自惚れること勿れ

あの日のことは夢だったのか。意識も定かじゃなかったから、幻聴だったのかもしれない。確実に事実として捉えているのは徹先生がお見舞いに来てくれたことだけ。

もし、徹先生が私の事を好きでいてくれたら、どんなに気持ちが和らぐか。

「あら、及川先生。今日も来てくれたのね」
「センター前ですから励ましに。お邪魔しまーす」

下の会話が筒抜けで、ここまで聞こえてくる。部屋に入ってきた徹先生と何を話せば良いのか分からず、無言になってしまう。今までは家庭教師としてこの部屋に来ていた徹先生だけど、今日は勉強をするために来たわけではない。いつも何を話していたっけ。焦る気持ちを抑えようとして更に心拍数が上がっていく。

「緊張してる?」
『へっ!?』
「明日、いよいよ本番でしょ?」
『思ったほど緊張はしてないです』
「そっか」

自分のことのように安心した表情で、こっちまで気持ちが和らいだ。

『徹先生、来てくれてありがとうございます…!なんか元気でました』

徹先生は何で私に優しくするの?

やっぱり言えない。好きだなんて言えないよ。試験直前なのに、徹先生のことで頭がいっぱいだなんて笑えちゃう。明日私の人生が決まると言っても過言じゃないのに、目の前にある問題で頭がぐちゃぐちゃだ。勉強が手につかないなんて徹先生に呆れられちゃうよ。

「よーし、頑張ったらご褒美あげる」
『ご褒美?何をくれますか…!?』
「何がいい?」


そりゃ何が欲しいかと言われたら徹先生……。………えっと、欲しいものかあ。流石に徹先生自身は無理だろう。それ以前に徹先生と会うことが出来るのはあと数回しかない。どうせなら贅沢してデートに行きたい。

『水族館に…、行きたいです』

彼はキョトンとした表情で私を見る。あ、そんな顔も出来るんだ。ってときめいている場合じゃなくって。何年も水族館に行ってなかったし、ダメかな?おずおずと彼を見上げるととびきり笑顔が返された。


「いいよ、センター終わったら行こう」
『ほんと、ですかっ!』
「うん、ほんと!どれ、及川サンが名前ちゃんにパワーを与えよう」
『…ありがとうございます!』
「おいで」

広げられた両手に吸い込まれるように向かった。軽く引き寄せられ、目の間にある胸板に顔をよせる。そしてその状態で頭をポンポンと叩かれて、心拍数が上昇した。

こんな事をされたら自惚れちゃうじゃないですか。
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