『赤葦さーん』
渡り廊下を歩く赤葦さんの姿を発見したので、大声で呼びかけると、こちらに気づいたようだった。
『今から自主練ですか?』
「うん、そんなとこ」
ドリンクを飲みながら歩く赤葦さんは、飛雄君も尊敬するような誠実なセッターである。自分の実力を鼻にかけないところも素晴らしいが、技術を惜しみなく教えてくれる優しいところもある先輩だ。
「前にさ」
横に並んで歩いていると不意に声をかけられた。
「一回俺の名前呼んだことあったでしょ」
『…?あ、あの時は勝手に呼んじゃってすみません!!』
たしか、赤葦さんの驚いた顔が見たいとかで調子にのって呼んでしまったことがあった。その時の話をしているのだろう。私はかつての自分の無礼を詫びる。
「いや、怒ってるんじゃなくて、赤葦、だとなんか距離感じるし、名前で呼んで欲しいなって思って」
これまで飛雄君や翔陽君の下の名前で呼んできた。それは同級生だから呼んでいるのであって、先輩となると、なんというか私ごときが呼んでしまっていいんだろうかという気持ちになる。只でさえ飛雄君の下の名前を呼ぶのに慣れるまでしばらく時間がかかったのに。
『そんな、お、恐れ多い!私なんぞが名前で呼んでもいいんですか!?』
「むしろお願い、かな」
そう言われてしまっては断る理由がない。赤葦さんも私の事名前で呼んでくれているし、それがとても嬉しかったから、やはり名前で呼ぶという行為には、親近感を抱かせるような特別な力があるのだろう。
『もちろんです!えー、京治さん、京治先輩?京治様…!?』
一人で名前を呼ぶ練習をしてみる。一度呼んだことがあるとはいえ、どう呼べばいいか分からない。一番呼びやすいのは京治先輩だが、いままで赤葦さんと呼んできた以上、京治さんと呼ぶのが正しいのだろうか。
「さすがに様は嫌だな」
『そうですよね!あ、京ちゃんなんてどうでしょう!?』
少し混乱していて自分が何言っているのか分からない。こら、また調子に乗るんじゃない、自分!
「それはさすが呼ばれたことないよ」
『じゃあ次のから好きなもの選んでください。京治先輩、京治さん、京ちゃん、京ちゃん先輩の中だったら、どれがいいですか?』
「じゃあ、京治先輩で」
ご本人に許しを得たということで、これからはどんどん下の名前で呼ばせてもらおう。
『京治先輩!』
「ん?」
『京治先輩、京治先輩…』
「どうしたの」
私は先輩の名前を確かめるように連呼する。京治先輩は呆れることなく聞いてくれている。やっぱり、呼び方が変わってだけで、距離感も変わったような気持ちになる。
『ふふ、これでもっと仲良しですね』
名前呼びになっただけなのに、何故か勝手に彼の特別になれた気がしている。単純なことだけど、それがとても嬉しかった。
(彼女が発声する自分の名前は、とても心地の良いものだ)