信じてみよう
私は目撃してしまったのだ。
征十郎さんが私ではない女の人とホテルにはいっていくのを…。しかもただのホテルではない。男女が愛し合うあのホテル。私は今の現状が信じられなかった。
私達は互いに求めあっていると、愛し合っていると自惚れていた。そう、今となっては過去形にしかすぎない。私だけが一方通行だったのかもしれない。そりゃ彼は、非の打ち所がないような完璧な人間だし女性が放っておくわけがない。
それでも一回だけなら…と思って見守っていたけど、一回だけではなかった。それは何度も繰り返され、何度も傷ついた。いつしか我慢の限界がきてしまった。
…もし、彼が私と別れることを望むのならばそれに従おう。
***
『私たち別れよう………。』
本当であれば、朝の仕事帰りという設定の征十郎さんにそう告げた。あくまで設定である。もちろん、こんな時間に帰ってくるなんて理由は一つしかない。まただ。もういいんだ。この関係に終止符を打とう。
その時の征十郎さんの顔は今でも忘れられないほどにおどけていた。今だけ、彼の心が見透せるようだ。
「まて、僕が何をした」
『昨日はさ、何をやってたの?』
初めて棘のある言い方で刃向かった。
察しのいい彼のことだ、この一言で気づいたらしい。
『もう限界なの……。さようなら。』
泣きそうになるのを抑えて、あらかじめまとめてあった荷物を持った。リビングの机の上には離婚届を置いてきたから、彼の名前を書いてもらえば成立する。重い荷物を持ちながら2年間お世話になったこの家にさようならを告げる。胸に重い石のような物がのしかかっているようで、苦しかった。
征十郎さんはその場に立ち尽くしたまま、沈黙を保っていた。私はそれを合意ととって玄関のドアの取っ手に手をかけようとした。
その瞬間取っ手を掴みかけていた手は空をきった。私の顔や体でさえもドアとは真反対。今、私は征十郎さんに抱きしめられている。
『何ですか…今さら』
すでに他人のように敬語を使えば、抱きしめる力が強まった。
「僕は……君がいなければ生きていけない…」
掠れた声で、それさえも美しいと感じてしまった。
『そ、そんな事言われても…』
「今までのことはすべて謝る。謝っただけじゃ足りないのは分かってるよ。でも、僕には君が必要なんだ……。」
こんな弱々しい征十郎さんは初めて見た。いつもの余裕の風格がない。
征十郎さんの言っている事は全て正しく聞こえてしまう。
なんだかんだで私は彼に甘いのだ。
だから、もう一度だけ彼を信じてみようと思うのです。
(その後、征十郎さんは生涯をかけて愛してくれました)