入り混じる感情
先週決まった当番表を頼りに、部活後、私と及川君が一緒にモップ掛けをしていた。
他のメンバーは用具室の整理などをしている。
月曜日といえば、前日に練習試合があることが多くて、火、水、木、金よりも仕事が多くなる。だから、他の曜日よりも人数が若干多く配置されている。
「あ、そうだ名前ちゃん。もう岩ちゃんの名前は覚えた?」
モップを真っ直ぐ隙間なくかけていると、彼がこんな事を言い出した。これはバカにされてるのかな?彼の名前が岩太郎君じゃない事くらいはもう分かっている。
『うん、岩泉一君だよね?』
「そうそう!じゃあさ、俺の下の名前は言える?」
モップの持ち手の先端部分に顎を乗せて、ニコニコしながら私を見る及川君に一瞬怯んだ。もちろん及川君の名前は知っているし、寧ろ入学式の時からずっと知っている。でも、彼の目が語っているのはそんな事じゃなくて、私が何か面白い事を言うことを期待しているように見える。
私には渾身の一発芸があるわけでもないので、思考を急いで巡らす。それでも面白いことが思いつかない。どうしようと考えていると及川君は突然噴き出した。
「ハハ、名前ちゃん、もしかして面白い事言おうとしてるデショ?」
全くの図星だった。悩んでいる最中に本当の事を言い当てられギクリとした。ここで嘘を言っても何もいいことがないので正直に話すことにした。
『何も思いつかなくて…』
「俺はただ純粋に名前を知ってるか聞きたかっただーけ。」
『もちろん知ってるよ!及川君は有名人だからっ!』
「じゃあ俺の下の名前言ってみてくれる?」
『徹君、だよね?』
正解だと分かっていても、改めて聞かれると間違っていたらどうしようとか、マイナスの事を考えてしまう。
「そうそう!正解!」
聞いた本人は悩殺スマイルを浮かべて、拍手をくれた。
『及川君らしい名前だと思うなぁ』
「ありがとー。そう思ってくれてるなら、これからは俺の事は下の名前で呼んでよ。」
『名前で…!?』
ハードルが高い気がします。一度呼び名が定着してしまってからでは、変えるのは難しいし、ましてやあの及川君を名前呼びなんて…!恐れ多い。
『とお、る君』
「なーぁーに?……なーんてね。」
私完全に及川君、もとい徹君のペースに乱されている気がします。やっぱり女の子の扱い方分かってるんだよね、お、徹君は。
そう考え始めたら胸の何処かがチクリと痛んだ。体はどこも痛くないのに、体の中の胸辺りがチクリと傷ついた。
最近、及川君が知らない女の子と絡んでいると嫌だって思うし、及川君に声援を送る女の子たちを見ているとなんとも言えない負の感情に陥る。声援を送る女の子たち皆が皆、及川君のために可愛くなっていて。そうだ、…徹君だった。
あまりいい言い方ではないけど、徹君はあの容姿だから、女の子は引く手数多だ。綺麗系や可愛い系、どんな女の子でも夢中にさせてしまう彼の魅力に、例に漏れず私も魅了されていた。
「名前ちゃんは本当に可愛いね」
『……………!』
今まで好きな人がいたことはあっても、告白されたこともない。勇気もなくて告白したこともない私にとっては、両想いとか恋人という単語を知ってはいても、男性が自分を好いてくれるということがあるということを実感したことがなかったのだ。
今まで友達や同級生に彼氏が出来た姿は見たことがあるし、漫画とか小説でも読んだことはあるけど、現実に自分が体験したことがないせいで、ちょっと褒められただけでも挙動不審になるくらいに驚いてうろたえてしまう。
今思えば、きっとそれまでの感情は恋心ではなくて、やはり一種の憧れだったのかもしれない。