徐々に狂っていく



「今日は新しい曲作ろうと思ってるんだけど、うん。部屋借りたから、一般の204号室。うん、4時半ごろ来られる?」

今日もバレーをするために体育館に向かう途中で瑠璃奈と遭遇した。正直、一緒にいることに気が乗らなかったけど、話しながら歩いていると、途中ベンチで電話をしている名前の先輩を発見した。苗字ははっきりいって興味がなかったから覚えていないが、顔は覚えている。電話の相手は誰だ。俺は、彼の近くの自動販売機で、部活用のドリンクを買うついでに、申しわけないと思いつつも電話の内容を聞いていた。

「分かった。あ、そうだ、今日楽譜忘れてきたんだけど、名前ちゃん今持ってる?良かったらコピーさせてくれない?」

その名前を聞いた途端心臓が跳ね上がった。サークル仲間と電話しあうというのは普通のことか。最近は名前の名前を聞くだけで異常な反応をする自分がいることに気づいた。

「まじ?ありがと、今時間ある?取りに行きたいんだけど」

彼女の先輩はとても楽しそうに電話をしている。声が躍っているようだ。

「いや、外寒いから、そこにいて。俺が行くから」

もう目的の飲み物を購入したが、その会話を聞きたくてその場から動けなくなってしまった。今から会いに行くのか。

彼女とこの先輩が一緒に話しているのを想像したら、少し気分が悪くなった。この感情をどう処理したらいいか分からなくて、茫然としていた。

「京治君」

「………」
「京治君!」

「…え?」

自分が呼びかけられているということにも気づかずに、気の抜けた返事をすると、心配そうに俺を見上げている瑠璃奈がいた。通常なら、心配をかけてしまったということに罪悪感を抱くのだろうけど、今はそんな気分にすらならないほど気持ちが冷めていた。

「大丈夫?上の空だけど。何か考え事?」
「ううん、なんでもない」

正直その問いかけすらも煩わしかった。今は放っておいて欲しかった。とはいえど、彼女は一応俺の彼女だ。

告白されて、その時は好意もあったし、いろいろ面倒くさくない関係を築けるものだと思っていた。ただ、その好意が友達としてのものだということに最近気づき始めた。

このままこの関係を続けてしまってもいいのだろうか。恋愛としての好意がないのに、付き合っていくのは失礼だ。

このことを考えるたびに頭をよぎるのは名前の事だった。

入学前に振ってしまった後も、友達として接してくれた名前の存在は、とてもありがたいものだった。

これまでに何度か告白されたことがあった。

相手のことを良く知らなかったり、バレーに集中したかったりで恋愛ごとにかまけている余裕がなかった。そのたびに、妙な距離をとられて、それ以降話すことができなるということも何度も経験している。名前だけはそうじゃなかったが。

このように恋愛経験が浅い俺は、いざ彼女ができても、その先にどう進んだらいいかも分からなかったし、そもそも先に進もうとは思わなかった。

俺の中の何かが足かせになって、それを許さなかったのだ。

その何かというのは他でもない名前の存在だった。すべてに彼女を重ねてしまう。あの屈託のない笑顔は彼女以外することはできないだろうけど。今の彼女と付き合い始めてからもそうだった。

そして俺を好きだと言った名前は、今別の男を愛おしそうな顔で見ている。それが恋愛感情なのか分からない。でも無性に腹が立つ。

これまで下の名前で呼んでいた彼女が、突然苗字で呼び始めるようになって、頭の中をかき乱されるほどに嫌悪を抱いた。これまで築き上げてきた仲が衰退してしまったようで、不愉快だった。

あの時、俺はなんて愚かな選択をしてしまったのだろう。告白を承諾していればこんな気持ちに気づくこともなかった。


彼女の目に映っていいのは俺だけだ。

他の男なんていらない。

思えばこの時からもう、俺は少しずつ狂っていたのかもしれない。