偶然


及川side

「ね〜、及川君帰ろうよ〜!今日は部活休みなんでしょ?」

甘ったるい声を出し、誰もいなくなった教室の机に座って校庭を眺めている俺の腕に女生徒が絡みつく。 ちょっと離れて欲しいんだけど…。

何かと香水が混じった香りが、俺の鼻をかすめる。 けしていい匂いとは言えない。何とかならないのかな。

俺は若干眉間にシワを寄せながら、少し顔を反らす。 しかし俺の表情なんて気にしていない様子だ。

「ん〜。もうちょっと教室でゆっくりしてから帰ろうと思うんだ。」

腕にまとわり付く彼女をさり気なく引き剥がしながら呟いた。 完全に帰るタイミングを失った。どうにかしてこの子を傷つけないように言えたらいいんだけど。

「じゃ、私も一緒に待ってるね」

引き剥がされても、なお腕に絡み付いてくる。 大体君の家知らないし。一緒に帰るっていったら名前ちゃんに誤解されちゃうし。そう言えば名前ちゃん、早くに教室でていったなぁ。何してるんだろう。

「あ、そうだ!体育館に忘れ物したんだった!」

俺は立ち上がると、教科書やら筆箱やらを詰めたバックを持って彼女の返事を待たずに教室を出た。 それも迷わずに。

「あっ、もう。ちょっと待ってよ〜」

屈めば見えてしまいそうなくらいのスカートを翻し、彼女が後を追う。 だから俺は更にスピードを早めて、なるべく目につかない所に逃げ込む。俺の事を好きでいてくれるのは嬉しいんだけど、流石にここまでしつこいと嫌気がさしてくるっていうか。俺の記憶の中では別の意味で名が挙がってしまった。

教室を出て、誰もいないと思っていた体育館に着くと、部室の前で何やら作業をしている女生徒が目に止まる。



「…名前ちゃん?」

俺の呟きが聞こえたのか、その子はふと顔をあげた。

『あれ…徹君、どうしたの?今日は部活休みだよね?』

彼女はきょとんと首を傾げ、そう呟く。お、その顔初めて見たかも。 なんだ急に癒された。


「俺は、まぁ…忘れ物を取りにきたってトコかな〜。名前ちゃんこそ何やってるの?」
『今日は部活休みだし、ボール磨いて、空気入れておこうと思って。皆が使うとき綺麗な方が気持ちいいと思うし、それにちょっと時間があったから。』
「そっかー!いつもありがとね!」
『いいえ、これもマネージャーの仕事ですから!』

いつもそうだ。部員のユニホームを洗濯する時も、部室を掃除する時もいつも名前ちゃんは一生懸命。実際ピカピカに磨き上げられたものを使うと心なしかやる気が上がる。

「あ、及川君いたー!」

すると、そこへ先ほどまで話していた女生徒の声。あぁ、なんでここまで追ってくるの?こんな事になるんだったら行き先を言わなきゃ良かった…。

「ねー、そろそろ帰ろうよー」
「…えっと、ごめん。実は俺今日はこの子と帰る約束をしてたんだった。」
『…、え?』

ごめん、名前ちゃん!この子からの魔の手から逃れるために使わせてもらいました。ってかあわよくば本当に一緒に帰りたい。 これで一緒に帰れたら、ある意味俺はなんてラッキーなんだろう。

「それって本当なの?」

彼女の目線が名前ちゃんに移る。目つきは鋭さを増し、まるで蛇に睨まれたカエルの図が浮かび上がっている。カエルじゃなくてどう名前ちゃんはもっと可愛い動物だけど。てか、本当可愛い。今日もなんて可愛いんだろう。

『うん。そうなの…!』

ありがとう!助かった。心の中で何度もお礼を言う。名前ちゃんが話のわかる人で良かった。察しのいい名前ちゃんが俺のヘルプに感づいてくれた。

「それなら最初に言ってよ〜、じゃ今度の休みの日一緒に帰ろう。ね、いいでしょ」


むぅ、諦めが悪い。見え見えの好意に段々嫌気がさしてきた。どうすれば諦めてくれるんだろう。俺は困り果てて名前ちゃんを見ると彼女も俺を見上げていた。

「…あ、休みは名前ちゃんと一緒に帰ってるんだよね」
『うん』

名前ちゃんは自分が余計な事を言っては余計拗れるだけだと分かっているためか、簡素な返事しかしない。今はそれがとてもありがたい。

「えぇ〜、なにそれー。じゃあ帰るわ」

テンションが下がり、体育館を出て行った。一応諦めてくれたようだ。なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだが、優しいだけの好意なんて、中途半端な気持ちを返すだけなんて、そんなの誠意がこもっていない。俺は自分に正直に生きていきたいんだ。


「ふぅ〜、名前ちゃんありがと。助かった」
『いいよいいよ。徹君も大変だね』
「うん、偶にいるんだよね…あぁいう子。」
『本当お疲れ様〜』

名前ちゃんは再びボールを手に取り、今度は空気を入れ始めた。

「あ、あのさ、さっきああ言っちゃったし、本当一緒に帰らない?」

一世一代の告白並に緊張する。これはまるで下心の塊だ。さっきは、変に誤解されたくなくて断ったけど、名前ちゃんとは一緒に帰りたいです。なんてこんな俺はズルいのかな。最悪なのかな。


『私と一緒で、いいの?』
「いいもなにも、俺が名前ちゃんと一緒に帰りたいから」

ズルくていいや。それで好きな名前ちゃんと一緒に帰れるならさ。
球技大会の時、告白するつもりでいたのに、できなかった。それくらい臆病な俺がやっとの思いで言えた言葉。今の俺はこれが精一杯なんだ。


『徹君と、一緒に、帰りたいです』

ボールに空気を入れる手をとめて、俺に目線を向けている。どこまでも可愛い人なんだろう。こんな風に言われて落ちない人がいるだろうか。無意識であるだろうことにもグッとくる。

「よーし、俺も手伝うから早く一緒に帰ろう!」
『うん、ありがとう!』

意図せずとも一緒に帰る約束ができた。あぁ、今日はなんていい日なんだろう。