恋愛ウイルス 前
2019.11.11リメイク

「俺と、付き合ってくれ」

それは4月の肌寒い夜のこと。


静かな曲が流れる落ち着いた店内で、テーブルに並べられたお皿の上、ソースと野菜に上品に彩られたサラダを真剣に見つめていた私に突然向けられた、先輩の言葉。

人生で初めてのことだった。恋愛経験の少ない私にとっては喜ばしいことだった。

それでも頭の中はパニック状態だ。彼のその時の様子を言葉にして言うならば、とても真剣だった。真っすぐ私を見つめたその瞳を今でも覚えている。 そして、私の胸が異常なほどに跳ね上がったこともよく覚えている。


『……えっ?』

口をあんぐりとさせて、フォークでさしていた海老をポロリと落としてしまった。聞き間違いだと思い目をぱちくりとさせると、真っ赤な顔の先輩が手で顔を覆っていた。私の聞き間違いではなかったようだ。


先ほどまで早く食べ物を食べたいという気持ちが頭の中を占領していたが、今はそれどころではない。ベージュの古びたレンガの壁の前で、私を見る2つ年上の先輩。

宮地清志さん。

去年の春、会社に入社してきた新入社員である私と同じ部署の先輩だ。彼と出会ってから1年の月日が経った。


今日も無事に仕事が終わり、帰ろうとしたところで彼に食事に誘われた。 仕事の話でもするのかと思った私は、何も考えずに「いいですよ」と二つ返事で答えた。 断る理由もなく、寧ろありがたいことだったので、もう少しお洒落をしてこれば良かったと後悔しながら、お店に向かった。


誘われた時点で大体予想はしていたけど、食事がまさか2人きりとは思わなかった。こうして二人きりになったのは指で数えられるほどしかない。

そして彼があまりにもスタイリッシュな格好でいたことに今更ながら驚いた。そのスラリとした長身にスーツが似合いすぎている。スーツに着せられることもなく、完全に自分のものとして着こなしている。

てっきり会社近所の喫茶店か居酒屋あたりで話しをするものだとばかり思っていたから、更に驚いた。私がいるのは、落ち着いた雰囲気のちょっと高めの食べ物がズラリと並ぶ店。こんなオシャレで上品な店は私には不釣り合いだ。

幸い、財布の中身は多めに持ってきたし、服もたまたま買ったばかりのワンピースを選んで着た。自分の運の良さを褒めてあげたい。しかし、先ほども思ったように少し地味ではある。もっと、いい服があったはずなのに。


『…私なんかでいいんですか?』

私が恐る恐るそう聞いたのには、ちゃんとした理由がある。

目の前に姿勢良く座る宮地さんは、人が羨む容姿の持ち主だった。所謂イケメンの部類に属するわけで。こうして座っている今だって、他の席の女の子達が、宮地さんにチラチラと熱い視線を送ってきている。


私は…残念ながらどこにでもいる普通のOLだと思う。私には不釣り合いな店と不釣り合いな人。不釣り合い尽くしの状況で、私は手に握る汗を抑える術を知らなかった。そんな素敵な人と私が付き合うだなんて夢物語あるはずがない。


「お前じゃなきゃ駄目だ。…わりぃか?」


そう言って私を見つめた宮地さんの目は澄み切って、それでいてまっすぐで。どれほど彼が真剣なのか、痛いほど伝わってきた。


***

私は入社式の日のことを思い出した。

彼は入社当時から新入社員の注目の的だった。それも大量の女の子からの。190�pは超える長身というだけでも目に付くのに、その甘いマスクは女子たちのハートを掴むのに十分だった。


たくさんの女の子が毎日彼を取り囲み、褒め称えていた。媚びをうっている子もいたらしい。私は職場にきたばかりでとてもじゃないけど、彼を見ている余裕はなかった。もちろん私も興味がなかった訳ではなかった。そもそもまだ配属先が決まっておらず、研修で忙しかったため、興味があっても見に行く機会がなかったのだ。

彼のことは噂に聞く程度で、じっくりと見たことはなかったが、近いうちに新入社員の歓迎会が開かれることになった。そこで噂の彼を見られる、と密かに楽しみにしていた。

その歓迎会の席で。

人ごみの中、なぜか彼の視線は真っすぐに私を射抜いた。整った顔立ちと、すべてを射抜くような真っ直ぐな眼差し。蛇に絡まれたかのように動きが止まった。

一瞬にして逸らされた視線だったけど、胸の鼓動が異常に速くなった。カッコいい人だったなと思いつつ、柔らかな甘い蜂蜜色の髪のお陰で更に彼の印象が色づいた。

今思えばあれは一目惚れだったのかもしれない。その後研修期間も終わり、本格的に配属先が決まった。そしてその職場に憧れの先輩がいて、人事部の采配に感謝したのはもうずいぶん前の話だ。

prev|16|next

恋愛ウイルス 前