理由はただひとつ


気付いた時には唇が触れあった後だった。
突然の事にしばし呆けていたが、次第に顔に熱が集まるのを感じる。

「名前?」

てっきり悪戯が成功した子供の様な顔で笑っていると思った彼女は、しかし、至極まじめな顔で僕の瞳に映る自身を見つめていた。

「ねぇ、ベルトルト。私ね…………」

両頬にそっと添えられる手。

「人間以外に生まれたかったなあ」

彼女の呟きに、僕は読んでいた本から顔をあげて彼女を見た。

「どうして?」
「だって、巨人の恐怖に怯えなくて済むもの」

予想していた、もっともな理由に苦笑する。名前を怯えさせているのは紛れもなく僕。僕の正体。

僕の想い人の好きな人は僕。
でも、彼女がこの世で一番嫌いなものは巨人だ。

どうも複雑な立場にいる僕。

「でも」

やっぱり、人間でいいやと彼女は言った。

「なぜ?」
「人間じゃないと、こうしてベルトルトとお話できなくなっちゃうから」

ふんわりと微笑む名前に、僕は手を伸ばして彼女の頭を撫でてあげた。なんて苦しいんだろう。彼女を安心させているはずの僕の存在が人類を脅かしているなんてね。

「私怖いよ。貴方を失うことが…。」
「それは僕だって同じだ。」

名前のいない世界なんて、僕は世界とは呼べない。

「エヘヘ。私たちって何のために生きているんだろう…。」
「…名前、」
「その理由を探すために生きているんだろうね。」

彼女はどんな思いでそれを告げたのだろう。
僕はただ、泣きそうな顔で僕をみつめる名前の目から、涙がこぼれてしまわないように、やさしく彼女に口付けた。こうしている時だけ、僕の中は大好きな人の香りで満たされる。優しさなんて後で無意味になる時がくるかもしれない。

「それじゃあ」
「…………?」
「僕のために生きて。」
「………えっ。」
「名前は僕のために生きればいい。僕も名前の為に生き抜くから。」

僕が言っていい立場ではないと知っていながら彼女を安心させるような事を言ってしまう。なんて愚かな奴なんだろう。

「ベルトルト…あのね、私はこれから貴方の為に生きようと思うの」
「ありがとう、今の僕は凄く幸せだよ…」


何もかもを捨て去って選んだ結末は、幸福と呼べるのだろうか。