を逸らす。

「……すみません、邪魔になってましたか」
「いんや、全然。多分気付いたのオレだけだし」

もしも練習試合の邪魔にでもなっていたなんて事だったら、いたたまれないなんてもんじゃない。天童先輩のその言葉にほっと胸を撫で下ろした。

「アレ、何だったの?」

事もなげに訊ねてくる天童先輩に言葉を詰まらせる。どう言っても感じ悪くなりそうで言葉を選んでいると、私から何かを言う前に天童先輩が肩を竦めた。

「大体想像つくよ。若利くんのファンとかでしょ?」

やれやれ。そんな効果音が見えるのは自分の良い様に取り過ぎだろうか。それでも、

「彼女たちの言い分も理解できますから」

なんて聞き分けの良い事を言ってしまうのは、彼女たちの気持ちが分かってしまうから。そりゃあ自分の好きな人の近くを、私みたいに良くない話の飛び交うような人間がちょろちょろしてたら面白くないだろうし、遠ざけたいと思うのも自然といえば自然のことと言えなくもない。私のその反応を見て天童先輩はまたも「ふーん」と漏らす。続けて「まあ」と一言。

「若利くんの事が好きっていうのは遊鳥ちゃんも同じだもんね」

その言葉の意味を理解するのには少し時間がかかった。そして理解した途端、燃え上がったのかと錯覚するほどの熱が顔に集まる。一体何を根拠に言ってるのとか、いつから気付かれてたのとか、羞恥と動揺が相まって何も言葉にできずに口から出るのは空気だけ。そんな私を置いてけぼりに、天童先輩の舌は回り続ける。

「遊鳥ちゃんはサボり癖のことを随分引け目に感じてるみたいだけど、若利くん……ていうか、オレたちはあんま気にしてないからね。体調崩しやすいとかって事はオレたち運動部には分かんないし。前食堂で若利くんが言ったけど、今遊鳥ちゃんが頑張ってるのをあんな風に認めてるのは多分オレたちだけじゃないしさ」

つらつらと淀みなく言いきってから、天童先輩は口角を上げて目を細めて見せた。顔が熱いのはそのままに、流れるように発せられた天童先輩の言葉をじっくりと咀嚼する。――食堂で私を練習試合の見学に誘ってくれたり、今みたいに事ある毎に態々フォローを入れてくれたり、この人の目的は何なんだろう。そのもっともな疑問を天童先輩は感じ取ったのか楽しそうに笑って、

「親友の新しいトコを沢山見せてくれたお礼だよ」

と、よく分からない事を口にする。その真意を確かめたいけど、間が悪いのか丁度いいのか、昼休みの終わりを告げる予鈴が廊下に鳴り響いた。

「おっとと、ゴメンネ時間取っちゃって」

言葉とは裏腹に全く悪びれる様子の無い天童先輩。

「じゃあまたねー」

軽く手を振りながら天童先輩は軽快な足取りでその場を去って行った。まだ本調子じゃないらしく鈍った思考で今のやり取りを考える。けれども結局オチらしいオチは見つからなくて、天童先輩の励ましにも似た言葉を素直に喜んでおこうと思った。

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