動き始めたのは
及川side
部活が終わって、俺と名前ちゃんが一緒にモップ掛けをしていた時だった。
名前ちゃんの顔をみて思い出したのは、岩太郎君という名前の事。岩ちゃんを岩太郎だとか、どう考えたらそういう思考回路に辿り着くのか分からない。やっぱり頭のいい人が考えている事って俺たちとは違うのかなと感じた瞬間だった。
いや、多分名前ちゃんが特殊なだけだと思うケド。
「あ、そうだ名前ちゃん。もう岩ちゃんの名前は覚えた?」
『うん、岩泉一君だよね?』
岩ちゃんをの事を岩太郎だと思っていたなら俺の名前はちゃんと覚えてくれているのだろうか。という疑問がふと浮かんだ。
どんなに仲のいい岩ちゃんだって、俺のファンの女の子にだって滅多に名前で呼ばれることなんてないから、もし覚えてもらっていないんだったら、覚えてもらういい機会だと思った。
「じゃあさ、俺の下の名前は言える?」
持っていたモップの持ち手の先端部分に顎を乗せて、彼女の様子を伺う。一瞬にして硬直状態に陥った名前ちゃんは口をパクパクさせて何かを告げようとしていた。
多分この子、何か面白いことを言おうとしている。だって時間が経てば経つほど顔が真っ赤になっていくし、目が泳ぎまくっている。頭のいい子だって事は分かっているけど、ここまで感情の起伏がわかりやすい子だとは思っていなかった。
「ハハ、名前ちゃん、もしかして面白い事言おうとしてるデショ?」
そう言った瞬間の彼女の顔には"何で分かったの!?"と書かれていた。やっぱり図星か。
『何も思いつかなくて…』
「俺はただ純粋に名前を知ってるか聞きたかっただーけ。」
半分からかいもあったけど、純粋に俺の名前を知っているかを聞きたいと言う気持ちはあった。
『もちろん知ってるよ!及川君は有名人だからっ!』
「じゃあ俺の下の名前言ってみてくれる?」
『徹君、だよね?』
「そうそう!正解!」
躊躇いがちに彼女のがポツリと呟いた。良かったー………ちゃんと覚えてくれていたみたい。まずは安堵のため息をポロリ。
『及川君らしい名前だと思うなぁ』
「ありがとー。そう思ってくれてるなら、これからは俺の事は名前で呼んでよ。」
『名前で…!?』
名前ちゃんの反応がいちいち面白い。今は多分、名前呼びなんてハードルが高いとか思っているのだろう。
『とお、る君』
「なーぁーに?……なーんてね。」
名前ちゃんは心の中の自分と葛藤した挙句、ようやく名前を呼んでくれた。自分でお願いしたんだけど、名前を呼ばれる事がここまで照れくさいとは思わなかった。なんというかこそばゆい。
そして俺の名前を呼んだ本人が何よりも真っ赤になっていた。
「名前ちゃんは本当に可愛いね」
『……………!』
恋愛経験そのものは豊富と思われているかもしれないけど、誰かと真剣に付き合ったことなんてない。告白されたことはあるけど、自分からしたことはない。全部全部始まりは女の子からで、俺の方から何かをするなんてことは全くなかった。
だから、本心から女の子を可愛いと言ったのは初めてだった。
それは紛れもない真実で、俺の中の何かが動き始めたのはきっとこの時からだ。