夏の夕暮れ。
蝉の声が、グラウンドのフェンスに絡みつくように響いていた。
明日は大会初戦。
野球部は練習を終えて解散し、ロッカールームからも人の気配が薄れていく。
そんな中、なまえは氷の袋を片手に、ブルペンへ向かっていた。
そこには、いつも通りの姿勢で座るクリス先輩がいた。
膝に肘を置き、遠くのグラウンドを眺めている。
日焼けした横顔が、夕陽に照らされて赤く染まっていた。
「先輩、氷です」
差し出すと、彼はいつもの落ち着いた笑顔を見せた。
「ありがとう。……明日、いよいよだな」
「はい」
会話が途切れる。
蝉の声と、どこか遠くで響く金属バットの音。
なまえは、彼が少し緊張しているのを感じた。
「……不安なんですか?」
思わず口にした問いに、クリスは小さく笑った。
「選手じゃないのに、な」
そう言いながらも、その眼差しはグラウンドに釘付けだった。
「選手じゃないなんて……そんなこと、ないです」
自分でも驚くほど真剣な声が出た。
「先輩がいてくれたから、みんなここまで来られたんです。……私も」
クリスは一瞬だけ、目を見開いた。
それから、少し困ったように笑い、なまえの頭に大きな手を置いた。
「……お前、たまにずるいこと言うな」
「ずるくなんかないです」
「いや、ずるい。……でも、悪くない」
その言葉と一緒に、手の温もりがじんわりと伝わってくる。
心臓の音が少し早くなって、蝉の声も遠のいた気がした。
「明日、勝てますよ。だって……先輩が見てくれてるから」
「……そうだな」
短く答えた声は、夕暮れに溶けていった。
その日、グラウンドの土の匂いと、あの手の温もりは、なまえの胸の奥に深く刻まれた。
それが恋だと気づくのは、もう少し先のことだった。