まだうすら寒い季節。大学では初めての春休みに入り、サークルやら旅行やらで日々を満喫している。しかしいくら春休みだからといって、大学に来なくていいということはなく、いろいろな用事があって何度か学校に足を運んでいる。
「久しぶり」
『ん?あ、赤葦君』
今日は図書館に行く予定があって偶々前を通りかかると、赤葦君と遭遇した。彼が瑠莉奈さんと別れたと聞かされたのはとても驚いたが、冬休みやテスト期間やらが重なり、それ以上そのことについて深入りするような機会がないほど忙しかったことは良かったことなのかもしれない。
「京治」
『あ、け、…京治君』
彼は最近やたらと名前を呼ばせたがる。もう苗字呼びに慣れちゃっていたからつい苗字で呼んでしまう。これまで、今回の分も合わせて2回ほど間違って呼んでしまったが、そのすべてで、有無を言わせないように訂正させられた。学習しない私も私だが、名前呼びに固執する彼もどうなんだろう。
『今日は部活?』
しかし今日は前の講義が長引いたため、少し時間が遅くなってしまったが、それでも会ったということは、今日は部活がないのか。
「先週の土日練習試合だったから、今日は振り替えで休み」
『そうなんだ。いつも大変だね。本当にお疲れ様』
広すぎる学内の一角で壁に寄りかかりながら話をする。こうして久しぶりに横に並んで思うのは、やはり彼の身長が大きいという事だ。そして大きいだけじゃなくて、その体格差にも目線が行く。彼は紛れもない男の人だ。少し目線を上にあげると、彼の端正な顔を見ることができる。私はこの瞳を好きになった。この声を好きになった。
でも、今は割り切っているからか、恋愛の意味での好きではなく、友人としての好きになっていた。
「好きでやってる事だから。名前はこれからどうするの?」
京治君は本当にバレーが好きなんだなぁ。きっとこの先も何事においてもバレー優先になるのだろう。何かに夢中になれるあなたはいつもかっこよくて、眩しかった。
そんなあなたに憧れて、私もいつか自分が輝ける舞台が欲しかった。今は彼のおかげで、それが現実になった。いずれにせよ京治君と出会わなければたどり着くことのできなかった場所にいる。
『私はこれから、サークルの人たちと打ち合わせなの』
「…蓼丸先輩って人も?」
『…?勿論だよ』
「他には」
『同い年の子3人と先輩3人かな』
私がサークルに一番乗りしたが、実は最近新たなメンバーが続々と入ってきた。同い年の男子を筆頭に、女子も2人が入ってきた。このサークルを創設したのは一昨年だ。発足時には5人いたが、4年生が卒業して、残ったメンバーが3人になっていた。まさか今年私も含めて4人も加入してくるとは思っていなかっただろう。一応1年生の中では私が一番の先輩だ。
「楽しい?」
『毎日が本当に楽しいよ!自分の伝えたい気持ちを歌にできて、心が踊るの』
サークルのことを考えると思い浮かぶのは常に楽しい思い出ばかりだ。汗を流しながら歌う夏もとても爽快感があって好きだった。
『京治君がバレーを好きなように、私も歌が好き』
同じにするな、なんて思われるかもしれないけど、この気持ちに嘘はない。今となっては自分の生活になくてはならないものだった。
『歌の世界を魅力的に見せてくれたのは、全部最初に見たライブのおかげで、何より蓼丸先輩が世界を広げてくれたの。感謝してもしきれないよ』
自分語りなんてらしくない。ただ、この感謝の気持ちを誰かに伝えたかった。
「…その先輩の事好きなの?」
様子を見ながら聞いてくる京治君が京治君じゃないみたいだ。いつもの飄々とした態度はどこに言ったんだろう。私が誰を好き、とか興味あるのだろうか。
『うん、大好き!私の事分かってくれる神様みたいな人』
恋愛かどうかと聞かれるとよく分からない。憧れであり、仲間でもある大切な先輩だ。落ち込んでいる時は慰めてくれて、自分よりも何倍も歌が好きで、一生懸命な人だ。好きになるのはおそらく必然的だった。
「…そう」
『京治君?』
神妙な顔つきになった彼は、宙を見ている。何か思いつめていることがあったら言って欲しい。相談に乗るくらいならできる、そう言おうとした時だった。
「俺、名前が好きだよ」
『……!』
真っすぐ私を見つめる真剣な瞳は、もう迷いなんてないように見えた。それはどういう意味の好きなんだろうか。友達としても好き、には見えない。
「蓼丸さんのことは諦めて欲しい」
『急にどうしたの…?』
なんの心の準備もしていなかった。これはどう考えても、真剣な告白だ。
『そんな…、あ、今みたいな関係好きだよ、私』
「俺は嫌だ。名前が他の人に取られるの想像すると吐き気がする」
吐き気とは大げさな。多分、京治君は今冷静じゃない。いつも通りの彼だったらもっと冷静なはずだ。このまま視線が交わっていたら、彼の思考に囚われてしまいそうでとても怖い。
『わ、たし…、京治君のこと、友達って思ってて、付き合うとかは、考えられない…っていうか』
「…今はそれでいいよ。でも、俺諦めないから」
どこか吹っ切れた様子の京治君が、私を射抜く。
こんな予想外の展開に、どうしていいか全く分からなかった。