黒尾鉄朗の場合

『鉄朗』
「んー?」
『別れよう』

何気ない日常の中の一コマ。平凡な日常を過ごしてきた私たちの会話の内容は、平凡を壊してしまうほど異常なものだった。泣かないように、ただ淡々と告げる私を、あんぐりとした顔で見てくる鉄朗。


「何、その冗談」
『冗談じゃないよ、何日も考えた結果だよ』
「なんで」

その目は真剣味を帯びていた。ここから逃げることを許さないと目で語っている。理由はいずれにせよ聞かれることだ。私は深呼吸をしてから、真剣に鉄朗を見つめ返した。

『…あのね、私、留学することになった』
「はぁ?聞いてねぇよ!」
『わざと言わなかったの。多分、言ったら引き留められると思って。鉄朗に引き留められたら、ほんとに留学行くの辞めちゃうよ。でも、留学するの小さい頃からの夢だったから、どうしても叶えたくて』
「それで、遠距離になるから別れたいって?」
『…うん。距離で鉄朗を縛りたくない』

遠距離になって恋愛を続ける自信もないし、会えない寂しさでストレスをためてしまうのも嫌だ。これは私のわがままだ。鉄朗が嫌いになったとかそういうものじゃなくて、私自身が不安から逃げるために別れを決断した。鉄朗の気持ちを考えていないと言われてしまえば言い返すことができない。

「名前は俺の気持ちなめてる。俺がどれくらいお前のこと好きか分かんないだろ?」
『どれくらいかは、…分からないけど』
「お前とだったら今すぐにでも結婚したいと思うくらいには好きだわ」

こんな時に優しい声で語らないで欲しい。私は自分のわがままであなたから去ろうとした。そんな人間になぜそこまでの言葉をかけることができるんだろう。

「それなのに別れようとか傷つくわー。離れるって言っても一年かそこらだろ」
『…最近鉄朗が可愛い子に言い寄られてるの知ってる。信頼してるから今まで何も言ってこなかったけど、やっぱり自信なくなっちゃうよ。私よりもそっちの子の方がいいんじゃないかとか…いろいろ考えるようになったの』

実際に相手の女の子の方が数倍スペックも高くて、可愛い子だった。そんな子たちに負けることはあっても勝つことはないと思っていた。

『離れてる間に、別の子に気持ちがいっちゃったらどうしようとか…』
「はいはい、それはない」
『私の事好きじゃなくなったらどうしようとか』
「嫌いになるわけねぇだろ。俺はお前だけが好きなの。オッケー?」
『…お、オッケー』

途中で言いくるめられるように話を振られて、反射で答えてしまった。あんなに悩んだことを、一瞬で覆されて頭で何も考えられなくなった。

「留学いつから」
『半年後』
「まじかー。やっぱ期間は一年くらい?」
『うん、鉄朗とは学年一つ変わっちゃうね』
「じゃ、それまではめいっぱいイチャイチャできるってことじゃん」
『考えるとこそこ?』
「嫌じゃねーだろ?」
『…うん』
「素直素直」

子供に接するように、ポンポンと頭を撫でる鉄朗にはきっと一生敵わないのだろう。
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