蓼丸side
留年することなく今年も無事に進級することができて早一か月。何も代わり映えのない毎日が続いているが、それは誰かにとってみたらとてもかけがえのない日常なのかもしれない。
今日は4コマ目の講義が教授の都合でなくなったため、いつもよりサークルに時間を費やすことができる。早めに部室に向かって準備をしようか、と呑気に考えていると視界の端にある人物が見えた。
特に親しいわけではないその人物は赤葦君と言っただろうか。サークルの後輩である名前ちゃんの悩みの種である彼は、まるで初めから俺を待っていたかのように真っすぐ俺を見ていた。恐らく彼にとっての俺の印象をあまりいいものではないだろう。
そしていつの間にか彼は俺の元に歩いてきていた。面倒ごとじゃないといいんだけど……。
「蓼丸さん」
名前を覚えてもらえていたなんて光栄だ。うん、本当に。
「君は確か名前ちゃんの友達の、赤葦君?」
「はい、突然すみません。貴方に用があってきました」
丁寧な言葉づかいで話しかけてきてはいるが、その声色には複雑な感情が混ざっていた。彼が俺に話しかけてくるということは十中八九名前ちゃんに関することだ。彼と彼女の間には、簡単な言葉では言い表せないほどの異様な雰囲気がある事は俺にだって分かる。
「俺に用?」
「えぇ、察しのよさそうなあなたなら、もう名前関係の話だって分かっていると思いますけど、」
えぇ、なにその前置き。少し怖い。俺が思うに彼は非常に人間観察に優れた人間だと思う。
感情の機微を表情や声色から読み取って、正確にその人物を把握できる、俺からしたら末恐ろしい人間だ。今もこうして何食わぬ顔をして俺の出方を伺っている。こういっては何だが俺たちは似た者同士かもしれない。
「俺、名前が好きです。だから、あなたには絶対に負けません」
「わざわざそれを言いに?」
思ったよりもストレートな物言いに少し驚いた。こういうタイプの男は外堀からじわじわと埋めていくタイプで、はっきりと自分の感情を表に出すような人物には見えない。そして、このことをわざわざ俺に言いに来るということは、つまり……。
「はい。牽制も兼ねて」
やはり牽制か。潰せるところは確実に潰していきたいのだろう。彼のこの行動に少しの恐怖さえ抱く。
「はは、君は正直なんだね」
「そうですね、名前が他の男といるところを想像するだけで正直吐き気がします。」
「はは、でも名前ちゃんすごくいい子だし、いろんな男が狙ってると思うんだけど。それに、もし君が名前ちゃん泣かせたら、俺が奪っちゃうかもよ」
「そんな日来ませんから」
「随分自信あるんだね」
「いえ、自信がないからこそ焦ってます」
俺にもそう見える。一時は彼女を突き放すように別の女性と付き合っていたのに、今はもはや彼女に縋っているように見える。一体どういう風の吹き回しだ。彼の中で何か決定的な出来事があったのか。
「まぁ、どうするかは俺次第だけど、仮に君たちが付き合ったとして、名前ちゃん泣かせたら許さないから」
「はい、勿論です。お時間とらせてしまってすみませんでした。失礼します。」
そういって彼は俺の前から立ち去った。あの目は本気の目だった。涼しい顔の中に、獲物を狙う獣のような鋭さを感じた。
「ただの優男と思ってたけど、名前ちゃん…すごい奴に好かれたな」
妹のような可愛らしさのあるウサギちゃんが背後から静かな獅子に食べられる日はそう遠くないかもしれない。もし中途半端な気持ちなら俺も全力で止めたけど、身震いするような狂気を感じるほど一途な様子を見て余計に手を出すわけにいかないと本能で感じ取った。心の中で憐みを込めた合掌をしつつ、後輩の未来を案じたのだった。