自分のほうが耐え切れない
次の日から、俺たちは一緒に登校しなくなった。これまでは学校がある日は、俺が彼女の部屋に行って、叩き起こしていた。しかし、もうわざわざ起こしにこなくてもいいと、昨日彼女が言った。その分だけ彼女には今までありがとうの感謝をされた。一生の別れでもあるまい。しかし、俺にとっては昨日の出来事が未だに信じられない。
しかし、名前は弱音を吐かず、俺に泣き言を漏らさず、1人でちゃんと起きて、学校に登校している。忘れ物をする事もなくなったようだ。名前が俺の知らない世界に行ってしまう。
1ヶ月経つとそれが明白に浮かび上がってきた。名前は元々生活力のある奴だったのだろう。思いの外早いスピードでこの生活に順応している。対して俺は、少し不満を抱いていた。
前まで俺なしでは出来なかったことが出来るようになっている。
1人で起きられるようになった。制服もキチンと着られるようになった。前は毎日のようにリボンをズラしていたり、スカートが短かったりしたのに。髪にだって寝癖はなくなった。悔しいが文句のつけどころのないほど生活態度は乱れていない。どうせ早い段階で根を上げるだろうと思っていたが、そうではないらしい。
確かにそれくらい高校生になったら1人で出来るようになるのは当たり前だと思うかもしれない。しかし、彼女は俺という存在がいたため、割とダラシない生活を送っていたのだ。彼女の生活態度を乱していたのは俺の方だったのか。
名前は俺を廊下で見かけると少し大人びたような笑顔を見せる。…似合わない。名前には無邪気な笑顔しか似合わない。その笑顔を引き出すのは俺でありたい。いつからそんなに遠い存在になってしまったのだろうか。
前まですぐそばにいたのに遠い。もう手で触れられないんじゃないかと思うと胸が痛む。
更に彼女はサッカー部のマネージャーになった。前までは競争率が高いから諦めようだのなんだの言っていたが、そのポジションに落ち着いたらしい。ムカムカする。
きっとまだ男子と話すことに慣れていないくせに、背伸びをしている。俺以外の男子とまともに話しているところは滅多に見たことがない。今彼女がどういう生活を送っているのかさえ分からない。
…これで朝練にはゆとりをもって行くことが出来るようになるはずだ。
それなのに名前がいないというだけでどうも胸が騒ぎ出す。誰もいない朝の道を、顔を顰めながら歩く。
名前は俺のことを思って提案してくれた。それ無下にできるはずもなく。結局2ヶ月前の俺は何も言えなかった。
「あっかーーーあしぃー」
俺が悩んでいるというのに御構い無しだ、この人は。寧ろその明るさがみんなのモチベーションを上げているわけだが。この木兎さんという人間は俺の一つ上の2年生で、とにかく元気な先輩だ。
「…なんですか」
「早くトスあげてくれぇー!」
「分かりましたから落ち着いてください」
そもそもこの人に落ち着いてと言って、落ち着かれたことなど一度もない。それが彼の良いところでもあり、悪いところでもある。
「じゃー、俺ボール持ってくるわー!」
俺が承諾するのとほぼ同時にビュンと風の如く走り去っていた木兎さん。もう何を言っても聞く耳を持たないだろう。だから俺は静かにストレッチを始めた。全身を伸ばすように体を伸ばして怪我を未然に防ぐように心がける。
特に足と腕を念入りに伸ばしていくと、途中で名前の話し声が聞こえた。昨日は確か、女友達とゴミ捨て場に向かっていたはずだ。偶然、偶然見えただけだ。決して意識しているわけではないと思いたい。
きっと今日もそうだろうとそちらに視線をやると、名前ともう1人、たしか彼女のクラスの英田といっただろうか、高身長の男とゴミ捨て場に向かっていた。この構図で掃除の後のゴミ捨てという事は分かるのだが、何より驚くべき事は彼女が男と話しているということだ。それには目を離せずにいた。
名前は少し恥ずかしそうにしながら英田と話す。英田の方は満更でもなさそうに自分より背の低い彼女を見下ろし、且つ彼女を見る目は優しい。なんだこの胸のざわめきは。体験したことのない感覚に顔を強張らせる。
名前とまともに話せる男は少し前までは彼女の父親と兄、そして俺だけだったのに。
彼女は自分で自分の殻を破って誰かとの関わりを持とうとしている。
これは喜ばしいことなんだろうが、依然として顔の強張りが戻らない。
そうか、依存していたのは俺の方だったのかもしれない。